飯香岡八幡宮(市原市八幡)

飯香岡八幡宮。

市原市八幡、八幡宿駅の西に鎮座。

一国一社の国府八幡宮として創建され、のちに総社も兼ねたとされる神社。

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境内

社頭

 

鳥居

 

扁額

 

社号標

 

手水舎

 

狛犬

 

裏参道鳥居

鳥居前に小さな橋がありますが、昔はここに川が流れていたそう。

 

扁額

 

裏参道社号標

 

社殿東側の鳥居

 

社殿左手から出て道路を渡った先にある注連柱

注連柱の手前、黒い横断歩道みたいな模様の場所は昔の橋の名残だそうです(裏参道鳥居前と同様、ここにも川があった)。

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

 

重要文化財の碑

本殿は重文に指定されています。

境内社等

社殿後方右手

5社が並んで鎮座。

 

若宮八幡宮

 

海辺神社

 

天神社

 

金比羅神社

 

ものがみの社

社殿後方左手

3社が並んで鎮座。

 

大神宮

 

大神宮左の祠

 

飛鳥宮

 

飛鳥宮手前の祠

 

飛鳥宮右手奥の阿葉大杉神社

 

高良神社

台風(2019年の台風15号)で屋根が飛ばされてしまったようです…

 

社殿右手

社殿右手、出羽三山の碑が集められている場所

 

中央部の碑

 

周囲の碑

 

浅間神社鳥居

出羽三山碑のところから右へ行き、路地を渡った場所。八幡幼稚園の隣。

 

富士塚

 

山頂の浅間神社

 

富士塚登山道に碑が多数

 

八坂神社

出羽三山碑の裏手。

 

忠霊塔

境内裏手

厳嶋神社

八坂神社の鳥居の向かいあたり。

 

六所御影神社

社殿のまっすぐ後方、境内裏手の駐車場を出たあたり。

八幡宮勧請以前から当地に鎮座していたという神社。

社殿前方右手

神楽殿

 

名称不明社

 

御神水 神龍泉

 

さかさ銀杏

 

さかさ銀杏

治承四年(一一八〇)、源頼朝は石橋山の合戦に敗れ房総半島に逃れてきた。

当時、飯香岡八幡宮は源氏と縁の深い石清水八幡宮別宮であった。

頼朝は源氏再興を祈願して、本宮に銀杏をさかさにして植えたと伝えられる。

その結果、銀杏は根付き源氏も無事に再興された。

境内左手道路向かい

社殿左手の鳥居を出て道路を渡った先に3社。元々はここも一続きの境内地だったのかも。

 

鳥居

 

手水鉢

 

中央石段上の神社

地図によって大山祇神社だったり石尊神社だったり。境内の芳名碑には山祇神社、置かれていたポリタンクには石尊神社とあり、実際の社名は不明。

 

石段下左手に白山神社

 

石段下右手の子安神社

 

裏手の注連柱

放生池

社頭左手に放生池

 

 

放生池

放生とは殺生を止めて作善のため、捕えた生類を河海山野に放つことで、奈良朝の元正天皇養老四年九州大隅国における隼人の乱の犠牲者に対し慰霊安鎮のため、宇佐八幡宮にて放生が行われその後、国毎の八幡宮にても国司臨検のもとに郡司に仰せて八月十五日即仲秋名月の日に行われるようになり、放生祭と称して八幡宮最大の神事となった。

この附近は江戸末期ごろまでは鳥居の前面に海水が打ち寄せていた白砂青松の汀で、大祭には放魚が行われていたが、海岸線が遠のくにつれ、現在では放生池として、その名残をとどめるにいたった。

上総放生池 源子恊

すがすがしこの砂原やいにしへのみたまなごめしあとにやあらん

由緒

国府総社 飯香岡八幡宮御由緒

御祭神

誉田別命・息長帯姫命・玉依姫命 ほか配祀七柱

由緒沿革

神社縁起によると、この地は御影山と称し六所御影神社が鎮座していたが、白鳳三年(六七五)天武天皇の勅命により八幡宮として創建されたという。

また、天平宝字三年(七九五)には国府総社とされ、一国一社の八幡宮として、また上総国の総社として広く信仰を集めてゆくこととなった。保元三年(一一五八)の石清水八幡宮の諸国荘園官符にみえる「上総国市原別宮」は本宮であるといわれている。

源氏・千葉氏・北条氏・足利氏・徳川氏を始め近隣に所領を持つ大名・旗本など武将の崇敬が厚く、徳川家康から社領百五十石を安堵され、格式十万石の待遇を受けた。明治維新以降は県社に列格された。

