西照神社。
徳島と香川の県境、大滝山山頂に鎮座。
式内社 田寸神社の論社。
境内
鳥居
扁額
石段
厄除けの階段だそうです。
手水鉢
狛犬
天保の狛犬です。この狛犬には狼を撃退した伝説があります。
大滝山西照神社の狛犬
汝いま神と崇められる我が威容を静けく見てたもれ。阿讃の信者に大任を託されて神域の清浄を守った我が姿を。-或る夏の夜の出来事である。物の怪を呼ぶかのようにシーンと静まった此の境内に不意に夜の静寂を破った狼の声。軈て血を見た一匹の咆哮に群れ集まった数十匹の狼は猛り狂って激しく格子にぶっかったり噛み砕いた。山道で狼に襲われて生命からがら祠堂に逃げ込み死の恐怖にさらされながら怯えている親子に取って正に阿鼻叫喚。今や格子が破られんとした其の時である。間一髪!!わが境内を血で汚されまいとしてか、この様子をじっと見つめていた狛犬の目が突然異様に輝いたと見るや電光石火の如く狼に襲いかかり瞬く間に追っ払った。なまじ神域を汚すものは何物たりとも赦すまじと其の決意と神通力を在り在りと見せつけたのである。此の狛犬は天保十四年六月心ある阿讃の信者によって神域の鬼魅(変化)を避けることを託して奉献されたもので、其の狛犬また善くぞ是に応えたものである。人の無心の合掌を拝する狛犬もまた神である。感侵されまいぞ。汝の行手を守る狛犬(理性)よ。其処に巣くう鬼魅(邪心)なるものに。而して艱難辛苦、驥足を展ばし大いに鵬翼をひろげられよ。此処阿讃の霊峰大滝山の西照神社の狛犬は、汝が飛躍への掛け橋となる不二の神なるものぞ。-合掌。
石造りの狛犬が襲ってきたらそりゃ狼も逃げますね…
参道に巨木数本
社殿
拝殿前の鳥居
拝殿
扁額
本殿
境内社等
熊野神社
縁結びの社だそうです。
稲荷神社
八大龍王神社
祖霊社
祖霊社後方に小祠、道が見つからず
祠とミニ社日塔とミニ狛犬
灯明杉
日清戦争布告の日から毎晩光り、明りが消えた翌朝に戦勝の報。日露戦争時も同様の現象が発生したと言い伝えのある木。
西照神社の灯明杉
阿讃県境の高峰大滝山の霊地に天を突くように生えている杉の大木は幹周4.5米、樹高約50米の老木で通称、西照神社の千年杉と言われており、其の名のように樹令は500年、山頂の厳しい風雪によく耐えて根を張り枝を広げかくも雄々しく育ってきた神木である。古来数々の伝説を秘めてきた神木であるが其の神威に驚眼を開かせた左の出来事がある。
日清戦争が布告された明治27年8月1日の夜、千年杉の穂先に突然点った灯りが毎晩のように煌々と輝いて四囲の村々を照らし続けたが翌年4月17日の晩は其の灯りが不意に消えて翌朝は講和戦勝の報が入った。次に日露戦争の時にも同じ現象が起ったのである。村人は「国家の一大事のニュースよりも西照さんが先にしらせてくれる」と言って其の霊験の灼かさに驚眼を開き朝夕の信仰は以前より深まった。
そして近年にも西照神社の灯明杉にまつわる伝説は残っていたのである。昭和60年頃のとある夕暮れ時、ふと西照神社の頂を見上げてみると薄暗い夕闇の中から一筋の青白い閃光が上がっていたのである。その青白い光はしばらく光を放って消えたのです。
神宿る此の大木は神威恭々霊徳滲々西照神社の御霊験と相まって今も生き生きとこの霊峰に威容を誇っているのである。
願い石
祈り石
神楽殿
境外ですが、神社の南南東1.5kmほどのところ(位置)に、石鳥居が建っているようです。遥拝所?
