冠纓神社(高松市香南町)

冠纓神社。

別名、かむろ八幡宮。

高松空港の少し北あたりに鎮座。

社名の漢字は「櫻」ではなく「纓」。

参道

表参道

 

注連柱

 

背後には「神社発祥の聖地」の看板とお社?が。写真撮り忘れたけれど右手には説明板があり、豊玉毘売が船を降りたところだとか。でも御旅所と書いてあるサイトもあり、詳細不明。

 

鳥居

 

社号標

 

狛犬

社殿

拝殿

 

本殿

境内

裏参道側の鳥居。この鳥居の先(写真奥左手)にも駐車場があります。

 

虚實門?

 

裏参道の狛犬

 

境内社の厳島神社から見た裏参道

 

1699年の銘がある燈籠

 

清澄の鐘

 

御力(みりょく)巡り。幣殿の下を潜り抜け。拝殿が御旅所になっているのはなぜ。

 

御神木

 

御神木?

境内社

安倍晴明神社。安倍晴明には讃岐出生説があって、当社で神主をしていたという伝承もあるそう。元々石を祀っているみたいで(ググると写真が見つかります)、お社は覆屋として最近作ったと思われます。

 

龍王神社

 

厳島神社。社殿後方の池の小島にあります。

 

白鳥神社

 

農人形社(手前)と賽の神(真ん中)と名称不明の祠

 

名称不明の境内社

 

こちらも名称不明の境内社

 

水神

 

石祠

 

石祠

 

地球新生神宮。すごい名前…

 

地球新生神宮の鳥居

 

元々、地神社という名前だったところを変えたようです。古い境内図だと地神社のままでした。社殿はなく社日が祀られてます。大きな岩もあるいは磐座なのかもしれません。

由緒

香川県神社誌上巻

県社 冠纓神社 由佐村大字由佐字三ノ原

祭神 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后

由緒 貞観三年(紀元1521)僧円珍(智証大師)国中を巡歴して井原郷に至る。時に月見原の松林に毎夜光輝を発するものあり。円珍行て之を見るに白鬚の老翁ありて、我は鳩峰大自在王菩薩なり。此の地に鎮座して井原郷民を護らむと云ふ。ここに於て円珍里民に募りて祠を建て法楽を営みしに、一条の白気東方より飛来して其の祠に入れり。乃ち一宇を営み弟子真蓮をしてその祠を司らしむ。これ即ち宝蔵寺なりと全讃史に見えたり。三大物語には『元禄以来使宝蔵寺為別当』とあり。延文二年に至りて細川頼之、岡蔵人行業の館に寄寓し岡館を営み当社を尊崇すること甚だ厚く、石清水八幡の冠纓を乞ひて之を納む。爾来冠纓八幡宮の称あり。頼之の四国平定に当り、出陣の度に必ず奉幣して戦勝を祈れり。貞治二年の春頼之、将軍義詮の命により伊予の河野氏を討つや、発するに臨み戦勝を祈願し戦大に勝てり。因て神廟を造営し粢を奉りて報賽の祭を行ひ、また四月三日は頼之が誕生日なるを以て毎年祭祀を行ひ、農具市を開けり。世に之を右馬頭市といふ。蓋し頼之の官右馬頭なるを以てなり。三代物語に『頼之母祈八幡宮四月三日頼之頼之在岡村館最崇信……四月三日以其生日特祭之』とあり。当時に於て社殿の壮麗なること国中第一と云へり。天文八年十月細川晴元伊予に河野氏を討つに方り、頼之が先例に依りて戦勝を祈り、凱旋の後社殿を再興し、同二十年奉加帳を納めたりしが今猶之を神庫に蔵す。古くは祭祀を主どる者を総願司と云へり。細川氏衰へてよりは由佐氏其の後を承け、天正年中由佐秀武その食邑を失ふに至るまで厚く之を崇敬せり。当社の祭事は悉く由佐氏の制によるといふ。生駒近規封を讃岐に受け社領を寄進し、松平氏亦之に倣ふ。其の高三石七斗四升なり。元禄年間宝蔵寺別当として祭祀に関与し来りしが、後高松石清尾の祠官上野刑部の子孫祭祀を主れり。今の友安氏はその後裔なり。明治初年郷社に列せられ、明治三十四年本殿以下改築、明治四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定せられ、更に大正七年十一月二十六日県社に昇格、翌八年一月改めて神饌幣帛料供進の指定ありたり。

)古今讃岐名勝図会

冠纓神社(県社)

由佐にあり祭神仲哀天皇外二神、祭田三石七斗四升、延文二年細川頼之由佐館に在るの時石清水八幡の冠纓を乞て勧請し最も崇信し出陣毎に奉幣をなす八月十五日之を祀る四月三日は其生日なるを以て特に市をなし農具を鬻(ひさ)く今に絶えす石清尾に同し旧祭祀を主(つかさど)る者を総願司と称す由佐氏世々崇敬す天正中由佐秀武食邑を喪ふも祭祀は由佐氏の制に従ふ元禄以来実荘寺をして奉守せしめ又石清尾祠官上野刑部の後も其神職たり(今の友安氏は其の後なり)

伝承によれば創建は貞観3年(861)。

智証大師が讃岐井原郷で毎夜光るものを発見。行ってみると老翁がおり「我は鳩峰大自在王菩薩なり。此の地に鎮座して井原郷民を護らむ」というので祠を建立。そして法楽を営むと、一条の白気が東方から飛来し祠に入ったので、一宇を建て弟子真蓮に司らせた、というのが当社と宝蔵寺の始まり。

その後細川頼之が当社を崇敬し、延文2年(1357)に石清水八幡の冠纓を奉納したことから冠尾八幡宮、冠纓神社と称されるようになったといいます。

その後祭祀は別当の宝蔵寺から石清尾八幡の祠官上野刑部の子孫へ移り、その後裔友安氏が祭祀を司って来たとされます。

近年神社本庁と宮司家で対立があり良からぬ状況のようです。詳しいことはわからないので、コメントは差し控えますが。

また、讃岐出生説のある安倍晴明が当社で神主をしていた、という説があったりもします。

御朱印

御朱印はあります。

拝殿左手前に授与所があるので、そちらで。私が頂いた御朱印は印+「安倍晴明ゆかりの宮」等の文字印でしたが、社名墨書きありの物もネット上で見かけました。

アクセス

県道13号線沿いに表参道の看板と駐車場。

この辺に停められます。

神社概要

社名冠纓神社(かんえいじんじゃ)
別称かむろ八幡宮
住所香川県高松市香南町由佐1413
祭神

仲哀天皇

応神天皇

神功皇后

社格等旧県社
札所等さぬき十五社七番
御朱印あり
駐車場あり

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