於呂閇志神社〔奥宮〕(奥州市胆沢区若柳字石淵)

於呂閇志神社奥宮。

胆沢ダム沿いに聳える岩山、猿岩の中腹に鎮座。

式内社 於呂閇志神社に比定される神社。

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境内

参道入口

この階段が目印

 

参道

 

すぐに社殿が見えてきます

社殿

社殿

 

社殿内部

戸は開け放たれていました。

 

猿山大明神の扁額

 

軒先に架かっていた鐘

 

かつて猿岩の下を通る猿岩トンネルというのがあり、心霊スポットだったそうです(現在は胆沢ダムの完成により水没)

この落書きは昔肝試しに来た連中が書いたのではないでしょうか…

猿岩

おろせ広場から見た猿岩

 

参道下から見た猿岩

 

社殿裏から続く道(?)

この先を進むと、石祠があるそうです。さらに上ると猿岩の頂上。頂上には現在は特に何もないそうです。

猿岩の頂上が、於呂閇志神社の最初の鎮座地で、ここが風に飛ばされたため、上述の石祠の地に遷り、その後さらに下って今の奥宮の場所に遷ったとのこと。

また膽澤川神社も元は猿岩の胆沢川に面した場所にあったという説があります。

今回は時間がなく、石祠や頂上には行きませんでした。

なおこの辺りは熊が出るのでご注意ください。

由緒

由緒については於呂閇志膽澤川神社の記事をご参照ください。

 

御朱印

御朱印はありません。

アクセス

於呂閇志膽澤川神社の辺りから国道397号をひたすら西へ。

14km弱行った辺り(位置)で、つぶ沼とおろせ広場の案内が出ています。そこを左折。

150mほど行くとつぶ沼登山口(焼石岳とかの登山口)駐車場があり、トイレもあります。

そこを過ぎて道なりに3kmほど行くとおろせ広場(位置)。

 

おろせ広場にある弘法の枕石

枕にしてはちょっと大きすぎませんかね…

 

弘法の枕石標柱

 

千思万感

その昔弘法大師が猿岩山頂の於呂閇志神社に参詣した折りに一夜を伏したと言われ多くの人々より弘法の枕石と称され祈願されてきた。重量十五トン余りの巨石であります。

この度の胆沢ダム完成により永久に湖中のものとなるため、ここに各位の協力の基に石淵ダム湖底から難を究めつつも引き上げ移設したものであります。

 

胆沢ダム周辺施設案内図

 

仙北街道 下嵐江藩境御番所跡碑

 

おろせ広場のすぐ南に、ダム湖を渡る橋が架かっています。神社へは、この橋を渡ります。自動車通行可ですが、橋を渡った先は未舗装です。

橋を渡り500m程行くと分岐があるので左へ。後は道なりですが、路面状況はお察し。さらに草木が道にはみ出してきているので、車に傷が付く可能性大です。不安な方はおろせ広場に車を置いて歩いたほうがいいかも。上り坂で多少距離ありますが(距離にして2km弱くらい?)。

分岐後に1km弱行くと行き止まりになり、広場になっているので駐車可能。行き止まりのちょっと手前に参道があります。

神社概要

社名於呂閇志神社〔奥宮〕(おろへしじんじゃ)
通称
旧称

猿山大明神

猿山鹿島神社

名倉(蔵)寺

住所岩手県奥州市胆沢区若柳字石淵1
祭神

沢女命

須佐之男命

大日霊命

軻遇土命

誉田別命

神八井耳命

若飯豊別命

彦火火出見命

大山祇命

大名持命

『平成祭データ』

神八井耳命

天津彦火瓊々杵命

大名持命

須佐男尊配祀

大山津見命配祀

木花開耶姫配祀

『胆沢町史』
社格等式内社 陸奥国膽澤郡 於呂閇志神社
札所等
御朱印なし
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考現社地:於呂閇志膽澤川神社

参考文献

  • 「於呂閉志神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「於呂閇志胆澤川神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』皇學館大学出版部, 1987
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十二巻 東北・北海道』白水社, 1984