本母国津神社。
高山市本母町に鎮座。
日本三代実録 貞観17年(875)12月5日甲寅条ならびに元慶元年(877)閏2月26日戊戌条に見える本母國都神に比定される神社。
境内
鳥居
社号標
手水鉢
狛犬
社殿
拝殿
おそらくここ数年で改修or新築されたと思われます。
扁額
本殿覆屋
境内社等
祓戸?とその一角にある岩
御神木?
1枚目はスギ、二枚目はコブシ。
由緒
本母国都神社
一、祭神
本母国都神 白山大神
一、由緒
創立年代は不詳であるが成務天皇の御代(一三一年~)頃に初めて八椅命が斐陀国造に任ぜられ当時国府が置かれていた、本母の地に天津神に対し国都神をお祀りしたのが始まりと伝えられている。
仁寿元年(八五一年)正六位の叙位を受け「三代実録」巻第二十七に「清和天皇貞観十七年(八七五年)十二月五日甲寅授飛騨国正六位本母国都神従五位」と記され従五位に叙されているその後宇多天皇建治元年(一二五七)までに八回の贈位があった。
又九二七年に醍醐天皇の勅撰「延喜式」に載った飛騨の八座の神を式内八社と呼び古く「三代実録」に名が載っている十座の神を式外十社と呼んでいるが、本母国都はその一神である。江戸中期には白山大社を合祀し明治十年高山縣に於いてこの由緒ある国史見在の古社十八社の鎮座地が定められ今日に至る。
(参考)本母の名称については往昔国府を国府町広瀬に遷されてから当地を「本府」と言ったのを本母と書いた説や本母の位置が飛騨の国の中央と言えるから「眞秀之府(まほのぶ)」からきているとの説もある。
創建時期は不詳。
『飛騨の神社』に「「飛騨十八社考」に「当地は上代国府の由、国説に伝ふ、成務天皇の御代に初めて大八椅命を斐陀国造に任ぜられ、また、この国府に来住のころ(村山の天津神)に対しこの処に国都神を斎祭せられけむ云々」」とあり、これに従えば飛騨国府は当初当地にあったことになります。村山の天津神とは国府町村山の現・天満宮を指すと思われます(この神社は式内社 大津神社の論社でもあり、元々は斐陀国造大八椅命が天津神を祀ったことに始まるとされる)。
三代実録 貞観17年(875)12月5日甲寅条に見える「飛騨国正六位上…本母國都神…従五位下」の本母國都神および、同書元慶元年(877)閏2月26日戊戌条に見える「飛騨国本母神…従五位下」の本母神は当社に比定されています(二回同位授与の理由は不明。『斐太後風土記』は「誤あるべし」とする)。
その後も贈位があったとされますが不詳。
江戸中期に白山大神を合祀。
明治4年村社列格。
祭神は国都神。上述の通り、天津神に対する国津神ということのようです。
なお社名の漢字について、三代実録および現在の由緒書、社号標、扁額などは「国都(國都)」ですが、『平成祭データ』や岐阜県神社庁サイトでは「国津」。登記上は「國津」。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
高山駅東口から、駅前の道を北上。宮川沿いの道に合流する一つ手前の角(位置)を左折。突き当りを右折すると神社。最後右折してからの道は狭いです。
国道472号から来るなら冬頭町西交差点(位置)で東に入って苔川渡ってすぐ(位置)左折(狭い)。
駐車場はありません。境内進入不可。付近は住宅地で道が狭く、コインパーキングなどもありません。
神社概要
社名 | 本母国津神社/本母国都神社(ほのぶくにつじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 岐阜県高山市本母町1 |
祭神 | 国都神 白山大神 |
社格等 | 日本三代実録 貞観十七年十二月五日甲寅 本母國都神 従五位下 日本三代実録 元慶元年閏二月廿六日戊戌 本母神 従五位下 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | なし |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「本母村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「本母国津神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 土田吉左衛門編『飛騨の神社』飛騨神職会, 1988
- 富田礼彦『斐太後風土記 上』(大日本地誌大系第七冊)大日本地誌大系刊行会, 1915(国会図書館デジタルコレクション 42コマ)