小田神社。
高野口駅の南東1kmほど、橋本市高野口町小田に鎮座。
式内社 小田神社に比定される神社。
境内
社頭
社号標
手水舎
拝殿 兼 社務所
賽銭箱
境内
二の鳥居と本殿瑞垣
狛犬
社殿
本殿瑞垣
本殿
境内社等
瑞垣内、本殿の右手に境内社
稲荷神社、國保食神社、香都知神社、猿田神社。
本宮旧跡碑
拝殿後方、参道の右手にあります。
かつて社殿がここに建っていたということでしょうか。
由緒
村社 小田神社
一.御祭神 物部建彦命
厳島神社 市杵島姫命
八幡神社 誉田別尊
三大神社 大日孁尊
牛頭神社(八坂神社) 素盞嗚命
稲荷神社 倉稲魂命
大将軍神社 日本武命
御由緒
小田神社は、饒速日尊の十三世の孫であり物部尾輿公の弟神・小田連公の祖とされる物部建彦命をお祀りしています。平安時代中期の延喜式神名帳に「小田神社」として登載されている式内社(紀伊國で三十一社、伊都地方では二社)であると共に鎌倉時代初期の紀伊国神名帳にも「従五位小田神」として記載されている官知社で、往古から神祇官の幣例に預かる格式高い神社として栄えました。その神域は四町四方もあったと伝えられ広大にして荘厳な社として、朝野ともに尊敬の深かった大社でありました。しかし、数度の兵乱のために、社殿や宝物を失い、社地も荒廃して木陰に仮殿を設けてお祀りしていましたが、紀伊藩主徳川頼宣公が元和年間に旧境内本殿跡に石の宝殿を建て「小田神社」と刻し、ご神体として後世に伝えさせ、現在に至っております。
尚、近年、右記の六社も合併してお祀りしています。
創建時期は不詳。
『平成祭データ』には1400余年前建立とあるので、それに従えば6世紀末頃。
また同資料には「饒速日命を祖先に持つ物部大連公、後に小田の連公(第9代開化天皇の妃の兄)は大和より当所小田に移り住居し、祖先物之部武彦命を祀られ小田神社を建立した」とありますが、「開化天皇の妃の兄」で物部氏というと伊迦賀色許男(伊香色雄命)となり年代が合いません。
おそらく物部建彦命の子孫である小田連(の誰かしら)が当地に移り住み祭祀したと言いたいのではないかと思いますが…
なお物部建彦命については、詳しいことはわからないのですが、先代旧事本紀によると宇摩志麻治命の十三世孫(由緒には饒速日尊の十三世孫とある)。上述の通り、小田連等の氏族の祖だそうです。
延喜式神名帳にみえる「紀伊国伊都郡 小田神社」および、『紀伊国神名帳』にみえる「従五位上小田神」は当社のこととされます。
かつては神域が神域が四町四方もある大社であったそうですが、数度の兵乱で社殿・宝物を失い、社地も荒廃し木陰に仮殿を設けて祀るという状態にまで衰退。
その後、元和年間(1615~1624)に徳川頼宣が境内本殿の跡に石の宝殿を建立し、「小田神社」の4文字を刻んだとされ、この石の宝殿が現在の御神体だとのこと。
明治6年村社列格。
御朱印
御朱印はあります。
宮司さんは非常駐なので、要事前連絡。
宮司さんによると郷土史家の方が近くにいらっしゃるそうで、御朱印を頂いたときに連絡を取っていただけたのですが、都合が合わずお会いできませんでした。
アクセス
和歌山市方面から国道24号をひたすら東へ。
あるいは岩出根来ICから京奈和自動車道(無料区間)に乗り、高野口ICで降りたら左手に進み、大野交差点(位置)で左折して国道24号に合流。
国道24号の伊都高校南交差点(位置)で南に入ります。
そのまま進むと食い違いの十字路(位置、直進は行き止まり)に出るので東(左)へ。
そこから100mほど先に神社。
駐車場はなし…と思っていたのですが、Googleストリートビューで見ると鳥居の手前、倉庫の一角に駐車場らしきスペースがあります(カラーコーンに小田神社と印刷された紙が掛けてある)。
参拝者用かはわかりませんし、広さは一台分しかありません。
神社概要
社名 | 小田神社(おだじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 和歌山県橋本市高野口町小田76 |
祭神 | 物部建彦命 |
合祀 | 市杵島姫命 誉田別尊 大日霊尊 素盞嗚命 倉稲魂命 日本武命 |
社格等 | 式内社 紀伊国伊都郡 小田神社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | 不明 |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「小田神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「小田神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987