伊佐爾波神社(松山市桜谷町)

伊佐爾波神社。

日本三古湯の一つとされる、道後温泉の付近に鎮座。

式内社 伊佐尓波神社に比定される神社。

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参道・境内

参道の大鳥居

この正面が伊佐爾波神社。参道途中、左側に湯神社があります。

 

神社下

 

注連石

 

社号標

 

社号標…ではなく箱型看板

 

手水舎

 

石段

 

推定樹齢500年というクスノキ

 

狛犬

 

石段上の手水舎

楼門・社殿

 

楼門

 

楼門の扁額

 

社殿の扁額① 伊佐尓波神社

 

社殿の扁額② 湯月八幡宮

 

申殿(もうしどの)

本殿の手前に位置。

 

回廊から申殿内

ここで参拝します。

 

本殿

現社殿は寛文7年(1667)8月に竣工。大工延べ69017人が動員されたといいます。石清水・宇佐とともに日本三大八幡造の一つとされ、重要文化財に指定されています。

 

回廊

 

御神輿

 

回廊に飾られている額

 

案内札

伊佐爾波神社

本殿 附 透塀 一棟

申殿及び廊下 一棟

楼門 一棟

廻廊 一棟

附 末社高良玉垂社本殿 一棟

末社常盤社新田霊社本殿 一棟

石灯籠 二基

棟札 一枚

重要文化財(建造物)

昭和31年6月28日指定

昭和42年6月15日指定

本殿は、三間社切妻の内陣と三間社流造の外陣の二棟が前後に並び、出会った軒に共通の樋を架け、下に相の間をもつ、桧皮葺の「八幡造」の建物である。透塀は本瓦葺で緑青塗り菱格子が美しい。

申殿は、桁行・梁間一間、切妻、二軒、桧皮葺の平入りで、吹放ちである。楼門は、前面に唐破風の向拝をもち、入母屋造、二軒、本瓦葺である。屋根の四隅の力士像が珍しい。

全建物の木部や懸魚等の意匠部分は、丹塗り、胡粉彩色、本殿の円柱は金箔と色彩豊かで、華麗な桃山時代風である。

延長五七間の回廊や一遍上人の彫刻のある蟇股など神仏習合の歴史を語るものも多い。

 

案内札

太刀 銘国行 一口

重要文化財(工芸品)

昭和三年四月四日指定

刃長77.7センチメートル、反り2.6センチメートル。鎌倉時代中期の作で、作者の来国行は山城国来派の祖である。寛文5(1665)年松平松山藩第三代藩主定長が武運長久と一門の繁栄を祈願して、この神社に奉納したものと伝えられている。

伊佐爾波神社算額

愛媛県指定有形民俗文化財

平成17年12月27日指定

算額とは、和算の問題・図・解答、それを導く最終計算式等を記した額である。この神社の算額は、関孝和(?~1708)が考案した関流数学で、享和3(1803)年を最古に江戸後期から明治時代のものが多い。

境内社等

高良玉垂社

 

常盤新田霊社

 

素鵞社

由緒

境内由緒札

伊佐爾波神社

延喜式内社で、祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神である。

社伝によると仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれたという。

伊佐爾波という社名の起源は諸説あるが、『古事記』に「建内宿禰大臣沙庭に居て、神の命を請ひまつりき。是に大后、歸神(かむがかり)して…」、『日本書紀』に「建内宿禰に命せて琴撫かしめ、中臣烏賊津使主を喚して審神者と為す」とあり、これに神聖、清浄なという意味の「い(斎)」が付いたもので、神功皇后に関わる名称ともされる。

当神社は、河野氏が湯築城の鎮守として、今の地に移したといわれ、その後、加藤嘉明が、松山城の固めとして八社八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所となったという。

現在の社殿は、松山藩松平第三代藩主の定長が、将軍から命じられた流鏑馬を成功させたお礼として建立したもので、その様式は、大分県の宇佐神宮、京都の石清水八幡と並んで日本を代表する八幡造といわれる。

創建時期は不詳。

社伝では、仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に御来湯の際の行宮跡に建てられたとされており、そこは「伊佐爾波岡」と呼ばれた場所で、現在の湯築城跡とされます。

 

「いさには」の語源については、「審神者」に神聖・清浄なという意味の「斎(い)」が付いたものとする説(境内案内板)や、聖徳太子が高麗僧恵慈と葛城臣らを伴い訪れた際、湯の岡の側に温泉を讃える碑文を建て、この地方の住民が「この碑文を見まく欲りして誘い来れり」という状態になったことからという説(伊予国風土記逸文)等諸説あります。

なお、聖徳太子の建てたとされる碑文は現在所在不明ですが、寛政6年(1794)の春、近くの田から碑が出て太子の碑文だと騒がれたものの、それを境に温泉の湯が濁りはじめたため慌てて埋め戻したという話が『北窓瑣談』にあります。

 

延喜式神名帳にみえる「伊豫国温泉郡 伊佐尓波神社」は当社に比定されています。

 

建武年間(1334~36)頃に河野氏の湯築城築城に際して現地に遷座。

この時から「湯月八幡宮」と称されるようになり、これは明治4年に現社号に戻されるまで続きます。

その後、松山藩主加藤嘉明が松山城の固めとして八社八幡を定めた際、一番社「湯月八幡宮」として武運長久の祈願所とし、久米郡井合の土地100石を社領として寄進されました。

 

昭和31年6月本殿が国の重要文化財に指定、昭和42年6月全体が追加指定を受けました。

 

現在の祭神は八幡信仰に基づくもので、式内社としての本来の祭神ではないと考えられています。

「神社覈録」に『湯神は少彦名命に坐て、伊佐爾波神は其地主神ならん』とあり、本来は地主神を祀っていたのではないかということが示唆されています。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

オリジナル御朱印帳もあり。

 

楼門の絵に、背景色の違いで二種類あり

アクセス

伊予鉄城南線の終着駅、道後温泉駅を降りると西に大鳥居と楼門が見えます。車の場合、社地裏手に駐車場があります(位置)。

湯神社や温泉も回るなら更に奥の観光用無料駐車場(位置)を利用する方がいいかもしれません。

ただこの観光用駐車場は平日は開放されていないことが多いので、事前に市の公式サイトで要確認です(下記リンクのページ中程、松山観光臨時駐車場項の開放日カレンダー)。

 

神社概要

社名伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)
通称
旧称湯月八幡宮(ゆづきはちまんぐう)
住所愛媛県松山市桜谷町173
祭神

足仲彦尊

気長足姫尊

誉田別尊

市杵島姫尊

湍津姫尊

田心姫尊

配祀東照大神
社格等

式内社 伊豫国温泉郡 伊佐尓波神社

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttps://isaniwa.official.jp/
備考社殿は日本三大八幡造の一つとされる重要文化財

参考文献

  • 「伊佐爾波神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「伊佐爾波神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 339-340コマ