磐神社。
奥州市衣川区石神、前沢駅の東約6kmの場所に鎮座。
式内社 磐神社に比定される神社。
境内
参道
西参道
社頭
鳥居
狛犬
社殿
拝殿
扁額
木鼻
磐座
社殿後ろに巨大な磐座があります
こちらが御神体とされ、本殿はありません。
小さな石祠が乗っています
石碑
社殿西側に並ぶ石碑
由緒
磐神社
延喜式内奥州一百社の内で胆沢七社の一とされ、古代より崇敬された神である。この神社は男石大明神とも称し、松山寺境内の女石神社と合せた陰陽の二神で日本武尊、稲葉姫命をまつるとされ、二社に分れるが当社が本社となっている。ご神体は東西一〇.二m、南北八.八m、高さ四.二mの自然石で古来社殿は設けないならわしであったが、明治四年には上衣川村の村社となり、明治三〇年頃、近郷の氏子の強い要望による寄付金で拝殿が建築された。
なお、当社のすぐ右前方には安倍館があり、安倍氏は当社を守護神(荒覇吐神)として尊崇し、磐井以南に威を振う拠点をこの地に形成したと伝えられる。
創建時期は不詳。
文徳実録 仁寿2年(852)年8月辛丑(7日)条に「陸奥国…石神…授従五位下」と見え、これが当社のこととされます。
延喜式神名帳には「陸奥国膽澤郡 磐神社」とみえています。
安倍氏は当社を荒覇吐神として崇めていたといいます。
近隣の松山寺境内には女石を祀る女石神社があり、当社と一対となっています。
当社が荷石明神とも称されるのは、この荷石山松山寺と中世以来習合関係にあったからのようです。
明治4年村社列格。
霊石を御神体としており、古来社殿は設けられていなかったそうですが、明治30年頃に現在の社殿が設けられたとのこと。
御朱印
御朱印の有無は不明。
何でも宮司さんのいない(兼務とかではなく、いない)神社だそうなので、多分ないと思います。
アクセス
平泉前沢ICを平泉方面に降り、すぐ先の平泉バイパス北口交差点(位置)を右折。
またすぐ先の衣川入口交差点(位置)を右折、県道37号へ。
5.5kmほど先(位置)で左折(松山寺の寺号標が立っているところ)。
700mほど行くと右手の田んぼの間に神社への細い道があります(位置)。
社殿右手に石神担い手センターという建物があり、その前に駐車できます。
神社概要
社名 | 磐神社(いわじんじゃ) | |
---|---|---|
通称 | おいしさま 男石大明神 荷石明神 | |
旧称 | – | |
住所 | 岩手県奥州市衣川区石神99 | |
祭神 | 伊邪那岐命 | 『平成祭データ』 |
石凝姥命 | 社伝(『特選神名牒』) | |
日本武尊 | 境内由緒書 | |
荒覇吐神 | 境内由緒書 | |
社格等 | 式内社 陸奥国膽澤郡 磐神社 日本文徳天皇実録 仁寿二年八月辛丑(七) 石神 従五位下 旧村社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | 不明 | |
御朱印帳 | – | |
駐車場 | あり | |
公式Webサイト | – | |
備考 | 松山寺境内にある女石神社と一対 |
参考文献
- 「上衣川村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「磐神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』皇學館大学出版部, 1987