冠纓神社。
別名、かむろ八幡宮。
高松空港の少し北に鎮座する、さぬき十五社の一社。
社名の漢字は「櫻」ではなく「纓」。
境内
表参道の注連柱
背後には「神社発祥の聖地」の看板とお社
遠い遠い昔。大綿津見神(海の神さま)の娘、豊玉毘売命さまが瀬戸内海で舟遊びをなさいました折、古川の上流へとお上りになり、はじめて船を降りお鎮りなさった館です。
遊衣館。ただ、御旅所と紹介しているサイトもあります。
参道石段下
一の鳥居
注連柱
二の鳥居
社号標
さぬき十五社第七番 冠纓神社
神門
狛犬
桃をまわそう
注連柱
手水舎
社殿
拝殿
反射で見えづらいですが、社殿内の扁額「八幡宮」
本殿
境内
裏参道側の鳥居。この鳥居の先(写真奥左手)にも駐車場があります。
虚實門の碑。鳥居のこと?
裏参道の狛犬
境内社の厳島神社から見た裏参道
1699年の銘がある燈籠
清澄の鐘
御力(みりょく)巡り。幣殿の下を潜り抜け。拝殿が御旅所になっているのはなぜ。
御神木(かむたま龍樟樹)と鳥居
この聖なる丘、かむろの丘に壱にして巨なる樟樹あり。
そのはじめ神気・塊りて壱と成り、三股に分かれうねりつつ、くねりつつ立ち昇れる樹姿は、とき将に昇天せんとする龍の如し。因みて、龍樟樹と称す。
昔よりこれを拝する者、皆悉く立身出世し、勝利し、道を開くと言う。
仍って、人皆これを御神木と称し、謹しみて敬いて尊ぶ。
御神木?
境内社
安倍晴明神社。安倍晴明には讃岐出生説があって、当社で神主をしていたという伝承もあるそう。元々石を祀っているみたいで(ググると写真が見つかります)、お社は覆屋として最近作ったと思われます。
なおこれは境外ですが、当社の南南東1kmほどの場所にある天福寺の境内に安倍晴明の墓があります。
場所はこの辺。
龍王神社
願い石、叶い石
男石・女石
子宝・安産の石
厳島神社。社殿後方の池の小島にあります。
玉藻吉 讃岐国者 国柄加 雖見不飽 神柄加 幾許貴寸 と柿本人麿の詠みたる讃岐の国は由佐なる冠纓神社 延宝の昔より旅泊詠一巻を伝えたり。そは寛永年中第十代友安盛員京都より将来せしものなりしが、神道日垣の庭の宮主高良師の御神意のとおり、此度、香川大学佐藤恒雄教授筑波大学伊藤博教授の眼識と尽力により、天治本萬葉集巻第十五残巻として世の脚光を浴び、国の重要文化財に指定されたり。本社境内に鎮座せる末社厳島神社、祭神は市杵島姫命、周囲を巡る宮池は古来水枯れたることなし、茲に、天治本の重要文化財指定を記念し、御本殿を御造営し奉るものなり。
白鳥神社
ご祭神 日本武命 俗にしろとりさん
伝説―今から八百年ほど昔のこと、大川郡白鳥町ご鎮座の白鳥宮の火災により、その宮の御幣が冠尾の木に飛んできたと言う由来がある。
農人形社(左)と賽の神(真ん中)。右の祠は不明。
サエノカミと呼ばれ元来は部落の故障、防賽の神で外から襲ってくる疫病神や悪霊を村境や辻、峠、橋のたもとなどで防ぐ神様である。
賽の神はもとこの神社の南の辻にあった。明治初年道路拡張のため合祀され、祭神は猿田彦命で性器崇拝の古代信仰を伝えるものである男女の縁結び出産に効果があるといわれる。
名称不明の境内社(?)。祠はなく木が植えられている形なので、あるいは祓戸でしょうか。
水神
此の神域の真奈井(井戸)の水は、古来枯れた事がないご神水です。
水神さまのご加護やご守護を広く皆さまに知っていただきたく、毎月一日、限定数頒布をしています。
ご予約は、お守り売場お札授与所へ。
招魂社
招魂社狛犬
招魂社狛犬2
誉之碑
祖霊社
石祠
石祠
地球新生神宮。すごい名前…
地球新生神宮の鳥居
