総社神社(坂出市林田町惣社)

総社神社。

坂出市林田町惣社、五色台の西に鎮座。

讃岐国総社とされる神社。

境内

一の鳥居

 

扁額

 

社号標

 

一の鳥居後ろに御旅所

 

参道の石組。神社関係の物かは不明。

 

二の鳥居

 

県道挟んで境内

 

三の鳥居

 

扁額

 

狛犬

 

注連柱

 

手水舎

社殿

拝殿

 

本殿

境内社等

三の鳥居左手の厳島神社参道

 

厳島神社鳥居

 

厳島神社狛犬

 

厳島神社手水舎

 

厳島神社拝殿

 

厳島神社扁額

 

厳島神社本殿

 

嚴島神社移轉碑

安永七年九月今より百九十余年前坂出市林田町字馬場北参参八番地の壱に鎮坐の嚴島神社は坂出市東部開発のための産業道路に用地を提供し昭和四十一年六月現地に移轉した

 

厳島神社由来

安永七年創建。此の美しい境内地に鎮座する厳島神社は、昭和四十一年六月道路開発のため現地に移転。崇敬の念厚き先人達により再建奉仕され今日に至るも経年老朽化により拝殿玉垣の損傷著しく見るに忍びず宮総代等協議のうえ氏子の奉賛を募り改築せんことを発起、役員各位の献身的奉仕と氏子及び工匠等の多大な敬神努力により此処に厳しく美しき社殿が見事に竣工の運びとなり是を記念し石碑に刻し後世に伝えんとす。

 

境内社に御祖神社、豊受神社、金刀比羅神社、松内神社があることが香川県神社誌からわかりますが、下掲のどの社がどれに当たるかは不明。

なお松内神社については「初め境外にありしを明治四十二年移転して境内神社となす。祭神蛭子大神は古く瀬居島の東北大瀬島に鎮座ありしが、享保年間当領と塩飽領との間に漁業境界に付き争論ありし節松内神社へ合祀せしものにして其の後も漁民の崇敬厚し。明治四十三年字州鼻倉稲魂神社、字番屋前事代主神社、字浜事代主神社を合祀、同四十四年字上林田上林神社を合祀す」とのこと。

 

境内左手の境内社2社

 

社日塔

 

 

社殿左手の境内社

 

社殿左手の石祠

 

境内社かと思いましたが、古札納所かも

 

社殿脇の巨木(梛の木)

 

御神木?

 

御神木 梛の木

 

御神木””梛の木

この梛の木は本殿北側にある御神木と同じ種類の木です 昔戦火のため二度も御本殿が焼失しました その折二度とも御神体は梛の木に遷座されていたと云い伝えられています

由緒

総社神社改修記念碑

旧記に據れば天平九年 聖武天皇諸国に詔して府中国府に近き聖地に社殿を建立し国内祭祀の天神地神を合祀して總社となし国司を派遣参拝せしめ神饌幣帛料を供進厚く祭祀せしむ 時に氏神 伊弉諾伊弉册の二神は神代雌雄の山に降臨し給うと伝え聞く由緒ある大社にて讃岐国總社となり国司は元より里人の崇敬頗る厚し 然るに嘉慶二年の大火にて宮殿悉く燒失す 守護細川頼之大いに驚き明徳元年再建奉仕す 其時御神躰は図らずも境内梛の木の茂みの中に遷座せしを発見恐懼氏子大いに喜び本宮に鎭め奉る 其後天文二十年再建 天平の兵火 慶長二年の再建を経て元祿十五年再建 氏子の崇敬祭祀絶ゆる事なし 明治三十五年改築以来今日に至る 星霜八十余年社殿の荒廃著しく昭和五十九年富家宮司宮総代自治会長等氏子の奉賛を募り修復せん事議し 仝年五月工を起し 御本殿並に拝殿を先に修し摂社の改修と神域の整備に努む 昭和六十年五月五日氏子多数の参列を得 改修奉告祭を執行併せて新宮司就任式典を挙行す 是偏えに役員各位の献身的奉仕と氏子及び工事者の敬神努力奉仕に外ならず一方予想以上の募金の集計により五百有余の寄金芳名石建立面目一新す 茲に当社の由緒と改修経過を記し後世に伝うる所以也

