大水上神社(三豊市高瀬町羽方)

大水上神社。

高瀬駅から約5.6km南東、宮川沿いに鎮座。

式内社 大水上神社に比定され、讃岐国二宮とされる神社。

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境内

県道沿いに建つ一の鳥居

 

社号標

 

二の鳥居

 

注連柱と随神門

 

随神門前の手水鉢

 

参道と鳥居

 

狛犬

 

手水舎

 

時雨燈籠

建立 慶永4年(南北朝時代) 願主 藤原定村 大工 法橋□□

この燈籠は総高246センチ凝灰岩製である。基礎・中台は六角形で竿前面に雲龍文様を薄肉彫する。

建立年代、願主などが明らかな南北朝時代制作の六角形時雨燈籠の貴重な作例である。

 

絵馬殿?

写真がいろいろ飾ってありました

 

境内にあった大きな岩

 

社殿前の狛犬

社殿

拝殿

 

本殿

うなぎ淵(竜王淵)

うなぎ淵(竜王淵)

 

うなぎ淵(竜王淵)雨乞神事遺跡

昔から旱ばつ時、参籠潔斎の上淵の水を桶でかいだす神事が行われた。黒白の鰻がすみ、黒鰻が姿を見せると雨、白鰻がでれば日照りが続き蟹が出ると、大風が吹くといわれていた。

明治・昭和初期斎行の折、降雨の恵みがあり、感謝祭が執行された。

このうなぎ淵は滝の宮神社ともされているようで、祭神は滝田比古命、滝田比売命。古くは三嶋龍神と称されたといいます。

 

うなぎ淵そばの狛犬

磐座(夫婦岩・千五百皇子社)

本殿後方にある夫婦岩

大きな岩が二つ連なった磐座です。

 

うなぎ淵の横から階段が伸びています

 

登っていくと鳥居

 

鳥居脇にミニ狛犬

 

奥に千五百皇子社が鎮座

巨岩が、古代の祭祀遺跡だそうです。

祭神は伊耶那岐命、伊耶那美命。古事記のイザナミとイザナギの、「一日千人絞め殺す」「それなら一日千五百産屋を建てる」というやり取りに基づく社名で、子授けの神として霊験あらたかだそうです。

 

千五百皇子社そばにある産霊神

木の根元の陰陽石が御神体で、やはり子孫繁栄・子授けの神だそうです。

境内社

四社宮

元暦元年の奉願にもかかわらず平家が滅び、当社が度々火災にあったため、祟りを鎮めるため祀られたといいます。願主4人(教盛、経盛、資盛、有盛)を祀ったから四社宮。

 

豊葉神社

 

豊葉神社の由緒

祭神

青葉大神 たばこの神

草野姫命 野の神 草の神

大己貴神 医薬の神

少彦名命 田作の神

由緒

昭和16年坂出地方専売局鑑定課長松下丈夫氏、水戸地方専売局へ転任された際同地にたばこの神様として、信仰厚き青葉大神の鎮座を知るや香川県たばこ耕作者のために御分霊を仰ぎ「水戸局在勤」高瀬町出身森秀一氏をして、斎戒沐浴之を奉戴、たばこ耕作発祥の地である高瀬町瀬丸池湖畔に遷座奉祀された。

戦時中台風のため拝殿倒伏、昭和27年現在地に移転すると共に主神青葉大神の御名にちなみ社名を豊葉神社として奉祀するに至った。

爾来たばこ耕作組合では毎年種子祭、豊作祈願祭を行い県内各地より参拝者は多く県下唯一のたばこの神として崇められている。

 

豊葉神社左右の社

右に牛神神社、左に荒魂神社だそうですが、左右が神社から見てなのか、向かってなのかが不明なのでどちらがどちらかは不明。

 

祓戸社

 

祓戸社そばの社

 

境内社

二ノ宮窯跡

こちらが第一の窯

 

こちらが第二の窯

 

二ノ宮窯跡

大水上神社の境内を流れる宮川ぞいは古来文化の栄えたあかしとして、多くの遺跡が発見されています。

なかでも、この二ノ宮窯跡は貴重な文化財として昭和7年4月25日国の史跡に指定されました。

向かって右側が第一の窯で左側が第二の窯です。第一の窯の中を見ると、葉脈状に火の通り道をつくり、瓦をのせる畝を放射状に配置しています。傾斜の度合からみてこれは「登り窯」の一種と考えられます。