元々、地神社という名前だったところを変えたようです。古い境内図だと地神社のままでした。社殿はなく社日塔が祀られてます。その後ろにある大きな岩は磐座でしょうか。一見陽石のように見えます。
由緒
本社は應神天皇をまつり、仲足彦命、息長足媛命を合祀す。
社伝に云う貞観三年(西暦八六一年)智証大師国中を逃行し、香東郡井原荘月見原の松林にきたると毎夜燈あり。大師たずねてそこへ行くと老翁あり。その老翁が云わんに、「朕は鳩峯大自在王なり。われまさにこの地に鎮座して井原の民をまもらん師幸に力を借せ」と。是に於て大師その民に募り祠を其の地に立てて法楽をなすときに白気一條東方よりきたりてその祠に入る。よりて弟子真蓮をして一宇を建てその祠をまつらしむと。
延文二年(西暦一三五七年)細川右馬頼之公井原郷岡の館にありて、最も本社を崇敬し出陣する毎に奉幣し、報賽に神供田を献じ、又建物を修営し、加えて頼之公の降誕日(旧四月三日)には特に祭をし騎射を献ず。又石清水神廟の冠纓を乞いて本社に納め以て親ら供奉するの至誠を示さる。故に冠纓の号あり。
天文八年(西暦一五三九年)十月細川晴元公伊豫(愛媛県)の河野氏を伐つに際し頼之公の例にならひて軍利ありよりて神殿を再興し既にして金幣等を納む。
寛文中(西暦一六六一年~一六六七年)讃岐国守松平頼常公神供田三石七斗四斤を由佐村の地に於て寄附し、先規に従いて代々黒印地たりしも廃藩の時廃せらる。
社格は明治初年より郷社なりしが大正七年県社に昇格なせり。
冠纓神社の御宝物
細川晴元公献上冠纓神社御奉加帳及び金幣藤原基俊の旅泊詠一巻等
冠纓神社の祭典月日
春祭 四月二十八日・二十九日
秋祭 十月…(紙が貼られ読めず)
伝承によれば創建は貞観3年(861)。
智証大師が讃岐井原郷で毎夜光るものを発見。行ってみると老翁がおり「我は鳩峰大自在王菩薩なり。此の地に鎮座して井原郷民を護らむ」というので祠を建立。そして法楽を営むと、一条の白気が東方から飛来し祠に入ったので、一宇を建て弟子真蓮に司らせた、というのが当社と宝蔵寺の始まり。
細川頼之が当社を崇敬し、延文2年(1357)に石清水八幡の冠纓を奉納したことから冠尾八幡宮、冠纓神社と称されるようになったといいます。
その後祭祀は別当の宝蔵寺から石清尾八幡の祠官上野刑部の子孫へ移り、その後裔友安氏が祭祀を司って来たとされます。
また、讃岐出生説のある安倍晴明が当社で神主をしていた、という説があったりもします。
明治元年郷社列格、大正7年県社に昇格。
香川県神社誌上巻
県社 冠纓神社 由佐村大字由佐字三ノ原
祭神 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后
由緒 貞観三年(紀元一五二一)僧円珍(智証大師)国中を巡歴して井原郷に至る。時に月見原の松林に毎夜光輝を発するものあり。円珍行て之を見るに白鬚の老翁ありて、我は鳩峰大自在王菩薩なり。此の地に鎮座して井原郷民を護らむと云ふ。ここに於て円珍里民に募りて祠を建て法楽を営みしに、一条の白気東方より飛来して其の祠に入れり。乃ち一宇を営み弟子真蓮をしてその祠を司らしむ。これ即ち宝蔵寺なりと全讃史に見えたり。三大物語には『元禄以来使三宝蔵寺為二別当一』とあり。延文二年に至りて細川頼之、岡蔵人行業の館に寄寓し岡館を営み当社を尊崇すること甚だ厚く、石清水八幡の冠纓を乞ひて之を納む。爾来冠纓八幡宮の称あり。頼之の四国平定に当り、出陣の度に必ず奉幣して戦勝を祈れり。貞治二年の春頼之、将軍義詮の命により伊予の河野氏を討つや、発するに臨み戦勝を祈願し戦大に勝てり。因て神廟を造営し粢を奉りて報賽の祭を行ひ、また四月三日は頼之が誕生日なるを以て毎年祭祀を行ひ、農具市を開けり。