加太春日神社(和歌山市加太)

加太春日神社。

和歌山市加太に鎮座。

式内社 加太神社の論社。

境内

鳥居

 

社号標

 

手水舎

 

二の鳥居

 

狛犬

社殿

拝殿

 

本殿。重要文化財です。

覆屋があり外からは正面しか見えないのですが、宮司さんのご案内で昇殿させていただき、社殿の彫刻を間近で見ることができました。

 

蟇股

 

木鼻

 

脇障子

 

 

昔の写真

境内社

境内社鳥居

 

白龍神社

 

賽神神社、須佐神社(祇園社)、蛭子神社、八幡神社、八王子神社

 

狛犬

 

稲荷神社

 

布留神社

 

麿王璽?

由緒

国指定建造物 加太春日神社本殿

加太春日神社の創建は明らかではありませんが、江戸時代の『紀伊続風土記』には、当初は天照大神を祀っていたが、中世に住吉社を合祀し、その後、日野左衛門藤原光福がこの地方を支配した嘉元年間(1303~1317)に、自身の祖先神である春日三社を合祀し、それ以降は春日神社を称するようになったと書かれています。

現社殿は、羽柴秀長の家臣で和歌山城代をつとめた桑山重晴により建立されたものです。一間社流造の檜皮葺で、屋根中央に突出する千鳥破風、軒先には湾曲して屋根と一体化した軒唐破風が付いています。木鼻・蟇股・欄間・脇障子などの彫刻はとても豪華で、安土桃山時代の特色をよく表しています。

蟇股の彫刻は、雲に龍、竹に虎、宝珠、恵比寿、貝、海老など海に関わる題材がみられることは海村の神社として注目されます。また、仏典に現われる想像上の鳥である迦陵頻伽は、上半身が人で下半身が鳥に表現されますが、蟇股の装飾に用いられるのは他に類例がなく、大変珍しいことです。

創建時期は不詳。

『紀伊国造家旧記』によれば、神武天皇御東征の際に、天道根命が二種の神宝を奉じ加太浦に上陸、頓宮を造営して天照大御神を祀ったのが始まりとされます。

 

役小角が友ヶ島を行場とした際、当社を守護神としたと伝わります。この関係で、現在も毎年4月中旬に聖護院門跡が大勢の山伏僧と共に参拝するとのこと。

 

漁業の盛んな地であったため、後に住吉神を合祀したようで、文保元年(1317)6月29日付預所某田地寄進状(向井家文書)にみえる「賀太庄住吉社」は当社のこととされます。

『紀伊続風土記』によれば、日野左衛門藤原光福が地頭としてこの地を支配した嘉元年間(1303~1317)に、祖先神である春日三神をあらたに祀り総名として「春日社」を称したとされ、嘉吉2年(1442)の記録として春日明神神事日記(向井家文書)があります。

『紀伊国神名帳』にみえる「正一位春日大神」は当社に比定されています。

『紀伊国名所図会』によれば、元は東の山の中腹にあり、天正年間(1573~1592)に豊臣秀長の家臣桑山重晴により現在地に遷座したとされます。

慶長元年(1596)に大掛かりな社殿造営のあった事が棟札により実証されています。この時造営されたのが現在の社殿。

 

明治時代まで神職を置かず、宮座形式の当屋制によって運営がなされていました(そのためか、記録類が全く存在しない)。

明治期の社格は村社。

戦後に現社名の加太春日神社に改称(戦前の正式な社号は不明。おそらく春日神社か)。

 

当社を延喜式神名帳にみえる「紀伊国名草郡 加太神社」にあてる説もあるようです。wikipediaをはじめネット上にその記述がいくつか見えますが、典拠不明。

 

祭神一覧

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

アクセス

和歌山市街地から県道7号を西に向かい、南海加太駅の西で住宅地に入り細い道を進んでいくと神社前へ。

一応境内に駐車可能ですが、周辺の道が狭いのであまりおすすめはしません。

ちょっと歩きますが、神社北西にある加太北ノ浜公園の駐車場を借りるのがよいかも。

神社概要

社名加太春日神社(かだかすがじんじゃ)
旧称春日神社(?)
住所和歌山県和歌山市加太1343
祭神

天児屋根大神

武甕槌大神

経津主大神

配祀

天照皇大御神

住吉大神

社格等

式内社 紀伊国名草郡 加太神社

旧村社

御朱印あり
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.hir.ne.jp/e3/omiya/

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