由緒
大滝山阿讃国境に位し標高946米七尾七谷の源をなす嶺峰にして古代「大嶽山」と稱せられる。
由緒、古伝の存す所を案ずるに上代神世の昔、伊邪那岐尊、高御産巣日神の詔を以ちて、筑紫の日向の橘の小戸の阿波狭原に降り禊祓まして心身清淨なる身を以って山川草木各々の主管者を任命し終りに天照大神を高天原へ。祖国並に大八州国を統治し次に月読尊は夜の食国(筑紫の国即ち九州全域尚湯の出る国即ち四国の嶋)を統括し東大和紀伊の動向を看視せよと委任し給ふ。
そこで月読尊は航海の神、田寸津姫命即ち宗像の三神の部族を率いて伊豫から阿波の国に移り大嶽山の頂、展望のきく所に櫓を設け瀬戸内海難波及び大和の動向を監視せしめ、天津神の詔を体し九州四国を統括し、蒼生人の九厄十悪を祓ひ退け、夜毎に白露をふらし、五穀草木を潤し海上安全を守護されしと降って、平安朝の初期桓武天皇の御代僧空海24才の項三教指針(神道濡教佛教)の一佛教を選び厳修体得せんと大嶽山に登り、北面の崖の中腹に山篭すること3年。教理に初光を見出し、続いて土佐の国室戸に至って3年余を経て都に赴く。偶に遣唐使の渡航舟団に加はるに及んで、大嶽山の航海の神に安全を祈願して出航す。途中台風に遭ひ遣唐使の三隻は行衛不明になるも空海は遥か南方唐の赤岸鎮に漂着。陸路長安に至り、青竜寺恵果和尚に教を乞ふ。和尚之れを優遇し密教の奥義を伝授。さる帰国に及んで大嶽山の三神に厚く感謝せし。後門弟をして別当寺を建て奉仕せしむ。続いて本地垂迹の説を唱え布教に之れ努め社号に権現号を贈り、西照大権現と改稱し、神祇官に代り祭祇を司り明治6年に至る。
中世稲田氏国守となるに及び崇敬社として山麗の九石八斗の村落を寄進し、諸役を定住させ奉仕せしむ。明治6年、神佛習合分離の太政官布告に基き、社格郷社「西照神社」と旧に服し、神官をして祭祇することとなり今日に至る。
創建時期は不詳。
上記の由緒によれば、夜の食国(九州と四国)を統括する月読尊が、大和紀伊の動向を監視するため田寸津姫命の部族を率いて伊予から阿波に移り、展望のきく大嶽山の頂に櫓を設けたとされます。
元々は神仏混淆の山岳信仰「西照権現」。
明治の神仏分離で分離したお隣の大瀧寺は、伝承によれば神亀3年(726)に讃岐側から登った行基による開山。
空海は延暦10年(788)に大瀧嶽で求聞持法を修し(ただしこの大瀧嶽は阿南市の太龍寺を指すとも)、弘仁6年(807)に2度目の登山の際、西照大権現像を刻み祀ったとされます。
大瀧寺は四国別格二十霊場二十番札所で、四国八十八ヶ所総奥の院ともされています。
延喜式神名帳の「阿波国美馬郡 田寸神社」の論社とされています。
祭神が田寸津姫命で、鎮座地が大瀧山のため、「タキ」繋がりだからでしょうか(ただし「田寸」の読みは本によって「タワ」だったり「タネ」だったりする)。
『日本歴史地名大系』によれば、幕末頃のものと思われる美馬郡村高其他控帳などに、大滝山の頂上に西照宮(祭神天之月読命、本地は十一面観音)が祀られ、大滝寺が管掌していた旨の記述がみえるそう。
明治初年の神仏分離で、西照宮は大滝寺を離れて西照神社に。
明治6年郷社列格。
祭神は月読命、市杵島姫命、田寸津比売命、田心比売命。
御朱印
御朱印はあります。
ネットで画像検索すると、墨書きの文字のバリエーションが多数あるようなのですが、いわゆる限定なのか、書き手さんによって変わるのかは不明。
一度目の参拝時は16時半頃でしたが、授与所が閉まっており受けられず。二度目も同じくらいの時間でしたが、事前に電話確認したところ大丈夫との回答を頂き、無事拝受できました。
場所が場所なので、万全を期すのなら事前連絡が無難。
アクセス
1000m近い山の山頂にあるのでアクセスが若干大変。
こちらのブログにアクセス方法の案内があります。
国道193号の夏子ダム付近(位置。夏子休憩所の南東。青看に大滝山の表示あり)で左折し阿讃中央広域農道に入り、県道252号→県道106号と通っていくのが無難だと思います。途中いくつか分岐ありますが基本は道なり、わかりづらいところは大滝山、大瀧寺、西照神社の案内が出ています。
私は脇町から県道252号を上りましたが、さして走りづらい道ではありませんでした。運転不慣れな人でも十分走れる道です。
他に県道106号でも行けます(徳島・香川どちら方面からも)。
ただ冬季の積雪時は慣れない人にはどの道も危なそうです…
以前は県道106号の県境カーブのところから境内に乗り入れて駐車という形でしたが、どうやら下に駐車場が整備されたようです(位置)。
神社概要
社名 | 西照神社(にしてるじんじゃ) |
---|---|
通称 | 大滝西照神社 |
旧称 | 西照権現 |
住所 | 徳島県美馬市脇町西大谷672(大滝山山頂) |
祭神 | 月読命 市杵島姫命 田寸津比売命 田心比売命 |
社格等 | 式内社 阿波国美馬郡 田寸神社 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | http://nisiteru-jinja.com |
備考 | – |
参考文献
- 「岩倉山」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「西照神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 260-261コマ)