橘樹神社。
茂原市本納に鎮座。
式内社 橘神社に比定される神社で、上総国二宮とされる神社。
境内
一の鳥居
社号標
二の鳥居
三の鳥居
参道脇の井戸
橋と四の鳥居
手水舎
狛犬
拝殿前の狛犬(手前)
拝殿前の狛犬(奥)
阿形は顔が破損していました。
社殿右手の注連柱
脇参道(境内左手)の鳥居
脇参道の社号標
こちらの社号は「橘」一文字。
社殿
拝殿
扁額「橘木神社」
本殿
寛政12年(1800)造営。それまでは本殿がなく、拝殿から古墳を拝する形式をとっていたようです。
境内社等
稲荷神社
子安神社
窟戸神社
参道左手に吾妻池
古墳築陵の際に土を掘り採った跡とする伝承があります。
吾妻池の碑
粟嶋神社(吾妻池の上)
秋葉神社
粟嶋神社と秋葉神社については、社名の掲示が見当たらず判別できなかったため、下記2サイト様の記述を参考にしています。
参道右手(社務所手前辺り)にある建物を粟嶋神社としているサイトもあるのですが、納札所のようでしたので未撮影。
秋葉神社については、神社の由緒書(パンフレット)に「現在は奉斎されず(再建予定)」とあるので、一時的に本殿に合祀されているのかもしれません。お社の中は見ていないので確認できていませんが、現在は神輿が置かれているとのこと(上掲の美しい神社☆再訪したくなる神社さんの記述による)。
社殿右手に神輿庫があります(外観未撮影)。
ガラスの反射の関係上、正面と左の2基だけを撮りました(右にもう1基ある)。
神輿1
神輿2
参道手前のセブンイレブンの裏手にある祠
Googleストリートビューで見ると、以前は現セブンの駐車場西側にあったようです(その頃はセブンの敷地が神社の駐車場だったようです)。
本殿左の手水舎
手水舎後ろの井戸
○○乃井…と書いてあるようですが読めず
武将像withねこ
誰の像なのかはわかりません…
鎌倉時代初期の建久五年(一一九四)から嘉禄元年(一二二五)にかけての文書で橘樹神社に伝来のものではなく、大正一五年に所蔵となったものである。明治一九年修史局の調査のときは、山城国(京都府)紀伊郡竹田村長谷川景則蔵となっていた。
しかし、内容は一通を除き、「北条義時書状」「蓮西年貢支配状」等いづれも橘木社を中心とする中世の荘園橘木荘の寄進所領安堵等に関する文書である。
中世における郷土の歴史を知り得る貴重な資料である。附である長谷川有則文書請取状控は、荘園の所有者であった京都の醍醐寺に伝来していた橘木社文書が宝暦四年(一七五四)に京都府の長谷川家に譲与された経緯を示すものである。
古墳
社殿後方は丘になっており、これは祭神である弟橘比賣命の御陵とされています。
弟橘比賣命御陵碑
これより先は日本武尊が築陵なされた、当社の主祭神、『弟橘比賣命』の神聖な御陵墓で、信仰の対象そのものであり、且つ当社ご創建の由緒に関する重要な神域です。
当社へ断りも無く立ち入ったり、草木等を採るなどの行為は、一切厳禁です。
無断立入禁止の札が立っています。社務所で許可を得た上で登らせていただきました。
古墳下から
左右どちらからも登ることができますが、こういった道なので歩きやすい靴でないと危ないです
蜂が出ることもあるので気をつけたほうがいいと、許可を得る時に伺いました。
古墳上には鳥居と玉垣があります
鳥居手前は崖なので、気をつけてください。
玉垣の中には一本の木(橘?)が植えてあり、花が供えられていました
神社裏側の森林は、高木、亜高木、低木からその下に生える下草まで全部そろっていて自然の姿に森林を放置した時どうなるかを学習するのに最適な自然林である。境内にこれだけの大木が自然の形に繁茂しているところは市内で他に見られない。
樹木の種類は、エノキ、タブノキ、ケヤキ、クスノキ、ムクノキ、スタジイ等が多い。
神社裏の高所は人工の塚か自然の丘陵の一部かは明らかでないが神社の境内ということもあって手を加えられていないので自然林の様相をよく残している。
橘樹神社境内東側及び裏側の崖や水田から縄文土器や石器が出土することは明治のころから知られていたが、昭和二十五年本納中学校社会科研究部により、深鉢形土器(加曾利E式)が発見された。
宮ノ下遺跡は、標高十メートル地点であり、周辺の水田は地下一メートルで葦の根の腐食した土質となり、近年まで沼地であった。
橘樹神社の祭神は弟橘姫命であり、延喜式にのる社であることからも、単に縄文土器出土地のみでなく、その資料的価値は大きい。
由緒
社伝によれば創建は景行天皇41年(111)。
日本武尊東征の途次(景行天皇40年)、相模から上総に渡る際暴風雨に遭遇。弟橘媛はこれを鎮めるため入水。日本武尊が無事上総に到着して七日後、弟橘媛の櫛が海辺に漂着。
叛徒を討ち当地に至った尊は、媛の御陵を築き櫛を納め、橘を植樹したといい、これが始まりとされます。
また当社の以前の宮司家に伝わる文書に以下の記述が見えることが『式内社調査報告』にあります。
中田春司家文書
抑橘大明神之儀は、日本武尊為東夷成敗之時、命依而上総国君不去之浦ニ御着船御座而、此所より東之方なる高キ山を御目当に被入られ、山峯ニ御登り有て四方御覧有候而ニ、西之方より白鳥一羽東之方え飛行ニ、後よ□(里か)鷹三羽ニて逐行ふしぎ成哉、逐行鷹中天より落て死ス、日本武尊之御上シ山とて今ニ武ケ嶽申成、尊白鳥之飛行シ東方を御尋有けるに、芦繁り方邊ニ小高キ所有、白鳥羽休居候所、鳥は不見、尊此所之橘姫之一社を立、芦戸之里と申候。
