志和稲荷神社(紫波町升沢字前平)

志和稲荷神社。

紫波中央駅の西約7km、紫波町升沢字前平に鎮座。

神社本庁の別表神社に指定されている神社。

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境内

案内板

ここを曲がらず直進すると志和古稲荷神社があります。

 

社号標

 

大鳥居

 

扁額

 

大鳥居下にあった由緒碑なんですが読めない箇所が多いので転記はやめておきます

昭和8年にできたそうです。

 

社号標

 

も一つ社号標

 

社頭

 

お狐さん

 

お狐さん

上掲のとこちらは耳欠け石造狐というそうで、由緒書によれば「滝名川の水をめぐって稲荷前で水喧嘩が度々起り、農民同士が我田引水の血を流す騒動があったとの記録が残っており、その時に被害にあったと伝えられております」とのこと。

 

鳥居

 

鳥居

 

扁額

 

奥州総鎮護志和稲荷神社

 

参道

 

鳥居

 

扁額

 

鳥居

 

扁額

 

茅の輪

神社公式webサイトの境内案内だと藤の輪とあります。

 

手水舎

社殿

拝殿

 

扁額

 

拝殿のお狐さん

 

本殿

 

本殿扁額

 

本殿のお狐さん

境内社等

拝殿右手の十二支社

 

一言主社

 

一言主明神の石碑と石祠、石碑

 

御室

 

お狐さん

 

 

池の畔の祠

 

祖霊社

 

自動車祓殿

 

御神馬

 

中風除け寿命神

 

中風除け寿命神ご守護のご案内

私たちの人生は、いつでも心身共に健康であってこそ幸福であると言えましょう。

病は気の持ち方といわれますが、中風の病だけはどうもそうばかりではないようです。

どうすればいつも健康でいられるか、人の知られざるところにその秘密があります。

志和稲荷神社寿命神は、中風除けに霊験ことのほかあらたかにましまして祈る人々の、健康をお守り下さいます。

神代の昔より、桑は病魔退散のお祓いに用いられ、不老長寿の妙薬にもなるほど、人間生活と大変密接な関係があります。日々健康でありますよう、御神像を「さすり」、自分の体に有難いご利益をいただきましょう。

 

神楽殿

御神木 稲荷山大杉への参道

御神木への参道

 

御神木への参道入口付近の大樹

 

大樹根元の祠

 

大樹根元のお狐さん(帽子かぶっていてかわいい)

 

参道

 

分岐

 

右手(山祇社へ)の道

 

護摩焚所

 

神名の記された標柱…境内社?

 

山祇社

 

山祇社後方の大樹

 

左手の道

 

石祠

 

こちらにも神名の記された標柱

御神木

御神木、稲荷山大杉。大分傷んでいるのか、補強されています…

 

御神木

樹齢 壱千弐百年余

周囲 十四メートル

高さ 四十五メートル

 

根元のお賽銭箱とお狐さん

 

御神木

樹齢 壱千弐百年余

周囲 十四メートル

高さ 四十五メートル

東北随一の樹齢・大きさを誇る御神木は源頼義・義家が安倍一族征討のため下向され陣ヶ岡に滞陣中、祈願のため伏見稲荷大神様を勧請したと伝えられております。

古来より、稲荷山の表徴である大杉の神秘満ち溢れる霊力を求め老若男女の敬虔なる祈りが捧げられて参りました。

現在、延命長寿・縁結び・子孫繁栄の御神木として篤く信仰されております。

由緒

奥州総鎮護 志和稲荷神社

旧社格 県社

鎮座地 紫波郡紫波町升沢字前平一七番地

御祭神 宇迦之御魂大神 猿田彦大神 大宮能売大神

例祭日 五月五日

御由緒

天喜五年(西暦一〇五七年)源頼義・義家が安倍一族の征討のため下向され、志和陣ヶ岡に滞陣中、祈願のために勧請され、その後藤原秀衡管領のとき藤原氏の一族樋爪俊衡、同季衡が再建され、その後正平年間(一三四六年~一四七〇年)足利氏の一族斯波家長が志和城主のとき社殿新築、その後は斯波氏累代の崇敬厚く、七代詮直の代に再建せられた。

ついで、天正十六年(一五八八年)斯波氏に代って南部氏の領となり、南部氏代々の祈願所として歳々に直拝され、社領奉納普請を重ねられた外、盛岡から五里の間「志和稲荷街道」の参道をも開かれた。

なお大正七年(一九一八年)県社の社格に列せられた。

更に昭和三十二年(一九五七年)六月神社本庁の別表神社となる。

境内地 三、九七一坪 境外社有地 二一八坪

崇敬者 全国各地に四〇万人を数える。

創建は天喜5年(1057)。

源頼義・義家が安倍一族の征討のため下向、志和陣ヶ岡に滞在中、祈願のために伏見稲荷神社の分霊を勧請したのが始まり。

 

その後藤原秀衡のとき、志和城主で藤原氏一族の樋爪俊衡、季衡が再建。

(文治5年の奥州合戦の時に源頼朝が再興したとも)

正平年間(1346~1370)斯波家長が社殿再建。その後斯波氏の崇敬篤く、7代千直のときにも社殿再建。

南部氏の領になってからは南部氏代々の祈願所となり、盛岡から5里の「志和稲荷街道」も整備されました。

 

大正7年(1918)県社列格。

昭和32年(1957)神社本庁の別表神社に指定。

 

なお、菅江真澄は著書『委波底迺夜麼(岩手の山)』に次のように記しています。

「志和のいなりの社は、まことの志賀理和気の神の古い跡と、かねて聞いていた。」(東洋文庫『菅江真澄遊覧記2』P.82 下段より引用)

現在は特に当社が式内社 志賀理和氣神社の論社として挙げられることはありませんが、かつては上記のような伝えがあったのだと思われます。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

オリジナル御朱印帳もあります。

私は参拝時に気づきませんでした…

アクセス

国道4号を日詰駅の北東で西に入って県道46号を直進、途中紫波ICのあたりで県道162号になりますがなお直進。

 

ここの左手に志和稲荷神社の看板が出てますので、左折。

そのまま大鳥居を潜って道なりに行けば神社前へ。

道路沿いに駐車場あり。

神社概要

社名志和稲荷神社(しわいなりじんじゃ)
住所岩手県紫波郡紫波町升沢字前平17-1
祭神

宇迦之御魂大神

猿田彦大神

大宮能売大神

社格等

式内社 陸奥国斯波郡 志賀理和氣神社

日本文徳天皇実録 仁寿二年八月辛丑(七) 志賀理和氣神 正五位下

旧県社

別表神社

御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.shiwa-oinarisan.jp

参考文献

『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』 皇学館大学出版部

 

『日本歴史地名大系 3 岩手県の地名』 平凡社


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