周敷神社・藤原神社合殿(西条市国安字神社屋敷)

周敷神社・藤原神社合殿。

西条市国安に鎮座。

合殿のうちの周敷神社は式内社 周敷神社の論社。

境内

周敷神社側の鳥居

 

藤原神社側の鳥居

 

周敷神社側の注連柱

 

藤原神社側の注連柱

 

周敷神社社号標

 

周敷神社側狛犬

 

藤原神社側狛犬

 

手水鉢

社殿

拝殿

二社一棟です。

 

周敷神社側(左)

 

周敷神社扁額

 

藤原神社側(右)

 

藤原神社(天王社)扁額

 

周敷神社本殿

 

藤原神社本殿

 

周敷藤原神社本殿修復社務所新築記念碑

平成三年九月二十三日大型台風来襲のため両本殿檜皮葺屋根損壊す 翌四年三月時の神社総代長 黒河俊治の先達により 氏子総代 国安自治会役員の協力を以って氏子 六百二十軒 の敬神の総意を結集して修復事業を発起 その献金募集の成果は目標額を突破し 同八年完成 続いて年来の懸案たりし社務所新築をも 平成五年七月を以て併せて完成を見たり

時あたかも 皇太子徳仁殿下 雅子妃殿下 六月九日御成婚 重ねて 伊勢神宮 十月御遷宮の嘉年に当たり 当神社の面目を一新し得たる事は氏子の誠心の致すところながら 一重に深き御神威に依る所あり

依って茲にこれを称えて子孫末代までの記念とする

境内社等

住吉神社鳥居

 

住吉神社狛犬

 

住吉神社社拝殿

 

住吉神社本殿

 

杉野神社

 

田中神社

 

境内社

 

子守神社、山王神社、他小祠

 

御神木?

 

神社前の道路挟んで向かいにある御旅所

 

御旅所碑

 

土俵?

由緒

周敷神社

創建時期は不詳。

元は国安、高田両村の氏神で両村の中央に鎮座していたといいます。

 

その後、永禄12年(1569)に大明神川の洪水で旧社殿が流失し、しばらく藤原神社のそばに仮殿で祭祀の後、宝暦3年(1753)藤原神社と社地を並べる形で再建。

後に一境内になったとのこと。

 

当社を延喜式神名帳にみえる「伊予国桑村郡 周敷神社」とする説があります。

これは享保5年(1720)に国安村の神主が訴えたことにはじまるもの。

その根拠として、延喜式神名帳に桑村郡と明記あること、大明神川の洪水で旧社殿が流失したので藤原神社の横に移したこと、付近に周敷田・鳥居元・宮所などの地名のあることを挙げています。

 

式内周敷神社を主張する神社は当社含め四社あり、争論が勃発。

これに対し松山藩は、京都の国学者壺井義知による『周敷神社鎮座違郡考』に基づき、周布村の周敷神社(現・西条市周布の周敷神社)を式内社と結論。

しかしその後、当社と宮内神社(周敷神社論社の一)の神主間で論争が再燃。松山藩は両者を処罰し、以降論争は収まったといいます。

ただ、当社付近に周敷田などの地名が存在する理由についてはよくわかっていないようです。

藤原神社

創建は応徳元年(1084)、播磨国広峯からの勧請。

 

平家の時代に社領没収され、文永10年(1273)に現在地へ遷座したとされます(元より国安・高田両村の氏神だったため、旧鎮座地も近隣だと思われますが不明。『明治神社誌料』によると藤原殿・藤原池の名が残るらしい)。

かつては牛頭天王社とも称していたようです。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

東予丹原ICを降りて周越農道を北上。

 

西中学校前交差点を右折(東へ)。

200mちょっとで神社前。

 

駐車場は愛媛県神社庁のページによると5台分あるそうなのですが、それらしい場所が見当たらず。

向かいの御旅所に車を入れられるので、そこを指しているのか…

神社概要

社名周敷神社・藤原神社合殿(すふじんじゃふじわらじんじゃごうでん)
旧称牛頭天王社(藤原神社)
住所

愛媛県西条市国安字神社屋敷910

祭神天忍男命周敷神社
素盞嗚尊藤原神社
配祀天照大神周敷神社

脚摩乳命

手摩乳命

奇稲田姫命

藤原神社
社格等

式内社 伊予国桑村郡 周敷神社(合殿の周敷神社)

旧郷社

御朱印不明
駐車場あり(?)

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