伊久比売神社。
和歌山市市小路に鎮座。
式内社 伊久比売神社の論社。
境内
鳥居
手水舎
御神木のクスノキ
拝殿手前両脇にあります。市指定天然記念物。
3本あるという記述をいくつかのサイトで見かけたのですが、もう1本が境内のどこにあるか不明。
社殿
拝殿
本殿
境内社等
『新編和歌山県神社誌』によると境内社は吉野社、住吉社、八幡社、八王寺社、里神社、琴平社、八幡社、九頭社、春日社、八幡社、妙見社。この他に『式内社調査報告』は稲荷神社、祇園社、金刀比羅社を挙げています。
金比羅宮
金比羅宮の狛犬
春日神社、八幡神社
八幡社
左が八幡社と八王子社(おそらく)、右が住吉神社(おそらく)
妙見社(おそらく)
天龍大神(白蛇明神顕現様)
里神神社?
社名不詳の石祠
切り株の上にお狐さんほか
稲荷社?
金毘羅大権現、天照星太神宮、氏社両大明神と彫られた石塔
由緒
創建時期は不詳。
紀の川の河口にあるため度々洪水の被害に遭い、また戦火により焼失したりしたため由緒不詳。
天平年間(729~749)に異賊が襲いきた時、藤原貞国がこれを追討し凱陣の後、神のお告げにより当社に奉幣したとの伝えも。
延喜式神名帳に見える「紀伊国名草郡 伊久比賣神社」を当社とする説があります。
江戸時代、徳川頼宣の時に式内社とされ社号を改め、境内に「禁殺生」の札が立てられたとされますが、比定の根拠は不明。
氏子には昔から「市姫大明神」と呼ばれているらしく、また地名の「市小路」から、『紀伊続風土記』は当地に市場があり、その神だったのではないかとします。
また同書は「七八百年前は此地海中にして式内の神の古く鎮座あるへき理なし」としますが、『日本歴史地名大系』は「最近の自然地理学的研究によると、現社地は平安時代に海中や河道内ではなかったことが明らかにされ、紀ノ川の一本流は現社地の北方を流れていたとされる。したがって、当社は古くから現在地にあった可能性があり、楠見一円の氏神的な神社であったと推定される」としています。
明治6年村社列格。
紀伊続風土記
宮村にあり土人は市姫大明神といふ荘中四箇村の産土神なり此地紀川の海口にして屢洪水の為に淪没し戦争兵燹の為に薫熄燼滅へ当社の来由絶て考ふへきものなしまして七八百年前は此地海中にして式内の神の古く鎮座あるへき理なし意ふに往古は当社此地より東北の辺に鎮りましゝに海口変革して此地に村里を開きしより此地に移したるなるへし村名を市小路といふときは其比此地市場となりしならん当社其地に鎮り座せるより土人は市姫と唱ふるか 京五条に市姫神社といふあり市場の神なるにや 封初伊久比売神社の遺跡を尋させ給ひ当社を其神社と考定し土人の称号を改められ享保十一年に至り境内四至に禁殺生の傍を立られ漸く古祠の姿に復し給ふ猶山口荘谷村山王権現の条を併せ考へし
御朱印
御朱印はあります。
神社向かいに社務所(多分兼ご自宅)がありそちらで拝受可。
アクセス
和歌山城、和歌山市駅などの辺りから国道26号を北上し紀ノ川を渡ります。
渡ってすぐ、「粟↖」の青看があるので左手に進み国道を降ります。
降りてすぐの粟交差点(位置)を左折。250mほど先(位置)で右折(ここから道狭い)。
350mほど行くと左斜め前にスーパーがありますので(位置)、そこを左折。
その先すぐ神社です。
境内の道路挟んで向かいにある社務所前に1台程度停められるスペースがありますが、前の道は狭めかつカーブの手前の場所なので出る際は注意。
神社概要
社名 | 伊久比売神社(いくひめじんじゃ) |
---|---|
通称 | 市姫大明神 |
旧称 | – |
住所 | 和歌山県和歌山市市小路330 |
祭神 | 伊久比売命 |
社格等 | 式内社 紀伊国名草郡 伊久比賣神社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「伊久比売神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「伊久比売神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
- 仁井田好古『紀伊続風土記 第1輯』臨川書店, 1990