天忍穂別神社(香南市香我美町山川)

天忍穂別神社。

香南市香我美町山川に鎮座。

式内社 天忍穂別神社に比定される神社。

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境内

参道沿いにモノラック(モノレール)のレール

 

鳥居

 

狛犬

 

社号標

 

石段

けっこうな長さです。

 

石段上から

 

手水舎

社殿

拝殿

 

拝殿左右から

 

扁額

 

本殿

境内社等

棚機神社

 

狛犬

 

棚機神社の後ろの巨岩

棚機神社は元は岩窟内に祀られ、のちに窟内に社殿を建設したと『式内社調査報告』にあるのですが、今も中に社殿があるのでしょうか。

 

棚機神社(通称 千々姫様)

御祭神 栲幡千々姫神

栲幡千々姫神(別名 萬幡豊秋津姫命)は蜻蛉の羽のような繊細な薄い布を織る事の出来る織姫様です。その布を天照大御神に送られたと古書に記されています。御神徳は女性の手技上達開運招福、恋愛と幅広くお守り下さいます。

本社の天忍穂別大神とは、ご夫婦の神様です。

その御子が饒速日尊(石船様)です。

三月二十八日の春祭(竜王祭)は、栲幡千々姫神に祈願したことが由来と言われています。

七月七日(七夕)のお参りもご利益があります。

※栲(タエ) 梶の木の繊維を織った白布

 

なお境内神社として他に末信神社(大山祇神社を合祭)があるそうですが見当たらず。

 

 

大桧

 

香南市指定文化財 天然記念物 石船神社のヒノキ

ヒノキ科ヒノキ属の針葉樹

幹周 約四・二六メートル

樹高 約三二メートル

推定樹齢 六百年

県内稀に見る巨木であり、樹勢も盛んな良木で、神社の森の中核をなすものである。

石舟

当社の境内には、饒速日命が乗ってきたという石舟が今も残っているとされています。

 

当初、棚機神社の巨岩がそれかとも思いましたが、舟形ではないしどうも違いそうです。

調べてみると、本殿の横にそれらしき岩があるようですが、そこまで登る道がありません(一応棚機神社側から登ろうとすれば登れますが、立ち入っていいのかわからず)。

 

ただ、本殿左下から見上げると、それらしき石の先端が見えます。

 

石舟?

この角度からだと確かめようがありません。

 

拝殿周りにも小さな石舟がいくつかありました

 

なお、香南市のWebサイトで公開されている広報『こうなんNOW』の2012年12月号裏表紙に当社が取り上げられ、舟形の石の写真が載っているのですが、果たしてそれが伝説の石舟なのか、奉納された小さな石舟なのかがわからず(一緒に写っている葉っぱを見るとどうも小さいものに見える)。

 

由緒

石舟さま由来

昔天照大神のお孫様で饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という神様が、石舟に乗り大空を天かけり給い、山川のスミガサコの山の峰にお着になりました。

饒速日命は、まず、河内の国のある山にお降りになり、それから大和の国の桃尾山の麓におとどまりになって、やがて父神の天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)を慕って、土佐の国へお着きになりました。土佐へ初めてお降りになったのは、物部川下流の上岡山(野市)で、それから富家村に入られ西川村・長谷の小村・峠の船戸・末延の水船・山川の舟谷を経て、今のスミガサコのお社にお着きになったといいます。

舞川の地石は、この神様がお休みになった時舞楽をなされた跡で、長谷の小村には烏帽子(えぼし)をかけられたという烏帽子岩があり、今のお社の南の谷はお冠を取られた所でカットリといいます。北の谷は杖谷といい、命(ミコト)がホコを置かれた所。その側の首珠が佐古は、お首飾を置かれた所といわれます。

饒速日命がお乗りになった石舟は、境内の裏手にあり、巨大な自然石の舟型をしております。又附近には、船乗り達が献納した小さな石舟がどっさり置かれています。この小さな多くさんの石舟たちが物語る様に、航海の安全を守る舟神様であると共に、疱瘡(ほうそう)様の神様としても知られております。

 

香南市指定文化財 史跡 石舟神社(天忍穂別神社)

