石都々古和気神社(石川町字下泉)

石都々古和気神社。

石川町役場の後方、八幡山の山頂に鎮座。

式内社 石都都古和気神社の論社。

境内

社前を川(今出川)が流れており、川向こうに狛犬と燈籠があります。車が停まっていましたが、神社の駐車場として使われているのは不明。

 

狛犬

 

三蘆城趾碑。三芦城は平安末期から戦国時代にかけて石川郡を支配した陸奥石川氏の居城。八幡山の山頂、現在の神社の東側にあったとされます。

 

参道入口

 

「陸奥一の宮 石都々古和気神社」「祭祀遺跡の里・自由民権運動発祥の地」

 

社号標

 

鳥居

 

手水鉢。水の表面が凍っていました。

 

境内図。山頂の社殿までは、ゆっくり歩くと10分ほどかかります。

 

狛犬。名工・小林和平による作品で、神社で頂いた案内によれば、飛翔親子獅子と呼ばれているそうです。

左側、吽形の方には子獅子が3頭寄り添っています。いずれも和平の子供で、お腹の下でじゃれ合う2頭は赤ん坊の頃亡くした長男と次男、顔の横の1頭は15歳で亡くした長女にそれぞれ想いを重ねて彫られている…とのこと。狛犬好きの方には有名で、遠方から見にくる方もいるのだとか。平成28年5月に町指定文化財となりました。

 

石段。最近新しく作り直されたのでしょう、まだ真っ白です。

 

石段上に鳥居

 

石段上からの風景

 

参道。現在は舗装されていますが、割と最近までは未舗装の山道だったようです。(参拝は2015年末)舗装しながらも、元々あったと思われる大きな石を道の真ん中に残しているあたりがいい感じです。

 

参道中ほど。境内図によれば、奥の燈籠のあたりに鳥居があることになっています。何らかの理由で鳥居が除かれ、跡に灯籠を建てたのかもしれません。

 

上の写真あたりから右手の紅葉・桜の小径という名の道を進むと桜見台という場所に。春にはここに桜が咲くのか、あるいはここから見下ろすと桜が見えるのか。

磐境

参道には磐境とされる巨岩が点在しています。

 

天狗石

 

亀石

 

屏風岩

 

夫婦石

 

石門(鳥居)

 

神籬岩

 

船形岩

 

勾玉岩

 

勾玉岩の上に立つ天龍桜

社殿

社殿前石段

 

社殿前鳥居

 

拝殿

 

扁額には巴紋

 

本殿

 

本殿後方に剣石

境内社等

多賀神社(左)と諏訪神社(右)

 

由緒札

この神社は一家和合、家内安全、商売繁昌の神として古くから信仰され(特に?)石川町の吉田姓の守護神として崇敬されてまいりました

以前は神社名にちなんで多賀?(竹や鉄のたが)が崇敬者により奉納されておりました

なおこの社殿は吉田姓の氏子三十四戸の協力により昭和53年4月に改築されたものです

由緒札

三芦城主・石川家筆頭家老であった溝井家の守護神および神社

 

額殿

 

五重の塔。こちらも下の狛犬と同じ小林和平の作品だそうです。

 

御神木の高野槙。ご覧の通り現在は枯れてしまったようで、幹の部分だけが残されています。

 

近くに注連縄の巻かれた木がありました。新しい御神木かもしれません。後方の土が盛り上がっているところは土塁跡?

 

石祠

 

史跡 石川城跡の碑

 

狼煙台跡、見張台跡

境内裏手

車で社殿付近まで来る場合には、境内裏のこんな道を通ります。

 

紅葉谷。秋には紅葉がきれいなのでしょうか。

 

鏡岩

由緒

境内由緒板

石都々古和気神社は延喜式内社のひとつに数えられる古社で、古くから山岳信仰の聖地として多くの方々に信仰崇敬されてきた。又、全国的にも数少ない祭祀遺跡(さいしいせき)の跡地として、考古学的にも大変重要な遺跡と言われている。

約一万年位前から信仰されており、多くの磐境(いわさか)が山々に点在し、屏風岩、船形岩、亀石、天狗石、石門(鳥居)、更には三種の神器と言われる剣(剣石)、玉(勾玉岩)、鏡岩等がある。 古代、この地に於いて多くの土着民が集まり、自然崇拝や太占(ふとまに)、探湯(くがたち)等の神事が行われ、一年間の吉凶や物事の神意を占ったとされる。

京都の住人・福田安芸守源有光(ふくだあきのかみみなもとのありみつ)が永承6年(1051)奥州の安倍一族追討の軍に加わり(前九年の役)多大な功績を挙げ、その後、朝廷の命により、八幡太郎源義家の代官となり、この地を賜った。

