水分神社(府中町字上岡田)

水分神社。

府中町の水分峡森林公園内に鎮座。

日本三代実録 貞観元年6月26日条に見える水分天神(国史見在社)に比定される神社。

水分峡森林公園

榎川上流部。写真奥左手が駐車場です。

 

川に架かる橋の上から

 

案内板

水分峡

水分峡は、標高682mの呉娑々宇山の麓に位置し、四季折々の姿を見せる小渓谷は緑豊かな自然が残っています。この渓谷の入口近くには、水の神である水分神社が祀られ、上流には清流が幾重にも重なり合いながら落ちていく草摺の滝や振打岩などがあります。

また、園内にはキャンプ場・野鳥観察小屋・遊歩道なども整備され、町民の憩いの森として親しまれています。

みなさん、自然を大切にしましょう。

 

手水鉢?

 

鳥居

 

扁額

 

神社そばの砂防ダム

 

案内板

水分峡大堰堤

大正15年 この地方は大洪水に見舞われた。府中町では堤防の決壊10数ヶ所延べ3500間(約6300m)橋梁の流失20余 低地部の一帯が海となり、田畑流失66町歩(約66ha)の被害 家屋359戸にのぼり(当時の戸数800戸)余 人口3,700人であった。

大正15年の洪水による山林荒廃地の砂防施設工事を内務大臣に陳情 昭和14年旱害による応急対策施設に字石ころび谷間の溜池新設を議決 昭和16年 県 水分峡堰堤工事が完成した。(府中町史から)

社殿

割拝殿

 

扁額

 

本殿

 

後方から

 

すぐ後ろにある巨岩は磐座だったりするのかしら

由緒

由緒板

水分神社由緒

この水分神社は神武天皇御東征の砌り安芸の埃宮御滞在中このところにおいて水を御汲み取りになったとして申し伝へられる(口碑)

当社の祭神は天之水分神国之水分神を祭神とし貞観年中(1100年前)勧請したるものと云ふ(口碑)

貞観9年10月13日従五位下を贈らる(三代実録)

 

案内板

水分神社と草摺瀧

水分神社は、貞観元年(859)に従五位下を授けられた安芸国水分天神の名残と考えられ、鎌倉時代には、八幡宮・総社・角振社などとともに国に年貢を納めなくても良い免田が認められるなど、古い歴史をもつ神社である。水分には水配りの意味があり、府中地域の水の神としてまつられた神社で、旱魃の時には雨乞いの祈禱がたびたび行われたことが江戸時代の記録に残されている。

草摺瀧は、水が幾重にも重なりながら落ちて行く瀧の様子が鎧の草摺に似ているため、江戸時代の終わりごろ頼春水が名付けたと伝えられている。

創建時期は不詳。

伝承によれば、神武天皇東征の際、安芸の埃宮御滞在中に水を汲み取られたところだとされます。

三代実録の貞観元年(859)3月26日条に安芸国正六位上水分天神に授五位下が授けられた記述が見えます。郡名は記されていませんが、『芸藩通志』ではこの社であるとしています。

また、当地には水分荒神という社がかつて存在し、廃された後に当社に合祭されたとされます。

『安芸国衙領注進状』(田所文書)には「水別社仁王講免三段、有富」、「水別社免五反」の記載あり。

『芸藩通志』に、「文化年中(1804-18)、祠官田所某、社傍より古甕を掘出せり。内に石あり、色青黒にて円なり。或は昔の神体ならんといふ」とあります。この石(御神体?)がどうなったかは不明。

続いて「昔は神田ありて仁王講なども行はれしが、今はいささかなる祠なり」とあり、この頃既に小祠となっていたことがわかります。

なお上掲の案内板にある草摺瀧は、当社よりもう少し上に登ったところにあるようです(私はそこまで登っていないので未見)。

御朱印

御朱印の有無は不明。

本務社も不明(多家神社か?)。

アクセス

多家神社のあたりから榎川に沿って北東に進みます。

総社跡付近の総社橋を渡った辺りから道幅が狭くなるので注意。

総社橋から1kmほど行くと住宅地が終わり、すぐ先右手に駐車場があります。

駐車場この辺り。

そこから水分峡の方に入っていくと割とすぐに神社があります。

神社概要

社名水分神社(みくまりじんじゃ)
旧称

水別明神

水別若宮明神

通称みくばりさん
住所広島県安芸郡府中町字上岡田983
祭神天之水分神
社格等

日本三代実録 貞観元年三月廿六日壬午 水分天神 従五位上

旧無格社

御朱印不明
駐車場あり(水分峡森林公園駐車場を利用)

コメント

  1. あちこち磐座めぐりをしていますが、まだまだあるんですね。
    参考になりました。また行ってみます。

  2. たんぽぽろぐ より:

    >sazanami jiroさん
    こんにちは。
    磐座巡りをされているのですね。素晴らしい事です。
    弊ブログの情報をご参考にしていただけたのなら幸いです。