 

下半分がかすれて読めない由緒書…

 

社伝によれば延長4年(926)の創建。

あるいは天平(729~49)以前には既に大社であったとも。

 

讃岐国総社に比定されています。

讃岐国府跡は当社の南南東約5kmほど。

 

『讃岐国名勝図会』に「惣社大明神は阿野北郡林田郷松ケ浦今は惣社といふに鎮座す。御社、今は海汀とは五、六丁もへだたれど、今も御社の近きわたり深く掘りみれば貝のからなどいと多かるとて、昔は海辺なる事しるべし」とあり、往古当地は海辺であったようです。

社伝によれば、崇徳上皇が当地に着船した際、老翁(当社社人とも、祭神とも)が上皇を迎え綾高遠の館へ案内したといい、上皇の宸筆とされる「惣社大明神」の勅額が奉納されたといいます。

 

嘉慶年間(1387~89)兵火により焼失。

明徳元年(1390)細川頼之が再建。

その後衰退していたところを天文20年(1551)三好一族が再興。

天正年間(1573~92)再度の兵火で焼失。

慶長2年(1597)再建。

 

明治5年郷社列格。

明治41年字中川原の中川原神社をを合祀。

 

香川県神社誌

旧記によれば、天平九年(紀元一三九七)聖武天皇勅して諸国に国分寺、法華寺、一宮、総社等を建立せしめ給ふや、時の当国々司従四位下大神朝臣豊島詔を奉じ当社に国中大小の神祇を配祀して讃岐国総社と定め、爾来総社明神と奉称せられ毎歳国司の奉幣ありたり。

蓋し当社は天平以前既に大社にして鎮座地は府中を去ること僅かに一里、国司奉幣の為め参拝至便の地なりしを以てなり。生駒記に『惣社林田村崇氏神…右北条郡林田村ニアリ往昔神代ニ垂迹シ給フ由、其年歴ハ不知霊験新ニマシマシシ故古来ヨリ村ノ氏神ニ崇メ惣社ト号ス…昔ハ大社ニテ伽藍モ美麗ナリシニ、嘉慶年中ノ兵乱ノ節回禄セシヨシ』云々とあり。嘉慶年間社殿悉く焼失せしを細川武蔵守頼之明徳元年再建す。天文二十年三好家の一族によりて再興あり。以来復当国総社として繁栄ありしに、天正年中兵火に罹り社殿烏有に帰す。慶長二年新殿を営み、元禄十五年明治三十五年の改築を経て今日に及べり。

社伝によれば、崇徳上皇当村松ケ浦倉敷川に御着船の時一老翁上皇を迎へ綾高遠の館へ導き給ふ。これ当社社人なりとも総社の神なりとも云へり。而して当社に上皇の勅額と云ふがありて「惣社大明神」の書は上皇の宸筆にして御親ら御奉納あらせられたりと伝ふ。高松藩祖松平頼重崇敬厚く社号扁額及び紋章附太刀二口を寄進し、社家富家氏第二十代刑部をして惣社大明神神主たらしむ。富家氏其の先は藤原頼長に出で、今に至る三十一代に及ぶといふ。

明治五年八月郷社に列せられ、同四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。

明治四十一年字中川原中川原神社を合祀す。

御朱印

御朱印はあります。

私の参拝時は宮司さんがいらしたのでいただけたのですが、常駐されてはいないそうで、事前連絡があった方がいいかも。

アクセス

国道11号を高松から西へ、あるいは丸亀から東へ。

予讃線鴨川駅北で直角に曲がるところで、北の県道187号へ。

そこから2kmほど北上すると神社。

 

境内南に駐車場と思われる広いスペースがあるのですが、特に案内が出ていないため神社のものかは不明。

境内北側(社殿左手)にもスペースがあり、車が数台停まっていたので、そちらを利用しました。

神社概要

社名総社神社〔總社神社〕(そうじゃじんじゃ)
旧称惣社大明神
住所香川県坂出市林田町3001
祭神

伊弉諾尊

伊弉冉尊

国中大小神祇

合祀倉稲魂神
社格等

讃岐国総社

旧郷社

御朱印あり
駐車場あり

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