男山神社(さぬき市寒川町神前)

男山神社。

さぬき市寒川町神前に鎮座。

式内社 神前神社の論社。

広告

参道

鳥居

 

社号標

 

参道を進むと、社号標その2

 

参道石段

 

鳥居

 

狛犬

 

手水舎

 

神門

 

注連柱

社殿

拝殿

 

本殿

境内社

八坂神社

 

金比羅神社

 

社日塔

 

御神木(樹木名不詳)

 

案内板

この御神木は延喜七年(九百七年)四月二十八日 本神社創祀の時 京都府八幡市石清水八幡宮より移植された霊験あらたかな神霊木である。

京都男山の地から一夜にして舞いおりたとも、宝善寺住職が中国の唐から白檀樹の種苗を持ち帰ったとも言い伝えられている。一見、ネズミサシ(モロタ)に似ているが、樹木名は不祥。

壱千百年の星霜に耐え凛とした雰囲気で古くからの習わしをよく伝えている。

 

こちらも御神木?

由緒

由緒石碑

南流山男山八幡神社は延喜7年(907)4月28日醍醐天皇の御宇 当郡内で京都男山相応の地に八幡宮を勧請せよとの勅を拝し本寺紫雲山極楽寺宝蔵院住職明印法印詔を奉じて京都男山石清水八幡宮より御神霊を御勧請申し上げ一郡一社の始めとして創祀された また延喜7年5月には同住職が別当寺として本神社の西隣に宝善寺を建立された悠久千古の歴史に映える由緒ある神社である

われわれ同人はこの幽邃の地に鎮まります神々の深遠なる御神徳と創祀壱千八十年を記念して奉賛事業を起し左記の事蹟が完工したのでここに碑を建てヽ神恩感謝の念とその事蹟を永く後昆に伝える

(※「左記の事蹟」とは社殿改修等のこと。石碑左側に記載があるが略。)

『紫雲山極樂寺寶藏院古曆記』によれば、延喜7年(907)4月に勧請され創始とのこと。

 

延喜式神名帳にみえる「讃岐国寒川郡 神前神社」に当社をあてる説があります(『讃岐府志』『御領分中宮由來』『讃岐二十四社考』『讃岐國式内廿四座案内記』)。

 

延長4年(926)、天慶8年(945)、正暦3年(992)、寛治4年(1090)、治承3年(1179)、建仁2年(1202)、弘長2年(1262)、正應4年(1291)、嘉吉元年(1441)と計9回の遷宮の記録あり。

『全讃史』では「神前八幡 蓋し神前左馬入道常隣始めて之を祠る。寶善寺之を主どる」としています。

 

明治初年村社に列格。

 

香川県神社誌

延喜七年(紀元一五六七)四月の創祀と云ふ。神前村男山八幡宮記録によれば、醍醐天皇の御宇勅ありて当郡内に於て男山相応の地に八幡宮を勧請すべしと、依て本寺宝蔵院住職明印法印詔を奉じて勧請す。一郡一八幡の始めなり。山の形東西に長くして前に大川あり。八月御祭礼の砌この川にて放生会を行ひたり。永承四年仏舎利勅納あり。弘安四年六月宝蔵院住職正範勅を奉じて本地供を修し同年九月官陟を賜ふ。貞和年間寒川光重社殿を修せしが天正年中兵火に罹り、後里人之を再興す。本社の西十間ばかりに一大枯木あり霊木と申伝へ氏子共恐敬す。こは延喜年間勧請の砌男山より移せし神木なりと云ふ。御祭礼毎歳八月十五日云々、右の由来は宝蔵院記録と氏子共の申伝と符合するものなりとあり。神前八幡宮と称せられ、三代物語には『神前八幡宮一郷社』とあり。全讃史には『蓋神前左馬入道常隣始祠之宝善寺主之』と見ゆ。

明治初年男山神社と改称し村社に列せられ、同四十年十月二十四日神饌幣帛料供進神社に指定さる。

昭和四年拝殿及び神輿庫を改築す。

御朱印

御朱印はあります。ただしお正月のみの授与。

アクセス

一応境内まで車で入れます(社殿向かって左の道から)。

あとは鳥居手前の自販機横あたりに1台分くらいスペースあるのでそこに停めるくらいしか。

 

このあたり。

神社概要

社名男山神社(おとこやまじんじゃ)
旧称

神前八幡宮

氏宮八幡宮

通称ハチマンサン
住所香川県さぬき市寒川町神前3967
祭神

誉田別命

足仲彦命

息長足姫命

現祭神

『昭和二十八年神社明細書』

岐神『讃岐二十四社考』
社格等

式内社 讃岐国寒川郡 神前神社

旧村社

御朱印あり(正月のみ授与)
駐車場なし(境内あるいは鳥居前に駐車可?)

参考文献

『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』 皇学館大学出版部

 

『日本歴史地名大系 38 香川県の地名』 平凡社

 

『香川県神社誌 上巻』 香川県神職会


タイトルとURLをコピーしました