水門吹上神社。
和歌山市駅の南、和歌山市小野町に鎮座。
式内名神大社 伊達神社の論社。
境内
西側の鳥居
南側の鳥居
扁額
手水舎
狛犬
社殿
拝殿
扁額
本殿
境内社等
笠森稲荷大神
境内には神武天皇聖蹟男水門顕彰碑があります。
五瀬命が、長髄彦の矢によって受けた傷の悪化で痛みから雄叫びを上げた(古事記では雄叫びし崩御した)とされる男之水門/雄水門がこの辺りだとされています。
参拝時は碑の存在に気づかず未撮影。
由緒
祭神
水門神社 御子蛭児神(戎様)
吹上神社 大己貴神(大国様)
創建
不詳 但し、承保二年(西暦一〇七五年)以前と考えられる。吹上神社は天正年間(西暦一五七三年~一五九一年)に合祀
創建時期は不詳。
社伝によれば、紀水門の海上に夜毎に神光が現れ、やがて浜辺に打ち上げられたそれは戎様の神像だったので、湊村字和田濱鵜島に祠を建て祀ったのが水門神社の始まりとされます。
明応年間(1491~1500)に大海嘯により社殿が砂に埋没したため、住民らが西河岸町字元恵美須に遷座。
大永3年(1523)に現社地に遷座。
吹上神社は元は植松町(現在の植松丁?)の南に鎮座していたとされます。
『紀伊続風土記』は植松町の南大松の下、あるいは二本松の下とし、『平成祭データ』も二本松の辺としますが、和歌山県神社庁のサイトは吹上三本松とします。
天正年間(1573~1591)に水門神社に合祀。
合祀後しばらくは相殿で、後に社殿を分け二神を並べ祀ったとのこと。
ただし、水門社を吹上社の境内に遷し、その後共に今の地に遷したという伝えもあるそう。
西河岸町は植松丁の南なので、そもそも合祀前から近い位置にあったのかもしれません。
『紀伊続風土記』神社考定部に「名所記に曰水門産土神天正以前は川口の東北植松に座す今も其社の趾とて大松あり 此旧址今北牛町の内に在り 是は山家集に出る吹上社にて…」とあります。北牛町に残るという旧跡が水門神社、吹上神社いずれのものかよくわからない文です。少なくとも今の北牛町にそれらしき松は見当たりません(宅地化されているので仕方ありませんが…)。
寛保年間(1741~1744)、社家が突然に吹上社を延喜式神名帳にみえる「紀伊国名草郡 伊達神社 名神大」であると主張します。
藩がこれを認めたため、当社が伊達神社とされ、元々の伊達神社は園部神社と改称されることに。
『紀伊続風土記』は当社の式内社主張について「人を欺き神を誣る」等、かなり辛辣に批判しています。
戦前は水門神社・吹上神社と称していたようです。
明治になって園部神社が伊達神社に復称していることから、その頃に式内社論争に何らかの動きがあったのかもしれません。
旧社格が『和歌山県神社誌』等に記載ないのですが、『日本歴史地名大系』に「旧村社」、『和歌山県聖蹟 上巻』(昭和17年発行)の「第一章 神武天皇聖蹟 第一節 男水門伝説地」の項に「村社水門吹上神社」との記述が見える(戦後に改称した社名表記な理由は不明。当時から通称はそうだった?)ので村社だったようです。
戦後に水門吹上神社と改称しています。
祭事については、紀州の十日戎祭発祥の社とされ、正月9日の宵戎、10日の本戎、11日の残り福には吉兆(福笹)を求める人で賑わいます。
また、のし飴(和歌山では有名だそう)の発祥の地でもあります。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
アクセス
和歌山市駅から徒歩10分弱。
駅を降りて南西に進み、市民会館の前(この辺)から南に行けば神社。
車の場合、上記市民会館前から南に入るか、県道752号の気象台前交差点(位置)を北に入り進めば道路沿いに神社。
境内に駐車場はありませんが、徒歩2~3分のところにいくつかコインパーキングあります(100円/30mか200円/1h)。
神社概要
社名 | 水門吹上神社(みなとふきあげじんじゃ) |
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通称 | – |
旧称 | 水門神社・吹上神社 |
住所 | 和歌山県和歌山市小野町2-1 |
祭神 | 御子蛭児神 大己貴神 |
社格等 | 式内社 紀伊国名草郡 伊達神社 名神大 続日本後紀 承和十一年十一月辛亥(三) 伊達神 正五位下 日本文徳天皇実録 嘉祥三年十月乙丑(廿一) 伊達神 従四位下 日本三代実録 貞観元年正月廿七日甲申 伊達神 正四位下 日本三代実録 貞観十七年十月十七日丙寅 伊達神 従三位 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「水門吹上神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「水門吹上神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987