愛媛縣護國神社(松山市御幸)

愛媛縣護國神社。

松山城の北東、道後温泉の西あたりの位置に鎮座。

旧内務大臣指定護国神社で、現在は別表神社。

境内

大鳥居。境内入口から100mほど南にあります。

 

大鳥居脇社号標

 

鳥居

 

社号標

 

狛犬

 

神門。神門の先に拝殿がありますが、柵があって神門より奥へは入れませんでした。日時の関係なのか、常になのかは不明。

 

境内

 

境内右手の鳥居

境内社等

神楽殿

 

案内札

石柱と歩哨舎

松山歩兵㐧22連隊は明治17年2月7日創設以来、最精強とうたわれた この石柱は終戦まで60余年歳月の中に日本の盛衰をみつめながら幾多の将兵を送迎した由緒あるもので陸上自衛隊松山駐屯地にあったが愛媛縣護國神社に移設しその栄光をたたえつつ永久に保存することとなった

横の鳥居は忠魂社の鳥居。

 

零戦のプロペラ

 

天壤無窮。陸軍大将秋山好古謹書。

由緒

境内由緒板

愛媛縣護國神社御由緒

○御祭神

明治戊辰の役より大東亜戦争に至る迄の国難に殉ぜられた愛媛県出身の英霊

公務殉職者(自衛官・警察官・消防職団員)

又郷土の産業・文化発展の功労者等

松山城初代城主 加藤嘉明命・俳人 正岡子規命

伊予絣の創始者 鍵谷カナ命

四万九千七百余柱を御奉斎

○ご由緒

明治三十二年「私祭招魂社」として創建

大正二年 新立町多賀神社に「愛媛招魂社」と改称移設

昭和十四年 現在地に遷座

社号を「愛媛縣護國神社」と改称

神饌幣帛供進神社県社に指定

昭和二十年七月二十六日 戦災により焼失

仝二十六年から三十年の四年間で現在の社殿を竣工

○皇室の御崇敬

昭和四十一年四月 天皇皇后両陛下御親拝

昭和四十九年七月 皇太子同妃殿下御参拝

昭和二十八年十月 高松宮宣仁親王殿下御参拝

扁額「護國」の御奉納を賜る

昭和五十年十月 常陸宮同妃殿下御参拝

由緒は上記の通り。

戦後の一時期、神道指令により御幸神社と改称するも、昭和27年に現社名に復称。

愛媛万葉苑

社地は東西に広く、社殿のあるのは東半分ほどの範囲。

西半分は愛媛万葉苑という公園になっています。元は郷土植物園として作られ、昭和42年に熟田津歌の碑が建立されたのを機に、万葉集に詠まれた植物を集めて翌昭和43年に愛媛万葉苑として開園した、という場所です。参拝時は全然気づかずスルーしていました…

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

アクセス

伊予鉄の赤十字病院前停留場から北へ500mほど行くと大鳥居があります。そこからさらに直進。駐車場は境内正面にあります。

ここ。ただ、入口に契約者以外進入禁止の札が立っています。公式HPにもここが駐車場と案内あるのに…社務所で聞いたら停めてOKとのことでした(一部契約者専用の区画があるらしい)。

神社概要

社名愛媛縣護國神社(えひめけんごこくじんじゃ)
旧称私祭招魂社→愛媛招魂社→御幸神社(戦後一時期)
住所愛媛県松山市御幸1-476
祭神愛媛県出身の護国の英霊・公務殉職者・功労者
社格等

旧内務大臣指定護国神社

旧県社

御朱印あり
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.gokoku.org/

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