饒速日尊の後裔といわれる物部氏のの祖神として祀られた。延喜式神名帳に記載されている神社で式内社といわれるものである。

祭神・天忍穂耳尊、相殿・饒速日尊の二神が祀られている。

先に鎮座した父神・天忍穂耳尊を慕って饒速日尊が石舟に乗って天降り、この地に飛び降りて相殿に鎮まったとの伝説がある。

創建時期は不詳。

当地は物部氏が根拠とした地で、その祖先神を祀った神社とみられています。

和名抄の物部郷や、物部川の名も物部氏に由来するとされます。

伝承においては、先に天忍穂耳尊が当地に鎮座し、御子神の饒速日尊が父を慕って石舟で当地に飛来し、相殿に鎮座したといわれています。

 

延喜式神名帳にみえる「土佐国香美郡 天忍穂別神社」は当社に比定されています。

なお、社名が「天忍穂神社」となっている理由は定かではなく、『式内社調査報告』は「耳と別を誤ったのか」とします。『平成祭データ』では祭神も「天忍穂神」となっており、高知県神社明細帳でも「天忍穂尊」と記載されています。

 

以降の沿革は詳らかではありませんが、物部氏を始めとした人々の崇敬は厚かったようです。

元亨4年(1324)の当社宛の政所下知状には、社役などを懈怠なく勤仕することを命じる旨や、物部氏の祢宜職を定める旨が記載されています。

宝永2年(1705)、谷秦山による調査がなされ、石舟神社から天忍穂別神社へ改称(とはいえ、現在に至るまで石舟神社で通っています)。

 

明治5年県社に列格。しかし後に郷社とされています。

明治12年に調査されまとめられた高知県神社明細帳には郷社とあるので、明治5~12年のどこかのタイミングで変更となったとみられます。

 

「石舟」の名からか、海上安全の神としての信仰がある他、疱瘡の神としての信仰もあるようです。

 

鎮座地の住所について、境内由緒書や『式内社調査報告』、Wikipedia等では字(小字)名を「スミガサコ(隅ヶ迫)」としますが、登記上は「スズガサコ」であり、『日本歴史地名大系』もこれに倣っています。本来の字名はどちらなのでしょうか。

 

祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(天忍穂別神)。異説はないようです。

また御子神の饒速日尊が配祀されています。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

かなりわかりづらい場所にあります。

ルートはいくつかあるのですが、高知市方面からであれば、国道55号で野市の方に向かいます。

物部川を渡って1kmちょっと先(位置)で左折。450mほどでのいち駅前に出るので(位置)右折。

しばらく道なりに直進すると、川沿いの県道30号に出ます(位置)。ここから30号を北上。

6kmほど先(位置)で右折(青看に山川とある方)。

2km弱先(位置)で県道231号に出ますので、左折。

300m弱先(位置)、路肩に「石舟神社←700M」の看板が立っています。

 

石舟神社の案内板

ここを左折し道なりに進めば境内下まで車でも行けるのですが…

 

集落内はまだ良いのですが

 

最後の民家前を過ぎ三叉路を直進すると(左はすぐ民家、右に下ると池?に出る)

 

こんな道になります

ほとんど舗装されていて(ダートに見える所も土と落ち葉に埋もれていただけかも)、轍もはっきりしているのですが、木の枝や草で車体に傷が付く恐れもあります。

不安な場合は、上掲の神社看板の辺りは路肩がかなり広くなっているので、そこに車を置いて歩くのが良いかと思います。

 

境内下に駐車場と思われる広いスペースあり

 

※県道221号や222号で来ることもできますが、かなりの険道で危険なのでやめておきましょう(車載動画やストリートビューを見ればわかります)。

神社概要

社名天忍穂別神社(あめのおしほわけじんじゃ)
別称

御石舟宮

石舟大明神

石舟神社

旧称

同上

住所高知県香南市香我美町山川字スズガサコ1024・1025
祭神正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(天忍穂別神)
相殿

饒速日尊

海津見神

社格等

式内社 土佐国香美郡 天忍穂別神社

旧郷社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「天忍穂別神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「天忍穂別神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 443コマ