世に之を右馬頭市といふ。蓋し頼之の官右馬頭なるを以てなり。三代物語に『頼之母祈二八幡宮一以二四月三日一生二頼之一頼之在二岡村館一最崇信……四月三日以二其生日一特祭レ之』とあり。当時に於て社殿の壮麗なること国中第一と云へり。天文八年十月細川晴元伊予に河野氏を討つに方り、頼之が先例に依りて戦勝を祈り、凱旋の後社殿を再興し、同二十年奉加帳を納めたりしが今猶之を神庫に蔵す。古くは祭祀を主どる者を総願司と云へり。細川氏衰へてよりは由佐氏其の後を承け、天正年中由佐秀武その食邑を失ふに至るまで厚く之を崇敬せり。当社の祭事は悉く由佐氏の制によるといふ。生駒近規封を讃岐に受け社領を寄進し、松平氏亦之に倣ふ。其の高三石七斗四升なり。元禄年間宝蔵寺別当として祭祀に関与し来りしが、後高松石清尾の祠官上野刑部の子孫祭祀を主れり。今の友安氏はその後裔なり。明治初年郷社に列せられ、明治三十四年本殿以下改築、明治四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せられ、更に大正七年十一月二十六日県社に昇格、翌八年一月改めて神饌幣帛料供進の指定ありたり。
古今讃岐名勝図会
冠纓神社(県社)
由佐にあり祭神仲哀天皇外二神、祭田三石七斗四升、延文二年細川頼之由佐館に在るの時石清水八幡の冠纓を乞て勧請し最も崇信し出陣毎に奉幣をなす八月十五日之を祀る四月三日は其生日なるを以て特に市をなし農具を鬻(ひさ)く今に絶えす石清尾に同し旧祭祀を主(つかさど)る者を総願司と称す由佐氏世々崇敬す天正中由佐秀武食邑を喪ふも祭祀は由佐氏の制に従ふ元禄以来実荘寺をして奉守せしめ又石清尾祠官上野刑部の後も其神職たり(今の友安氏は其の後なり)
御朱印
御朱印はあります。
拝殿左手前に授与所があるので、そちらで。私が頂いた御朱印は印+「安倍晴明ゆかりの宮」等の文字印でしたが、社名墨書きありの物もネット上で見かけました。
アクセス
高松空港北の十字路から北上します。
2kmほど先の十字路(位置)で東へ(右折)。300mほど先、右手に冠纓神社表参道の看板と橋があるので、そちらに入ります。参道脇(位置)に駐車可。
あるいは、上記の十字路の100mほど手前(位置)から、右手の鳥居を潜って入ったところに裏参道駐車場があります。
神社概要
社名 | 冠纓神社(かんえいじんじゃ) |
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別称 | かむろ八幡宮 |
旧称 | – |
住所 | 香川県高松市香南町由佐1413 |
祭神 | 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后 |
社格等 | 旧県社 |
札所等 | さぬき十五社七番 |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「冠纓神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「冠纓神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 梶原藍水『古今讃岐名勝図絵』高松製版印刷所, 1930(国会図書館デジタルコレクション 188コマ)
- 香川県神職会編『香川県神社誌 上巻』香川県神職会, 1938(国会図書館デジタルコレクション 247-248コマ)
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 293-294コマ)