水無神社。
飛騨一ノ宮駅の南東約500mに鎮座。
式内社 水無神社に比定される神社で、飛騨国一宮とされる神社。
戦前は国幣小社、現在は神社本庁の別表神社。
境内
参道
社頭の神橋
大原騒動一宮大集会之地碑
安永二年(一七七三)飛騨国代官大原彦四郎は、古田畑の再検地を強行しようとした。
重税に堪えがたくなることを恐れた農民たちは、再検に強く反発し各地で集会を開き、代官所への嘆願、大垣藩への越訴、京都二条家への運動、江戸での駕籠訴、駆込願等八方手を尽くしたが、願いは達せられなかった。
九月下旬無数河村長次郎・宮村太七等が主唱し、この地に農民を集めた。やがて本郷村水割堤の集会が合流し、水無神社・鬼川原に集まる者時に一万を越えた。
十月中旬一宮籠居の農民三千人が高山代官所へ押しかけ、年貢上納延期など三ヶ条の願書を提出、徒党に加わらぬ高山を津留めにした。大原代官は、尋常の手段では到底鎮圧できぬと察し江戸表へ急報、幕府は飛騨の近隣五藩へ緊急出動を命じた。
十一月十四日深夜郡上藩勢三百人、代官所手代・地役人四十人が付き添い高山出立、途中松橋に一隊を残し、夜明け宮村に到着、一隊を鬼川原に伏せ、一隊は頭取会所久兵衛宅を始め神主宅・太七宅等に踏み込み、委細かまわずからめ捕った。山下の民家に宿泊していた農民が、合図の鐘を聞き神社に向かって駆け出すと、鬼川原の鉄砲組が火蓋を切り、即死者・重傷者が出た。最後に郡上藩勢は、一体となって拝殿を取り囲み、神域は安全であると教えられ、何の用意もしていなかった農民の集団に突っ込み、あたるを幸い十手で脳天を打ち割り、刀で袈裟掛けに斬りつけ、槍で太股や膝を突き通し、逃げる者には鉄砲を乱射した。この日の即死者三名、負傷者二四名、縄付の者一二五名に及んだ。一宮大集会は、大原騒動で農民が見せた最も大がかりな抵抗であったが、火器まで使った非道な武力の前にあえなくついえざるを得なかった。
全飛騨の農民が命をかけて戦い、多くの痛ましい犠牲者を出した一宮大集会を永遠に記念するため、賛同者の多大な御協力を得て、ここにこの碑を建設する。
鳥居
社号標
国幣小社碑
狛犬
目が怖い…
絵馬殿(旧拝殿)
絵馬殿扁額
一.慶長十二年(一六〇七年)
飛騨の国守となった高山城主金森長近の造営
(当社棟札 一宮拝殿造営定書 飛州志)
一.安永七年(一七七八年)
百姓一揆が安永二年に起り大原騒動と称し、当社の社家も農民に加担、連座し改廃され信州より迎えた神主梶原家熊は両部神道を改め、唯一神道とし従来の仏像、仏具はもとより社殿の多くを取壊し改めて造営するにあたりこの社殿のみ取壊しを免れた
一.明治三年(一八七〇年)
高山県知事宮原積は入母屋造りの従来の社殿を神明造りに建替えた その時この建物は建替用として取壊したのを氏子は自分達の大切な拝殿として保管した
一.明治十二年(一八七九年)
氏子は保管中の拝殿再興を願出、広く浄財を求め元の位置に復元した
一.昭和二十九年(一九五四年)
十年代国の管理の下昭和の大造営がはじまったが、終戦で国の管理から放れ、現在地に移築した
一.昭和五十三年(一九七八年)
宮村重要文化財指定、屋根銅板葺替(従来杮葺)
手水舎
神門
手前に顔はめパネル。
神門内の木製狛犬
神紋の水瓢箪
社殿
一般参拝者は神門前で参拝する形で、拝殿前までは行くことができず、正面からは本殿も見えません。
ただ、後述の社殿左右にある境内社周辺からであれば拝殿側面や本殿を見ることができます。
拝殿
拝殿前の狛犬
神門内には銀杏の木があります
本殿
境内社等
白川神社
白川神社狛犬
霊峰白山(二七〇二メートル)飛騨側の山麓にひらけた集落大野郡白川村は合掌造りの里として世界遺産に登録されていますがその白川村大字長瀬(通称秋町)と同福島の両集落は昭和三十二年(一九五七)御母衣電源開発がはじまり、ダム湖底にしずむことになり氏子も離散、それぞれの集落にあった氏神白山神社を飛騨国一宮(総座)の地に御遷座、両神社を合祀し白川神社として創建しました。
社殿左手の境内社
チバカの桂
市指定-平成七年六月六日
所有者-水無神社
所在地-高山市一之宮町石原五三一三
樹齢-推定四五〇年
員数-一本
目通り-約七、二
樹高-約三十メートル
水無神社本殿北側の境内林の中にある。太い幹が三本立ち、周囲には脇芽がたくさん出ている。
安永年間の頃、神社の裏山を切り開いた際に現在の場所に植え替えられ、その時に元木の部分を伐って神社の用材にあてたとの言い伝えがあり、かつて神社の標木であったとも考えられる。
市指定-天然記念物
指定年月日-平成七年六月六日
所在地-一之宮町五三二三
所有者-水無神社
このカツラの木は二代目で「チバカノカツラ」として伝説があり、またかつては神社の標木であったかもしれないと言われています。
推定樹齢四五〇年で樹幹の目通り周囲は三.三一米、樹高は三〇米です。
社殿右手に稲荷社鳥居
お狐さん
稲荷社
稲荷社そばの岩
県指定天然記念物 水無神社の大スギ