第二の窯は、畝の部分が水平につくられ「平窯」と呼ばれています。窯からは瓦の他、杯、硯などが出土しました。おそらく、平安後期から鎌倉時代にまたがると思われる遺跡です。

由緒

創建時期は不詳。

宮川の最奥部に位置する当社は、農耕に使われた川の水の水源に神を祀ったものと考えられます。社名の水上も水源を意味していると思われます。

 

三代実録 貞観7年(865)10月9日丁巳条に「讃岐国従五位上…大水上神…授正五位下」同17年(875)5月27日戊申条に「授讃岐国…正五位下大水上天神正五位上」とあり、さらに社伝によれば後に正一位まで昇ったとされます。

三代実録 元慶元年3月4日乙巳条に「授讃岐国…正五位下大水神正五位上」ともあるのですが、貞観17年の際と神階が重複してしまいます。この大水神については、垂水神社(丸亀市垂水町、位置)を指すとする説もあります。

延喜式神名帳では「讃岐国三野郡 大水上神社」として三野郡唯一の式内社とされています。

讃岐国二宮ともされています。

 

讃岐綾氏の祖、武殻王の崇敬篤く、隣の多度郡を社領として給したとされます。

また空海が入唐の際に詣でたとか、源平両家から願を受けたとも伝わります。

 

天正年中(1573~92)、長宗我部元親に大破され、後小松・称光・後花園各天皇の勅書を失ったとのこと。

その後京極氏に社領を寄進され、現社殿に復したようです。

 

明治5年郷社、昭和8年県社列格。

 

現在は、大山積命、保牟多別命、宗像大神を祭神としています。

しかし中世までの史料はなく、近世には諸説が提示されました。

  • 「所祭一座道主貴比女命 天照太神荒魂の神」(『生駒記』)
  • 「古傳に云ふ。道主貴比女神を主と爲せり。是れ則ち天照太神の荒魂なり…今ある所は…中央は則ち正八幡祠。左は則ち大水上にして、國常立尊を主と爲す。右は則ち宗像の三嶋龍神を主と爲す」(『全讃史』)
  • 「祭神大水上神、八幡宮、宗像明神…古史成文ニ大山積神亦名云大水上神トアリ、大水上神社ハ此神ヲ祭レルニヤ」(『西讃府志』)
  • 「祭神 八幡大神大水上明神宗像大明神…當社啓祀未詳祭神道主貴比女を祭る天照大神荒魂の神也といふ」(『讃岐國名勝圖繪』)
  • 「祭神區々なり、先高皇産霊尊一座とす、又ハ國象女命とす…かかうて相殿には宗像大神、また八幡大神も座ますといへり…又古史成文に故其大山積神亦名大水上神…と有りてそこの傳に、此神社を引けり、されば祭神はただちに、此大水上神ならむか」(『讃岐國官社考證』)

大水上神の説として、国常立尊、高皇産霊尊、罔象女命、そして大山積神があげられています。

「宗像の三嶋龍神」については、先述の通り境内のうなぎ淵がかつて三嶋龍神と称されたとも伝えられていますが、宗像神や大山祇神とは関係あるのかどうか。

またいくつかの書に道主貴比女命(宗像三女神)が天照大神の荒魂とあるのですが、そういった説もあるのでしょうか。寡聞にして存じません。

 

