和霊神社(宇和島市和霊町)

和霊神社。

宇和島駅の北、和霊町に鎮座。

中四国を中心に広がる、和霊信仰の総本山と言える神社。

境内

一の鳥居。和霊公園の手前に立ちます。

 

社号標

 

狛犬

 

大鳥居。高さは正確には不明。12mとか13mとか15mとか。神社由緒書や観光案内によれば石造りのものでは日本一の大きさとのこと。

ただし、岡山にある茅部神社の石鳥居も日本一を称しているそうで、実際どちらが高いのかは謎。

 

大鳥居扁額

 

大鳥居横の狛犬

 

太鼓橋

 

橋のかかっている川。須賀川というらしいです。

 

橋を渡ると随神門

 

随神門 内側から

 

随神門の中には鼻高面と於多福面が飾られています。これも観光協会のサイトによれば日本一だそうです。特に何を以って日本一とは書かれていませんでしたが、多分大きさでしょう。大きさも相まって正直怖いです。子供が見たら泣くんじゃないでしょうか。

 

神門の先に御神木があります。右手が社殿への階段。奥の階段は何だったか…多分参籠所が上にあったはず…

 

社殿への階段

 

石段上の狛犬

 

拝殿手前の狛犬

社殿

拝殿

 

拝殿横と後ろ

 

本殿

 

拝殿脇に牛鬼の面。お祭りのときには、巨大な胴体に牛鬼の面を付けた山車が町を練り歩くんだそうです。

境内社等

社殿付近

若宮神社

 

神馬像

 

錨?

 

説明板

宇和島市指定天然記念物

和霊神社の社そう

この社そうは、戦国時代の鎌江城の址で面積6203平方メートルを占め、暖温帯に属するスダシイ・ツブラシイ・アラカシを主体とした常緑広葉樹林である。おもな樹木はクスノキ(目通り4.4メートル、樹高20メートル)の巨木や、モガシ・イヌマキ・ヤブツバキ・カンザブロウノキ・ミミズバイ・クスノキ・ヤマモガシ・ルリミノキなどで、蔓性ではカカツガユなどが見られる。樹下には、多くのシダ類・ノシラン・ハナミョウガ・センリョウ・イズセンリョウなどを見る。植物の種類が豊富な、貴重な社そうである。

和霊神社の社叢が広がる裏山には、かつて鎌江城というお城があったそうです。

 

句碑。「須佐之男は若禰宜ならめ初神楽」

説明板

須佐之男命天照大神の弟神。性粗暴にして天岩屋戸の変起こし高天原を追はれて根の国(黄泉の国)へ下る途次、出雲の国簸の川のほとりで八岐の大蛇を退治した

若禰宜 禰宜は神官、神職(祈ぎの意)

ならめ 確信に近い推量語

階段下

三島神社

 

三島神社の狛犬

 

山本神社

 

御井神社

 

竈神社

 

竈神社の狛犬。胸像みたいになっています。破損したとかで上部だけを残したのでしょうか。

 

神馬社

 

どの境内社も特に由緒は書いていませんでした。

愛媛県神社誌によれば竈神社祭神は奥津彦命、奥津姫命。山本神社祭神は大物主命。

他に境内神社として、日尾八幡神社(祭神 田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、誉田別命)、三光神社(大己貴命、少彦名命、猿田彦大神)、春信神社(和霊大明神)、日吉神社(大山咋命)が挙げられているものの確認できませんでした。

後述の八面大荒神は現在の竈神社のようです。

由緒

祭神は山家清兵衛公頼。

公頼は仙台藩伊達家の家臣でしたが、慶長19年(1614)12月、政宗の長子秀宗が宇和島藩主に封ぜられた際、知行1万石の総奉行に任じられました。

藩の財政は窮乏していましたが、公頼は藩政の改革、産業の拡充、民生の安定に力を注ぐなど尽力します。

しかし、公頼のやり方に不満を持つ者も存在し、侍大将桜田玄蕃らは秀宗に対し、公頼に異心ありとして讒訴します。そして元和6年(1620)6月29日夜、刺客が山家邸(現丸之内和霊神社)を襲撃、公頼をはじめ二男治部、三男丹治、隣家の娘婿塩谷内匠父子を斬殺。四男美濃も井戸に投げ込まれ殺害されます。

この襲撃については「御仕置」「御成敗」という言葉が用いられていることから、秀宗の密命による上意討ちと見られます。

事件後、寛永9年(1632)金剛山大隆寺で秀宗夫人桂林院殿の三回忌中、大風により落下した本堂の梁の下敷きとなり桜田玄蕃が圧死。事件の関係者と目された人々も相次いで変死。人々は公頼の怨霊の祟りとして恐れます。その後の地震、旱魃、大風雨、大飢饉も祟りとされました。

寛永8年(1631)、領民は城北森安の八面大荒神の社隅に小祠を建て、児玉(みこたま)明神と称し公頼の霊を祀ります(現在の城北中学校敷地内。現在も入らずの森として残っているそう)。これが和霊神社の始まり。

その後、公頼の冤罪は証明され、承応2年(1653)6月24日に宇和島藩は京都吉田家から奉幣使を迎えて檜皮森に山頼和霊神社を建立します。

それから向山、森安山と移転を経て、享保16年(1731)に現在地へ遷座。

享保20年(1735)に5代藩主村候が社殿を建立します。「殿社の結構も亦比類なし」と言われるほどの社殿だったそう。

享保13年(1728)には吉田家から明神号を授与され和霊大明神と号しています。

その後明治6年(1873)郷社、大正8年(1919)県社、昭和28年(1953)には神社本庁の別表神社に列しています。

昭和20年(1945)には戦災で焼失するも、戦後再建され、現在に至ります。

総奉行として藩の運営に携わった重臣だったとはいえ、一人の家臣、それも近世の人が広範囲の信仰圏を持つ神となったというのはなかなか類を見ないように思います。

元々領民に慕われていた、非業の死を遂げたといった事情や当時の時代背景もいろいろ絡んでくるのでしょうが、信仰圏が広がっていった過程を詳しく調べてみたくもあります。現在も信仰は根強いようで、流行神といってしまうには少し違う気もしますし…

御朱印

御朱印はあります。

拝殿そばの社務所で拝受可。

オリジナル御朱印帳もあり。ピンクで華やかな感じです。

アクセス

宇和島駅の北に和霊公園があります。

和霊公園東端の道を入り川を渡ると神社の駐車場入り口。

ここ。

神社概要

社名和霊神社(われいじんじゃ)
旧称和霊大明神
通称和霊さま
住所愛媛県宇和島市和霊町1451
祭神山家清兵衛公頼命
配祀

山家治郎命(二男)

山家丹治命(三男)

山家美濃命(四男)

塩谷内匠命(家従)

塩谷帯刀命(長男)

塩谷勘太郎命(二男)

社格等

別表神社

旧県社

御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり

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