鎭岡神社(奥州市江刺区岩谷堂字五位塚)

鎭岡神社。

水沢江刺駅の北北東約3kmに鎮座。

式内社 鎭岡神社に比定される神社。

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境内

一の鳥居

 

社号標

 

二の鳥居

正面にある石碑は、菅江真澄の歌碑。

「かしこしな あらふるとても ぬさとらば こころしつめの 岡の神籬」

 

三の鳥居

 

手水舎

 

狛犬

 

境内

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社

不動堂

「鎮岡創建の頃からあった不動明王を祀る」

 

境内社

 

石碑群

由緒

延喜式内社 鎭岡神社御由緒

当神社御祭神は天の下造らしし大神にして、神事を主宰し、農耕を保障する穀神として国民の生業を守護し給う大己貴命(大国主神=大国さま)である。

律令国家当時は、神階を授かり幣帛をあずかる官社として保護が厚く、「延喜式」の神名帳に記されている神社である。(陸奥国百座内 岩手県十四座)

とりわけ前九年、後三年の役のあと亘理権大夫藤原経清と安倍頼時の娘との間に生れた藤原清衡公は、篤くこの神を尊崇し、豊田城を構えた際当神社の御社殿を修築し、天下泰平武運長久祈願のしるしとし、荘園十町歩を献奉、宝庫を建立、武具一式を奉納せしが、のち兵火で炎上したと伝えられる。

その後、時経りて天明五年秋、三河の国の国学者菅江真澄が当神社にぬさたいまつらんと訪れ、今当神社の御神歌と奉る「かしこしな あらふるとても ぬさとらば こころしつめの 岡の神籬」は、真澄遊覧記「委波氐廼夜麼」に記されている。

明和五年御社殿修築、天保六年再建奉遷、明治六年村社に列格され、その後、御神威を仰ぐ県内外の氏子崇敬者崇信の誠を捧げし寄進をもって、境内を拡張整備、昭和二十年十一月八日郷社に列せられる。

創建時期は不詳。

『安永風土記』によれば称徳天皇の御代(764~770)に勧請されたとされます。

奥州藤原氏が平泉に進出する前に当社鎮座地の餅田に居館を構えていたとされ、その崇敬が深かったと考えられています(当社の北700m弱のところに居館跡に擬定される豊田館跡があります)。特に藤原清衡は社殿修築、荘園献奉、宝庫建立、武具一式を奉納したとされます。

延喜式神名帳にみえる「陸奥国江刺郡 鎭岡神社」を当社にあてる説があります。

 

天明5年(1784)に菅江真澄が当社を訪れ、「かしこしな あらふるとても ぬさとらば こころしつめの 岡の神籬」の歌を詠み、これは御神歌とされています。

明治6年村社列格、昭和20年郷社に昇格。

 

なお、九条家本・武田家本などの延喜式神名帳には「偵岡神社」と記されており、これをものみおかと読んで種山の偵岡に鎮座していた神とする説もあるようです。これは当社の東北東18kmほどにある物見山(種山、位置)を指すかと思われます。

なお、国見山廃寺跡そばにある国見山神社(位置)がその遥拝所で、そちらを式内 鎭岡神社とする説もあるようです。

御朱印

御朱印はあります。

ただし神社には宮司さんが常駐されていないので、宮司さんのお宅に伺う必要があります。

場所はイオンタウン江刺の北北東400mあたり。連絡あったほうがいいと思います。

アクセス

東北自動車道の水沢ICを降り、水沢方面へ出ます。

国道4号の水沢東バイパスを少し走り、四丑橋西交差点(位置)で左折。

3.5kmほど先(位置)で左折して国道456号に入り、そこから2kmほどで神社前。

国道から東に入る細い道(位置)の奥に鳥居が見えますので、鳥居に向かって進み、鳥居右手の車道を登れば、境内に車を停められます。

神社概要

社名鎭岡神社(しづめがおかじんじゃ)
通称
旧称
住所岩手県奥州市江刺区岩谷堂字五位塚179
祭神大己貴命
社格等

式内社 陸奥国江刺郡 鎭岡神社

旧郷社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「鎮岡神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「鎮岡神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』皇學館大学出版部, 1987