延喜式神名帳の「上総国長柄郡 橘神社」および、三代実録 元慶元年(877)5月17日丁巳条にみえる「上総国…従五位上勳五等…橘樹神…正五位下」、元慶8年(884)7月15日癸酉条にみえる「上総国…正五位下勳五等…橘神…正五位上」は当社に比定されています。
また上総国二宮とされてきました。
当地は和名抄に見える柏原郷であるとされ、神領を基礎とした橘木荘(後の二宮荘)と呼ばれる広大な荘園が存在していました。
応仁・天正の二度の兵火で社殿焼失。焼失以前には神門があったとのこと。
天文年間(1532~1555)に拝殿再建。
寛政12年(1800)に本殿造営、拝殿修繕。本殿はこの時に初めて造られたもので、それまでは拝殿から直接古墳を拝する古墳祭祀の形式を取っていたそうです。
なおこの本殿造営等の工事の際に当時の宮司が寺社奉行所に提出した文書の要旨が『本納町史』にあります(文章は『式内社調査報告』より引用)。
『本納町史』
近年社頭が大破したので、総産子で相談した結果、漸く再建にとりかかり、工事もはかどった。ところが社のひろごりが甚だ狭く、前は神木である橘樹が生い茂り、うしろは御廟陵で普請の差支えになり、神域のため軽々しいとりはからいもできず、大変弱ってしまった。そこで寛政四年、社職の者ならびに村役人、総氏子どもが集まって相談した結果、前の神木を伐り、うしろの御陵廟の裾を切開いてもよろしいかどうか神威を伺ったところ、うしろの地所切開きの意があらわれたので、寛政十一年(一七七九)十一月二十日鍬初を行い、御陵の裾廻りを四日間切開いたところ、土中から十一のカメツボがあらわれた。その内訳は、大甑一、小甑四、小ツボ四、鉄器二であった。大甑は、尊骸が納めてあると思い、大いに驚ろき、少しも中を見ずに封印をし、右の品々を本殿に納め、祓修行を行った。
これについては、前方後円墳の前方部を切り取ってしまった(『式内社調査報告』)とか、変則古墳の主体部(南側)を切断してしまった(『日本の神々』)とかの説があります。また「尊骸が納めてある」と判断された大甑は、副葬品の埴輪であると見られているようです。
明治6年県社列格。
上総十二社の一社ですが、上総十二社祭りにどのように参加しているかは不明(神輿は出ていなさそう)。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。宮司さんご不在の場合も書き置きがいただけます。
オリジナル御朱印帳もあり。
「弟橘媛」「粥米の羯鼓舞」「社殿」の3デザインがあります。
ちなみに「粥米の羯鼓舞(かゆごめのかっこまい)」とは、当社の例祭(10月体育の日の前日、旧暦8月13日)で3年に1回奉納される舞のこと。粥米というのは地区名だそうです。しばらく途絶えていましたが2012年に復活、また3年おきに舞われているようです。茂原市無形民俗文化財指定。
社殿デザインのを頂きました
アクセス
国道128号を茂原から北上、あるいは東金から南下してきて、茂原市法目の交差点(位置)で西方向に入り、600mほど行くと右手に駐車場があります(位置、一の鳥居の少し右手)。
あるいは、圏央道を茂原北ICで白子・茂原市街・大網白里方面(左手)に降り、2kmほど先の茂原北陵高校の案内が出ている交差点(位置)を左へ。1.3kmほどで丁字路(位置)に出るので左手へ。
800mほどいくと一の鳥居前の交差点(位置)に出るので、そこを右折すればすぐ駐車場です。
神社概要
社名 | 橘樹神社(たちばなじんじゃ) |
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通称 | – |
旧称 | 橘神社 橘木神社 |
住所 | 千葉県茂原市本納738 |
祭神 | 弟橘姫命 |
配祀 | 日本武尊 忍山宿禰 |
社格等 | 式内社 上総国長柄郡 橘神社 日本三代実録 元慶元年五月十七日丁巳 橘樹神 正五位下 日本三代実録 元慶八年七月十五日癸酉 橘神 正五位上 上総国二宮 旧県社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり(3種) |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | 社殿後方に弟橘姫命の御陵と伝わる古墳あり |
参考文献
- 「橘樹神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「橘樹神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十一巻 東海道6』皇學館大学出版部, 1976
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十一巻 関東』白水社, 1984
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 547コマ)