大麻比古神社(徳島市明神町)

大麻比古神社。

徳島市明神町の住宅地の一角に鎮座。

式内社 麻能等比古神社の論社。

漢字は鳴門市の大麻比古神社と同じですが、当社の読みは「おおまひこ」。

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境内

一の鳥居

 

扁額

 

手水舎

 

境内図

 

狛犬

 

注連柱

 

二の鳥居

 

注連柱と二の鳥居の間の狛犬

手前の狛犬よりも古そう。

 

社殿手前の狛犬

それほど長くはない参道ですが、三対も狛犬がいます。

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

境内社

社殿左右に境内社が複数。

社殿左手

楠大明神

実際祀られているのは楠そのものではなくその根本に住んだと伝えられる狸だそうです。

 

楠大明神

明神町の大麻比古神社(一名弥吉明神)の左手裏の楠の大木の根元に鎮座している。

諸願成就とくに家運の隆盛を祈願すれば霊験あらたかといわれる。

現在のコンクリートの社殿は某建築業者が家運の隆盛を祈願して聞き届けられそのお礼として建立したものである。

 

和霊神社

 

稲荷神社

 

稲荷神社前のお狐さん

 

天神社

 

弁財天

 

弁財天前の狛犬

 

小祠

 

地神社

社殿右手

歳徳神社

 

伊助大明神(左)と九郎兵衛大明神(右)

こちらも狸を祀ります。

 

境内入口付近、徳島市指定保存樹木のくすのき

由緒

大麻比古神社御記

一、御祭神 猿田彦命

一、由緒沿革

承応二年鎮守神として河野弥吉郎現境内地の大楠木の処に奉斎す

寛文元年若宮明神を称号す

宝暦八年大麻比古大明神の神号を受ける

明治三年大麻比古神社と改称

一、御祭神は地祭方除交通安全の守護

一、例祭 十月二十二日

  大御神楽 四月二十二日

  夏越の祓 六月三十日

  夏祭 七月二十二日

通称「彌吉明神」。これは下掲の伝承にみえる当社の創祀(再興?)者である彌吉(彌吉郎)に由来。

 

当社神職による『當社成立記』によれば、寛永2年(1625)に伊予から来た河野忠左衛門の息子・彌吉郎が、承応2年(1653)に市内一宮山の岩間で御神体を見つけ、神託によって河野家の鎮守として当地に祀ったのが始まり。

 

その後寛文元年(1661)若宮神社と称し、宝暦8年(1758)に京都・吉田神社より大麻彦大明神の神号を許されたとのこと。

明治3年に大麻比古神社へ改称。

 

俗伝では、富田浦町に住んでいた、貧乏だったが正直者の彌吉が、猿田彦の像を転売したが何度売っても手元に戻ってくるので、感ずるところあって付近の社に合わせ祀ったのが始まりといいます。

『日本歴史地名大系』にれよば、天正13年(1585)一宮城落城ののち城内に祀られていた御神体が一宮の地を経て現社地に移されたともいわれるとのこと。

 

これらの説に基づき、江戸時代初期に延喜式神名帳にみえる「阿波国名方郡 麻能等比古神社」が彌吉(彌吉郎)によって再興されたのが当社、とも考えられるようです。

仮に当社が再興された麻能等比古神社だったとしても、元の鎮座地がどこであったかはわかりませんが。

御神体を見つけたといわれる一宮山と関係があるのでしょうか。

今は住宅地の中の落ち着いた雰囲気の神社です。

 

祭神は猿田彦命。

上述の像が何度も戻ってきた伝えに基づくのでしょうか。

御朱印

御朱印はあります。

社殿右手の社務所か、社地裏手の宮司さん宅で拝受可。

アクセス

国道55号の徳島市昭和町の交差点(位置)を西に入ります。

その先2つ目の交差点(位置、大麻比古神社の案内板あり)を南に入り100mほどで神社。

車は鳥居から入って境内に停められます。神社周囲の道は狭いのでご注意。

神社概要

社名大麻比古神社(おおまひこじんじゃ)
通称

彌吉明神

富田大麻比古神社

旧称
住所徳島県徳島市明神町6-2
祭神猿田彦命
社格等

式内社 阿波国名方郡 麻能等比古神社

旧村社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり(境内駐車可)
公式Webサイトhttp://wwwa.pikara.ne.jp/myoujin/
備考

参考文献

  • 「富田浦」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「大麻比古神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019