文化財など

本殿(国指定重要文化財)室町中期(十五世紀)頃の建立(伝・足利義政寄進)

拝殿(千葉県指定文化財)元禄四年(一六九一)の建立

神輿四基(千葉県指定文化財)至徳元年(一三八四)足利義満によって奉納

柳楯神事(千葉県指定無形民俗文化財)神輿以前の祭礼の形態を伝える神事

夫婦銀杏(千葉県指定天然記念物)八幡宮勧請の日に植えたと伝えられる御神木

大太刀(市原市指定文化財)天正十二年(一五八四)徳川家康によって奉納

当世具足十一領(市原市指定文化財)八幡にゆかりある大名・旗本達の奉納

さかさ銀杏 源頼朝が武運長久を祈って植えたとされる御神木

祭礼日

春季大祭 三月十五日 飯香岡八幡宮御鎮座の日

秋季大祭 旧暦八月十五日(十五夜の日) 国府総社の神事・放生祭の日

柳楯神事・神輿五基の渡御・放生の儀が行われる

八幡宮としての創建は白鳳4年(675)(境内由緒書では白鳳3年)。一国一社の八幡宮として勧請されたと伝わります。

天平宝字3年(759)に全国放生の地に勧請された国府八幡宮という説も(あるいは上記創建の後に国府八幡宮に定められた?)。

ただ、当地にはそれ以前から六所御影神社が鎮座していたといわれ、その創建時期は不詳。この六所御影神社については不明な点が多いらしく、祭神も資料によって大日霊貴尊・伊弉諾尊・伊弉冉尊の三座だったり、さらに瓊瓊杵尊・布留大神・大宮女大神を加えた六座だったりするそう。また、飯香岡という地名は六所御影神社の社人が日本武尊に食事を奉り、その香を褒め讃えられたことから生まれたとも。

 

中世以降は総社を兼ねたとされますが、それ以前の総社(だったと思われる)戸隠神社からいつ頃機能が移ったのかは不明。

また、現祭神には上総の式内社全ての祭神は含まれていません。

 

保元3年(1158)の石清水八幡宮の諸国荘園官符にみえる「上総国市原別宮」は当社のこととされます。

武将の崇敬が厚く、江戸時代には格式十万石の待遇を受けていました。

明治6年県社に列格。

 

なお、市原市市原に鎮座する市原八幡神社(位置)が当社の元宮であるとする説があるそうです。

飯香岡八幡宮の秋季大祭における中心的神事の柳楯神事では、柳楯(先端の葉を残して皮をはいだ柳の小枝25本を縦に並べ、ここに5本の青竹を横に渡して藁縄で結び楯の形にしたもの。市原地区の2軒の司家が1年交代で製作)を光善寺→市原八幡神社→阿須波神社→(五所町民館で一泊)→飯香岡八幡宮という順路で運ぶのだそうです。

 

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

オリジナル御朱印帳を2019年6月から頒布されているようです。神社の公式Facebookに画像が上がっています。

その投稿を見る限り令和ver.の限定御朱印帳(デザイン不明)や、それ以前の御朱印帳(銀杏柄)が過去にあったようです。

アクセス

国道16号や357号で千葉方面から南下してきて、八幡海岸通りの交差点(位置)で左折(歩道の消火栓の表記に飯香岡八幡宮入口と小さく案内あり)。250mほど先(位置)で右折。

100m先、左手に八幡公民館の看板が出ているので、そちらの路地に入ります(神社駐車場の案内はないので注意。いえ一応小さく「駐車場」の表示はあるのですが…)。

まっすぐ行くと車止めがあるので、そこで左折し境内へ。社殿後方側に入っていくと駐車場。

 

徒歩なら八幡宿駅から3分。

神社概要

社名飯香岡八幡宮(いいがおかはちまんぐう)
通称
旧称
住所千葉県市原市八幡1057-1
祭神

誉田別命

息長帯姫命

玉依姫命

配祀

日本武尊

足仲彦命

速玉之男命

猿田彦命

天穂日命

中筒男命

事代主命

社格等

上総国国府八幡宮

上総国総社

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttps://ja-jp.facebook.com/iigaokahatimangu/ (公式Facebook)
備考市原八幡神社(位置)が元宮?

参考文献

  • 「飯香岡八幡宮」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「飯香岡八幡宮」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十一巻 関東』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 540コマ