志和古稲荷神社。
紫波町升沢字小森に鎮座。志和稲荷神社のお隣。
昭和の頃、狐のミイラが発見され、今も祀られている珍しい神社。
境内
社頭
社号標
鳥居
扁額
鳥居
手水舎
鳥居
お狐さん
石段
駐車場横の鳥居
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
御眷属社
台風で倒伏した御神木の中から発見された狐のミイラが祀られています。扉の縦格子の隙間から、その姿を見ることができます。
御眷属社と拝殿
昭和二十九年(西暦一九五四年)九月二十六日の台風十五号(青函連絡船洞谷丸が沈没した時の台風)によってこの場所に立っていた御神木の大杉(樹齢約八百年)が倒伏しました。
その残木整理をしていた際、九月二十九日の稲荷様のご縁日の日に不思議なことに、その根本の空洞から御眷属のミイラが出現いたしました。
全国に稲荷神社は約三万社ありますが、このような例はいまだかつて聞いたことがありません。
その年より御眷属ミイラに願い事をとなえると、稲荷大神に伝わり、叶うといわれています。
※御眷属とは古稲荷大神にお仕えするきつね様です。
御神木
方位社
天満宮
境内社
境内社
この砂は守護神大地主大神を奉斎し清浄にお祓いした砂です 家屋建設用地に散供しその敷地を清め土地建物の平安堅固を祈ります 当社で行う地鎮祭起工式にはこの砂を盛砂とし鍬入を行い工事の安全を御祈願致しております
車両清祓殿
稲荷社
石祠
出羽三山碑
天満宮碑、祠、出羽三山碑、八幡神碑(?)
祠と石碑
古峯神社碑
祠
祠
石碑と祠
金刀比羅宮碑
神楽殿
由緒
志和古稲荷神社
鎭座地 岩手県紫波郡紫波町升沢字小森一〇八番地
祭神 宇迦御魂命
由緒
神社の御創祀は年代不詳。この地方一帯を領知していた斯波氏の厚い崇信を受けられた。
以前のことは不明であるが、御創建の往古にあった事は一見社名に知られ、ことに古く本宮と称し、修驗道を以って世襲した祀職が本宮寺と称し、維新に及んだことに依っても明らかである。
藩主南部利直公以来、数回社領の御進献あり、歴代藩主事大小と無く祈願を籠められ、藩主の親拝、代拝すこぶる頻繁であり、修理一に藩費に出ていたのである。
規模大ならざる当社が、いかにその由緒の深遠なるものであるかを物語るものであり、公に領内稲荷社の第2位に列せられてあった。
境内地 二、二四四平方米
宗敬者 東北六県並びに北海道に及ぶ
祭日 春の三午祭(旧二月) 初午祭、中午祭、末午祭
秋の三九日祭(旧九月) 初九日祭、中九日祭、末九日祭
創建時期は不詳。
かつては本宮と称し、修験道を以て世襲した祀職が本宮寺と称したといいます。
この地域を治めていた斯波氏の篤い崇敬があったとされ、また後にそれに代わった南部氏も同じく崇敬したとされます。
領内稲荷社の第2位に列せられていたといいます(1位は南部藩直祭の榊山稲荷神社)。
また、南部利済公が志和両稲荷参詣のために造った稲荷街道(盛岡城・志和両稲荷間約20km)は、整備工事に25,000人以上を要した大土木工事だったといわれます。
昭和29年(1954)9月26日の台風15号で御神木の大杉が倒伏。
その残木整理中に根元の空洞から狐のミイラが発見されたので、現在も社殿手前の御眷属社にそのミイラが祀られています。
なお、アニメ「いなり、こんこん、恋いろは。」の10話OPに当社境内が登場しているそうです。
未視聴なので一枚絵だったのかどうか、とかはわかりません。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
アクセス
志和稲荷神社と隣り合っているので、志和稲荷神社のアクセス項をご参照ください。
県道162号の看板が出ている箇所で、当社へは直進します(志和稲荷神社は左折)。
境内南側に広めの駐車場あり(位置)。
神社概要
社名 | 志和古稲荷神社(しわふるいなりじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 本宮 本宮寺 |
住所 | 岩手県紫波郡紫波町升沢字小森108 |
祭神 | 宇迦御魂命 |
社格等 | 旧無格社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | http://shiwa-furuinari.com/ |
備考 | – |
参考文献
- 「鱒沢村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「志和古稲荷神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995