鳴無神社(須崎市浦ノ内東分)

鳴無神社。

横浪三里と呼ばれる浦ノ内湾の奥、海に面して鎮座。

一説に、土佐神社の元宮とも言われる神社。

社名の読みは「おとなしじんじゃ」。

広告

境内

境内南側の赤い鳥居と扁額

 

海に面した一の鳥居。

参道は海に向かって伸びています。この景観から、当社には「土佐の宮島」との呼び名も。

 

海への階段

 

海からの参道

 

一の鳥居

 

扁額

 

二の鳥居

 

扁額

 

社号標(文化財表示)

 

狛犬

 

手水舎

社殿

拝殿

 

拝殿内扁額

 

幣殿と本殿

拝殿、幣殿の落ち着いた感じと本殿の華やかさが対照的です。

 

案内板

鳴無神社社殿

昭和28年3月国の重要文化財指定

祭神・一言主命(味鉏高彦根命)

創建・1500余年前と伝えられる

社殿は古来度々建て替えられたが、現社殿は山内二代藩主忠義公が寛文二年(1663年)再建。その後腐朽し昭和31年~32年解体修理。工費約740万円。本殿は二間四面の春日造。こけら葺。極彩色内陣。天井に天のの舞の絵(伝、村上龍円筆)幣殿、拝殿は切妻造。こけら葺。

祭礼・8月25日、志那祢祭、海上御神幸

旧8月23日、秋祭、神踊を奉納

社宝・鍔口、寛文三年の銘(重要文化財、県文化財)。八角形漆塗神輿、石灯籠、手洗鉢並びにツゲモチは共に市指定文化財

境内社等

井戸?

 

藤原家隆の歌碑

 

歌碑説明板

土佐の海に御船浮べて遊ぶらし都の空は雪解のどけき

この歌は、平安時代の歌人藤原家隆朝臣が、京の都よりお船遊びの状を想い浮べて詠じた歌である。

そのお船遊びは、今から千二百四十年余前(七五九)より鳴無神社の神事として始まり、高知市一宮土佐神社も御神幸になり、共に浦ノ内湾いっぱいの賑やかなお船遊びとなった。全国にも名高きものとなり、京の都から和邇部用光等有名な楽人も時々下向し、楽を奏じて祭典に奉仕された。

 

赤い鳥居より100m程手前に竈荒神社が鎮座

 

また、湾を挟んで北に当社の遥拝所があります。

 

 

また『高知県神社明細帳』によれば、「本社ヨリ内海差渡シ西ノ山端」に御旅所があるようです。

由緒

神社由緒書

旧記によれば、この大神此の地に鎮座したのは、今より一五五〇年余(西暦四六〇年)の昔、雄略天皇の四年十二月晦です。大神は天皇との間に諸事有って京の葛木山を出られ、船に乗って海に浮び浦ノ内南半島の太平洋岸にご上陸。海水煮き火食せられ、その立ち上る煙を見た里人が行って見ると、現人神であられたので、尊び敬って大神と御船(金剛丸)を担ぎ、山を越え玉島(現社殿地)に迎えた。そして宮殿を建て大神を奉安し、御船は社殿右脇の山に封じ、御船山として注連縄を張り、大切にしている。

創建は460年とされていますが、古厨子裏書には建久5年(1194)宝殿造立、棟札には建長3年(1251)建立等とあり、実際のところ創建は鎌倉期を下るものではないとの見方もあります。

『平成祭データ』には「白鳳13年8月14日地震のため当郷の地大半1度海底に沈みしため、今の地に社殿を設け和鎮す。」との記述も。

白鳳地震で旧鎮座地が水没、その後長いこと経ってから現地に再建されたということなのかも知れません。

 

当社と土佐神社の祭神が同一なのは土佐神社が当社の別宮であったためだそうです。

 

また、一説には当地は土佐神社祭神が土佐に流された際に辿り着いた最初の鎮座地ともいわれ、祭神が「此所は神慮に叶はす」として「石の落止る所に宮を建てよ」と石を投げ落ちた場所が現在の土佐神社の地だったとの伝承もあります。

この石が、今も土佐神社にある礫石であるといいます。

 

 

社殿右脇の山には一言主命の御座船・金剛丸が埋められたといい、御船山といわれます。

『日本の神々』によればそこには巨石があって不入の聖地であり、祭事の御神酒はまずここに供えてからいただく習わしとなっているそう。

 

8月24日、25日には志那禰祭が行われます。

御船遊びと称した、大漁旗をなびかせた漁船の海上パレードがあります。

かつての志那禰祭では土佐神社から海上神幸があったそうです。

また、旧暦8月23日の秋祭り(チリヘッポ)で奉納される神踊(こおどり)は県指定保護無形民俗文化財となっています。近年は踊り手である子供の減少のため、行われない年もあるんだとか。

御朱印

御朱印はあります。

ただし、宮司さんは常駐されていないので、事前連絡が無難です。私は参拝当日に電話しました。ネット情報では、休日にはいらっしゃることが多いようです。

御朱印だけでなく、歴史や本殿のことなど色々聞かせていただけました。

アクセス

県道47号(横浪黒潮ライン)を、浦ノ内湾最奥部の南端あたり(位置)から脇道に入ります。

鳴無神社の案内が出ているので、迷うことはないでしょう。1km程道なりに進むと赤い鳥居が見えます。

はっきりとした駐車場はないですが、鳥居手前の道路脇が広い空き地になっている(位置)ので、ここに停めて大丈夫なようです。

 

なお、当社へは浦ノ内湾の巡航船で来ることもできます。

詳細は市の公式サイトを参照。

 

 

巡航船は一の鳥居の前に停まるそうなので、海から参道をまっすぐに参拝できます。

 

問題は鳴無からは帰りの便がない(鳴無から埋立行きは朝7時台の第1便だけ)ので、横浪か須ノ浦まで歩かないといけないところ…バスもないので、帰りの船を逃すとタクシーを呼ばないと戻れなくなってしまいます。

埋立まで戻れれば、宇佐のバス停からバスで高知市街地まで行けます。(1時間1本ほど。詳しくはとさでんのWebサイトから路線バス時刻表をご確認ください(時刻表→路線バス→停留所別時刻表にあるこうちバスマップの34のセルに宇佐があります)。

 

神社概要

社名鳴無神社(おとなしじんじゃ)
通称
旧称鳴無大明神
住所高知県須崎市浦ノ内東分字鳴無3579
祭神

一言主命

級長津彦命

級長津姫命

社格等

式内社 土佐国土佐郡 都佐坐神社 大(旧地)

旧郷社

札所等
御朱印あり(神職非常駐、事前連絡が無難)
御朱印帳
駐車場あり
備考

参考文献

  • 「鳴無神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「鳴無神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 484コマ