賀志波比売神社(阿南市見能林町柏野)

賀志波比売神社。

阿南市見能林町柏野、住宅地の一角に鎮座。

式内社 賀志波比売神社の旧地とされる地に建つ神社。

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境内

神社そばの県道193号交差点に立つ案内板

「天照大御神ご生誕地」というインパクトのある案内。

 

民家の塀に社名札

 

社名札から右手奥に神社

 

社頭

 

鳥居

 

扁額

 

天照大御神生誕之地碑

 

手水鉢

 

御神木

社殿

拝殿

 

拝殿前の社号札

 

本殿覆屋

由緒

竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原 天照大御神ご生誕地 最東端の地

日本最古の歴史書「古事記」に

『夫婦神の伊邪那岐命と伊邪那美命は、高天原から降りて来られ国生みをはじめられた。その途中で亡くなった伊邪那美命に会うため、伊邪那岐命は黄泉の国に行き、

「見てはいけない」と言われた伊邪那美命の屍体を見たため追われた。黄泉の国を逃げ出した後、伊邪那岐命は「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊ぎ祓いをすると、天照大御神と月読命と須佐之男命が生まれた。この時、伊邪那岐大神は「天照大御神と月読命は高天原を治めよ。須佐之男命は海原を治めよ。」と命じた。』と記されています。

「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」と祓詞でも奏上される「竺紫」とは、「尽きる」で、「日向」は、ひむか・ひんがし・ひがしと変化した言葉です。つまり「竺紫の日向」とは「東に尽きた地」という意味です。

神武天皇が奈良へ行く前の最東端の地は、橘湾に面した阿南市見能林町青木・柏野地域にあたります。ここが『天照大御神の生誕の地』です。

賀志波比売大神の神名は「古事記」等に書かれていませんが、伊邪那岐命がこの地で禊ぎ祓いをして天照大御神が生まれたと「古事記」に記されていることから、天照大御神の幼名は賀志波比売大神であったと考えられます。光輝く天照大御神と月読命は、高天原(神山町)へ巫女として送られました。

賀志波比売神社は、平安時代(九二七年)に完成した延喜式神名帳の中に記録された三一三二座の由緒ある延喜式内社の一社です。現在、賀志波比売大神は津峰山頂にある津峯神社に奉斎されています。

御神紋は八角形(三方)です。神様に御供えする際に使われる「三方」は、古くは柏の葉(ひらで)が用いられ、現在も皇室では使用されております。

また、「柏」は「柏手を打つ」というように神事と深い関わりをもっているのです。

創建時期は、津峯神社の由緒に倣えば神亀元年(724)。

 

延喜式神名帳にみえる「阿波国那賀郡 賀志波比賣神社」は当初この地に鎮座し、後に津乃峰山上に遷座して津峯神社になったとされています。

遷座時期は不明。

天明2年(1782)成立とされる『阿府志』に「当社は山の麓に在しを所の郷民望に因りて今の山上に移す、是は年暦久しからず、尤も麓の社も猶存せり、此社真に古し、樹木繁茂せり、毎年臘晦の夜龍燈あがると」とあることから、遷座が天明期より余り遡るものではないこと、またこの頃既に旧地に社が設けられていたことがわかります。

 

 

昭和27年に八幡神社(見能林町東浦)に合祀。

社地に見能方保育所が建設され、その北西隅に祀られたといいます。

ここの時系列がよくわからない(玄松子の記憶さんに掲載されている社殿内案内板には「昭和二十七年社地の大部分が見能方保育所が建設され、そのため社殿は北西隅に移転鎮座」とあり、『式内社調査報告』には「昭和二十七年八幡神社に合祀され、現在はその社地を見能方保育園に貸し」とある)のですが、おそらく昭和27年頃に社地を貸与して保育所を建設し、当社はその北西隅に遷され八幡神社の摂末社になった(あるいは建設中は八幡神社に合祀され、完工後に保育所北西隅に遷したか)と思われます。

 

 

昭和63年に保育所が移転したため社地を返還され、移転改築。

保育所があったにしては境内が小さい気もするのですが、一部は分譲されたのでしょうか。

 

古事記の舞台を阿波とする説があり、それによると伊邪那岐命が黄泉の国から戻って禊祓をした「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」は当地(下掲の地図によると少し東の打樋川)であり、つまり天照大御神(並びに月読命、須佐之男命)はここで生まれたとされます。

境内に天照大御神生誕之地碑があるのはこのため。

祭神の賀志波比売命は、この説によると天照大御神の幼名だとされています。

 

阿波岐原周辺地図

御朱印

御朱印の有無は不明。

本務は津峯神社です。

アクセス

小松島の方から県道130号を南下してきて、見能林駅前の交差点(位置)を東に折れ、県道193号へ。あるいは同様に国道55号を南下してきて、見能林駅東の交差点(位置)を西に入り県道193号へ。

130号からなら400mほど、55号からなら250mほど行くと、交差点(位置)南西の路肩に「天照大御神ご生誕地」が立っているので、そこを南に入ります。

するとすぐ先の民家の塀に賀志波比売神社の札が掛けられているので、その右手の路地に入っていくと神社。

 

駐車場はなし。神社前は住宅なので路駐不可。

県道挟んで北側にある八幡神社に停めさせてもらうのが良い(飛地境内社だし)のですが、八幡神社も駐車場が明示されていません。境内南の注連柱の左手の空き地に停めさせてもらいました。

八幡神社境内東の神楽殿?だんじり庫?の裏にもスペースはあるのですが、駐輪場としか書いておらず民家の入口もあるので、駐車場なのかは不明。

神社概要

社名賀志波比売神社(かしわひめじんじゃ)
通称
旧称
住所徳島県阿南市見能林町柏野22
祭神賀志波比売命
社格等

式内社 阿波国那賀郡 賀志波比売神社

八幡神社飛地境内社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考津峯神社の元宮(旧地)とされる

参考文献

  • 「津峯神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019