鹿島神社(一関市真柴字佐野)

鹿島神社。

一ノ関駅の南南西3.5km、真柴字佐野に鎮座。

明治期から昭和初期まで、鬼死骸八幡神社が合祀されており、また付近には「鬼石」「肋石」といった鬼死骸の地名に関連する巨石があります。

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境内

神社下の路肩から見上げた鳥居

右側の坂道から登ります。

 

鳥居

 

手水鉢

 

石段

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

幣殿

 

本殿とその前にある石組

右が鹿島神社本殿、左が境内社の八幡神社だそうです。

境内社等

馬櫪神碑

 

山神碑と竹駒大明神碑

鬼石

神社手前の水田の中に、鬼石があります。大武丸の死骸を埋めた上に置かれたとされる石です。

 

場所はここ(位置)。

 

鬼石

肋石・背骨石・兜石

鬼石から少し南にいった場所に、肋石・背骨石・兜石があります。

 

場所はここ(位置)。

 

4つ並んでいます

草に埋もれていてちょっとわかりづらい。

 

肋石

 

背骨石

 

兜石(女)

 

兜石(男)

なぜ兜石だけ男と女があるのかは不明。

明治天皇小次遺趾と鬼石井(的場清水)

鹿島神社前の道を線路沿いに北西に進むと明治天皇小次遺趾碑があります。

 

このあたり(位置)。

 

明治天皇小次遺趾碑

この左奥あたりに、鬼石井(的場清水)という清水があります。鬼石を取ったときに、そこから湧いたとされる清水。碑の左奥にトタン小屋がありその中に今もあるそうですが、写真でわかる通り碑が隠れるほどに草がぼうぼうで、まるで見えませんでした。

由緒

創建は不詳。

真瀧村誌によれば、延暦20年(801)、坂上田村麻呂が大武丸を誅した後、鹿嶋神社を勧請したとされます。また同書に、当地は元は大村大明神の社地で、移転後に鹿島神社の社地となったとありますが、この大村大明神がどの神社かは不明。

 

井戸沢という地区にあった鬼死骸八幡神社が明治期に当社に合祀されたといいます。

その後鬼死骸八幡神社は現在地に遷座。

鬼牙石という物が奉納されていたそうですが、大正5年に鬼死骸八幡神社に引き取られたとのこと。

 

『真瀧村誌』には無格社鹿嶋神社 旧村社とあるので、元は村社で後に無格社になったのかもしれません。あるいはその発刊(大正5年)以降に村社となったか。

 

御朱印

御朱印の有無は不明。

本務社は一ノ関駅の南西、一関市字釣山19の八幡神社です。

アクセス

一ノ関駅前から国道342号を南下、3kmほど先の分岐(位置)を直進し県道260号を南下。

県道260号に入ってから500mほど(位置)で右折し、的場踏切を渡ります。

踏切を渡り左折すると神社下。

神社下は路肩に待避所と思われる広い砂利のスペースがあるので、このはじっこあたりに邪魔にならないように停めます。

神社概要

社名鹿島神社
通称
旧称
住所岩手県一関市真柴字佐野40
祭神武甕槌命
社格等村社(無格社?)
札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし(神社下路肩駐車)
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「鬼死骸村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)