そして康平6年(1063)この地に移り、名も石川有光となり、更に治暦2年(1066)石川有光の守護神である京都石清水八幡宮の御分霊(大国主命・誉田別命)をいただき、当石都々古和気神社に合祀(ごうし)した。

この日が旧9月19日であり、この時より、この日を大祭日と定め毎年9月13日から19日まで大祭が執り行われ、御神体を納めた神輿が氏子等の手により、山頂神社より、ふもと馬場町御仮屋にお下がりになり、奉納行事や流鏑馬(やぶさめ)が行われていた。石川有光は他の外敵の侵入を防ぐために四方を見渡せる神社神域の一角に自然の山城・石川城を築いた。この地が湿地帯であり、無数の芦(あし)が生え茂っていたことから、後にこの城は三芦城(みよしじょう)と名づけられた。

石川家はその後、天正18年(1590)、第24代といわれる石川昭光が小田原城攻防の際遅参し、豊臣秀吉の怒りをかい、この地を没収されるまで約527年間この地を支配したといわれる。石川昭光の退城により、この三芦城は廃城になったが、当時、重職にあったとされる溝井家、丹内家、又、神官の吉田家が住民と共に永く伝統祭事神事を守り続けてきた。現在、この神域は中世の山城としても遺跡に指定され、空堀、狼煙台(のろしだい)、見張台、本丸跡、土塁等がある。

現在は新暦の9月・敬老の日の前日―土曜・日曜の両日に例大祭が行われ、町民は常に歴史と伝統を重んじ、古式床しく、お祭りを守り続け、今日に伝えている。

観光・歴史

当神社は紫陽花(あじさい)と紅葉の名所として有名、その他水仙、ロウバイ、山桜、サンシュユ等の花々

石川町は「いで湯」と「桜」と「遺跡」の町として全国的にも知られ、又、明治初期、東北初の政治結社「石陽社」が設立され、神官・吉田光一を始め、河野広中や多くの自由民権運動家が活躍した町としても有名である。

創祀については不詳ですが、地方の伝承によると飛鳥時代(614-669)に大臣鎌足(藤原鎌足)が味鋤高彦根命を筒子山に祀ったのが始まりとされます。(筒子山=八幡山か)

延暦年中(782-806)には福田利人が祠を営み祀ったとされます。

その後、前九年の役で功を挙げた福田安芸守源有光(石川有光)が当地を賜り、康平5年(1062)に八幡山に三芦城を築城します。(当社HPより。上記由緒書には康平6年にこの地に移ったとありますがこの1年の違いについては不明。他に社殿造営を天喜年中(1053-58)とする資料も)

築城中、当社を東約400mにある千勝大明神(現・近津神社)に遷座し、治暦2年(1066)現在地に再遷座、源氏の氏神である石清水八幡宮の御分霊(大国主命・誉田別命)を合祀。

明治8年郷社列格。

棚倉町の都々古別神社2社は当初は1つであり、都々古別神社、石都々古和気神社、伊波止和気神社で近津三社とする説もあるそうです。

また、陸奥一の宮を称する神社の1つでもあります。

 

御朱印

御朱印はあります。

季節毎に限定御朱印帳もあります。(デザインは汎用のようですが、御朱印の隣のページにその時期をイメージした絵柄が入っています)

頒布時期にはFacebookで告知をされているので確認されるとよいかと思います。

 

余談

当社Webサイトのメニューに使われているフォントや、黒地に赤文字といったデザインが妙にホラーっぽく感じてしまいました。。

また、境内名所の英文案内で、パワースポットの英訳が「enegy vortex site」なのはなかなかおもしろい訳だと思いました。

アクセス

水郡線の磐城石川駅から徒歩約10分。車の場合、社殿付近に駐車場があります。

このあたり。他にも数台停められる箇所がいくつかあり。

麓に停めたい場合、徒歩数分の場所にあさひ公園の駐車場があります。

あさひ公園駐車場

また、参道すぐ横の石川町役場の駐車場にも停めていいそうです。

白河からもいわきからも時間がかかるため、若干アクセスに難がある場所ではあります。

神社概要

社名石都々古和気神社(いわつつこわけじんじゃ)
旧称石都八幡宮
住所福島県石川郡石川町字下泉150
祭神

味耜高彦根之命

誉田別命

大国主命

社格等

式内社 陸奥国白河郡 石都都古和氣神社

陸奥国一宮

旧郷社

御朱印あり
御朱印帳あり(デザインは汎用、時期により限定絵柄入りが頒布)
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www13.plala.or.jp/seihuukan

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