香川県神社誌

延喜神名式に『讃岐国三野郡小大水上神社』とありて延喜式内当国二十四社の一にして、三代実録に『貞観七年冬十月九日丁巳讃岐国従五位下大水上神授正五位下 同十七年五月廿七日戊申授讃岐国正五位下大水上天神正五位上 元慶元年三月四日乙巳授讃岐国正五位下大水神正五位上』とあり。(大水神は当社に非ずとの説あり) 創建年代詳ならざれども、武殻王厚く当社を尊崇して多度一郡を挙げて神領とせられたりと伝へ、往古は大社にして皇室を初め奉り武門武将並に国中の崇敬篤く、僧空海入唐に際しては当社に参籠して祈願せりと伝ふ。当社は讃岐国二宮にして建久九年の二ノ宮社領目録に『惣合二百町、右之内 一、八九町修理領 一、三六町祝言領 一、二六町灯明領 一、三六町御供領 右別当神主支配 一、三六町別当清澄寺 一、三六町別当神宮寺 一、二六町神主義重 一、二六町社人頭右近 一、二六町惣社人 一、二六町惣神子 右社領自今不可有変易者也…建久九年戊午年二月日 散位泰支守法 摂津守大平忠』云々とあり。又建長年中二宮修覆用脚員数之記録に『一、番匠之手間二千日但本社三社 一、二百貫御材木之代 一、二百貫同作料 一、八十貫檜皮料足 一、六十貫釘之料足 一、十五貫壁塗手間 棟札 建長六甲寅年八月戊午四日 大願主沙彌寂阿 大工額田国弘』と見ゆ。応永三十四年大風ありて社殿破壞に際し、禁裏より之が御修覆仰出されし記録に『二宮社御破損従禁裏有御修覆御用脚員数之事 応永卅四年八月廿日夜俄ニ大風吹…御社大破…従京都有御尋御造営初マル時正長戊申年七月廿日縫殿頭安倍有富承之 二宮御修覆被仰付従京都記録ヲ下シ立柱上棟始事作事八月四日甲申巳時居礎…六百貫本社材木檜皮 百貫釘金物手間料代 御拝殿 百貫水上大名神宮 百貫三島龍神宮 五十貫御釣殿以上九百五十貫 造営奉行二宮領家 庄主中和尚御弟子永諄蔵王』とあり。又『永享三辛未年七月晦日御仮殿雨漏依之経蔵遷宮、同又癸丑年七月十二日夜半仮殿鳴動早速京都注進、同十一己未年九月十日二宮但馬守国茂承御社造営奉行従京都下着同十一月十日乙卯御造営始事従公方請取申御用脚 百五十貫文 両守護代 香川上野助 安部筑後守 近藤但馬守依造営奉行右之料足請取申所今造立也』等の記録を存す。源平両氏屋島に戦ひし時交々参拝祈願を為し、両氏より奉りし願文の写といふものありて、当国の諸書皆之を載せて論議多し。其の外後小松天皇、後花園天皇、称光天皇の勅書ありしも天正年間兵乱の節燼せし旨社記にあり。而して今猶古木像、多数の武器等の宝物を蔵す。又康永四年藤原良基寄進の石灯籠あり。

明治五年郷社に列せられ、同四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定、昭和八年三月三十日県社に昇格す。

当社境内に史跡二の宮窯趾あり。平安朝の築造にして瓦及び土器類を出す。昭和七年史跡名勝天然記念物に指定せらる。又境内の小潭龍王淵は俗に鰻淵と称せられ請雨の霊地として其の名高く、古来旱天の際雨を祈るに黒鰻出づれば必ず大雨至り、白鰻出づれば細雨だもなしと伝へらる。

御朱印

御朱印はあります。

境内にはどなたもいらっしゃらなかったのですが、すぐそばのお宅を訪ねてみたら宮司さんのお宅で、御朱印をいただくことができました。

アクセス

国道11号の高瀬駅前通り交差点(位置)を東に折れる、あるいは国道377号の砂川交差点(位置)を北に折れるかして県道218号を道なりに走っていくと道路沿いに鳥居があります(位置)。

(ゆめタウン三豊のあたりから県道225号を東に走るのでも良し)

駐車場は鳥居の左手、道路挟んだところ。

鳥居をくぐって道なりに歩いていけば、境内に出ます。

神社概要

社名大水上神社(おおみなかみじんじゃ)
通称

二の宮さん

二の宮八幡

旧称
住所香川県三豊市高瀬町羽方2677-2
祭神

大山積命

保牟多別命

宗像大神

社格等

式内社 讃岐国三野郡 大水上神社

日本三代実録 貞観七年十月九日丁巳 大水上神 正五位下

日本三代実録 貞観十七年五月廿七日戊申 大水上天神 正五位上

日本三代実録 元慶元年三月四日乙巳 大水神 正五位上

讃岐国二宮

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「大水上神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「大水上神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 香川県神職会編『香川県神社誌 下巻』香川県神職会, 1938(国会図書館デジタルコレクション 202-203コマ
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 320-321コマ