金刀比羅神社(いわき市常磐関船町諏訪下)

金刀比羅神社。

湯本駅の南1km弱の所に鎮座。

日本三大金毘羅宮の一つとされる神社。

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境内

鳥居

手前の社号標は境内にある諏訪神社のもの。

 

鳥居手前にある石碑

折れているのは震災の被害か否か…

 

鳥居の先へ進むと右手に階段があります

左手にはスロープがありますが、そちらは境内にある明徳舘幼稚園への道。

境内社

長松霊神社

湯長谷藩士鈴木吉之丞を祀る神社。江戸詰で藩政改革に取り組んだものの讒言により捕らえられ、長い獄中生活の末に獄死。その後上湯長谷の長谷寺に長松神社として祀られましたが、移転となりこちらに遷座した模様。

 

その横には金刀比羅神社の社号標

 

山神社 稲荷神社

 

磐城天満宮拝殿

平成10年に京都の北野天満宮から分霊を勧請したそうです(だいぶ新しい)。この社には長松神社も合祀されているようです。

社殿手前、左右に由緒の書かれた札が立っており、左側が磐城天満宮、右側が長松神社。

前述の通り、長松霊神社が階段下にあるのでちょっと不思議ですが、ゴシュインデイズさんの記事(2011年時)にある写真では長松神社の由緒札が立っていません。

神社公式サイトによれば、「平成23年12月、磐城天満宮を仮殿として遷座し、合祀」とのこと。

 

磐城天満宮(長松神社)本殿

 

諏訪神社拝殿

延暦20年(801)坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際、陸奥国菊田郡昼野邑に勧請。

延久年間(1069~1074)泉田邑に遷座。

文永年間(1264~1275)湯長谷郷(現在の下湯長谷町梅ノ房=俗称諏訪跡)に遷座。

延宝7年(1679)初代湯長谷藩主内藤政亮が金毘羅大権現宮の境内(現在地)に遷座。

明治2年(1869)村社に列格。

実は金刀比羅神社より700年も歴史の長い神社です。

 

諏訪神社本殿

 

なお、以前は金刀比羅神社の社殿が天満宮の場所にあったそうです。

 

またこの他に、胡桃下稲荷神社、愛宕神社があり、さらに令和元年には桜ヶ丘神明社が遷されてきたようです。

参道

諏訪神社と天満宮の前を通り、金刀比羅神社への参道を進みます。

 

朱い鳥居

 

鎮護社と書かれた扁額

 

金毘羅大權現宮と書かれた社号標

社号標は新しいけれど、表記は旧社号。

 

ゑびす神社

平成10年に京都東山ゑびす神社より分霊を勧請。

 

狛犬

 

6月10日に行われる湯立神事に使われる大釜

社殿

拝殿

 

本殿

由緒

永正2年(1505)、現宮司家3代目の威寶院弘栄が讃岐の金毘羅大権現の御分霊を勧請したのが始まり。

 

現いわき市内はもとより、茨城県北部の人々にも尊崇される社となりましたが、元和年間(1615~1624)に落雷により社殿全焼。長く再建されずにいました。

その後宝暦年間(1751~1764)に至り、年貢米輸送船や沿岸の漁船に海難が激増。人々は「金毘羅大権現の祟り」と恐れます。

これを嘆いた威寶院第23代峯順は四国金毘羅大権現へ海難救済祈願のため、33度参詣。その甲斐あってか海難は激減。

磐城各藩主や漁師が金品・木材等を寄進し、明和7年(1770)社殿が再建されるに至りました。

 

明治2年(1869)「金毘羅大権現」から「金刀比羅神社」へ改称。

御鎮座五百年記念事業として、平成5年から新境内地造成、新社殿建築工事を行い、同8年に完成・遷座。

 

当社について記載されている資料が見当たらず、旧社格がわからなかったのですが、出雲大社Webサイト内にあるだいこくさまNETの情報によると旧村社のようです(※2019年現在上記ページは削除済み)。

 

なお、記事の最初で触れた日本三大金毘羅宮とは、香川県琴平町の金刀比羅宮、福島県いわき市の当社、そして千葉県いすみ市の日在寺金毘羅堂を指します。

御朱印

御朱印はあります。

社殿右手にある社務所で拝受可。境内社6社の御朱印もあるようです。

オリジナル御朱印帳もあります。

 

アクセス

湯本駅前から県道56号を南下していきます。しばらく走るとバス停があるので、そのすぐ先(位置)を右折。目の前が駐車場です。

神社概要

社名金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)
通称
旧称金毘羅大権現
住所福島県いわき市常磐関船町諏訪下6-3
祭神大物主大神
社格等旧村社
札所等
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttp://kotohira-iwaki.jp/
備考

日本三大金毘羅宮の一社とされる

参考文献

  • 「関村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「金刀比羅神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995