水無神社の二本桧
なぜ一本なのに二本桧かというと、かつてはもう一本あったからだそうです(あるいは、ねじの木がそのもう一本なのでしょうか)。
ねじの木
樹種 ヒノキ
胸高直径 一.五m
水無神社境内の絵馬殿の傍らにあったもので、自然の作用で、ねじまがった珍しいヒノキです。
このねじの木に似せた、「こくせん」という飛騨の伝統的な駄菓子がつくられ、お正月参拝者のお土産になっています。
第一話
その昔、ヒノキの大樹が日陰になるので里人達が伐って普請に使おうと相談しました。一夜のうちに幹はもとより、梢までねじ曲がってしまいました。里人は、神のたたりを恐れあやまったといわれています。
第二話
今からおよそ二〇〇年前宮川が氾濫し、高山の中橋が流されました。時の代官大原彦四郎は、神社の大ヒノキに着目し橋材として差し出すよう命じました。困った神社側は、一計を案じ、このねじの木を示し、神意で一夜のうちにねじれてしまったと、説明したところ、他の杜の木も切ることが取りやめになったと伝えられています。
神馬社
中の神馬を撮っておらず…
市指定-美術工芸品(彫刻)
指定年月日-昭和五十八年五月二十一日
所在地-一之宮町
所有者-水無神社
白馬は安永九年(一七八〇)再製され寄進されたものと代情山彦集と宮村史に書かれてあり、作者は武田の万匠とされています。
元は黒馬であり数回塗り替えられているとのことで、この馬が稲喰い馬でないかと記されています。黒い馬は眼がくり抜かれたようになっていますが鞍掛馬と記されています。史実はともあれ民俗学的にみて、昔から語り継がれて現在存在する有形民俗文化財で価値あるものです。
本造の見事な作品で水無神社の例祭(毎年五月二日)にはお旅所から帰られる神輿をお迎えに引き出されます。
黒馬は祈雨の神馬、白馬は祈晴の神馬として祀られている。白馬は安永九年(一七八〇)に再製され寄進されたもので、夜出歩き稲を食べたという伝説が残る。
神門前の建物
御旅山
御座山・神楽岡とも呼ばれる、当社の御旅所にあたる山。神体山である位山の遥拝所でもあります。
高さ約20m、周囲約1kmの独立した丘陵で、前方後円墳だとする説もあります(祭神大己貴命の神陵とする古来の説もあるらしい)。
場所は下地図参照(未訪なので写真なし)。
神体山・位山
当社南西に聳える位山は、宮川と飛騨川の分水嶺となっており、当社の神体山、奥宮とされています。山中には巨石群が存在。
水無神社の公式サイト由緒に「位山の主の宿儺(すくな)が雲の波を分け天船に乗って位山に来たという古伝説もあり、位山が古代において何か宗教的な神秘性を持ち、位山の神秘性が宿儺という人智を超えたものに凝固したと見る説もあります」と記述があります。
『斐太後風土記』には「此山を位山と云こと、神武天皇へ、王位たもちたまふべきことを、此山の主とて身一にて面二、各足手あるなるが、名は両面四手といふ、雲の波を分、天船に乗つて来れり。此山にして其事を授給しより、位山といへり。其船を乗留し所、船山とて、位山につづきてあり。此事宮殿の縁起にあり」とあります(姉小路基綱による歌集の裏書という)。
別の伝承として、位山には七儺という鬼がいて人々を苦しめたので、天皇が両面宿儺に命じてこれを退治させたというものもあります(現在は散逸した神宝の一つ「七儺の頭髪」はこの鬼の頭髪だという)。
両面四手=宿儺でしょうか。飛騨で両面、宿儺というと日本書紀に見える異形の人物「両面宿儺」がいますが、位山の宿儺と同一の存在を指すのでしょうか。
両面宿儺は日本書紀ではまつろわぬ者で、民を虐げていたとされますが、飛騨では英雄として扱う伝承もあります。
当社本来の祭神を両面宿儺とみる説もあるようです。
由緒
飛驒一宮水無神社略誌
一.御祭神
水無神 御歳大神を主神として
相殿 大己貴神、神武天皇、応神天皇外十一柱
末社 延喜式内外十八社及び国内二十四郷の産土神
一宮稲荷、白川社(御母衣ダム水没の白川郷より奉遷)
一.御由緒
神代の昔より表裏日本の分水嶺位山に鎮座せられ、神通川、飛驒川の水主、または水分の神と崇め農耕、殖産祖神、交通の守護(道祖神)として神威高く延喜式飛驒八社の首座たり。
歴代朝廷の崇敬厚く、御即位、改元等の都度霊山位山の一位材を以って御用の笏を献上する。
明治維新、国幣小社に列し、旧来より飛驒一宮として国中の総社(総座)なり。本殿以下二十余棟建坪凡七百坪は、昭和十年起工、国費を以って改築せらる。
飛驒はもとより、美濃、越中、木曽に及んで分社、縁社二十余社を有する。
一.祭祀
例祭 五月二日神幸祭、当社醸造の公認濁酒授与、神代踊、其の他奉納
節分祭 二月節分の日、追儺神事
生ひな祭 四月三日 日本唯一の生ひな行列の供奉は圧巻
夏越祭 六月三十日 大祓式 茅輪潜に神事
除夜、元旦祭、年越詣
一.特殊神事
㈠神代踊、当社にのみ現存する独特の神事にして毎年五月の例祭及試楽祭に神社前と御旅山で行はれ、無形文化財として指定せらる。
㈡闘鶏祭、飛驒国中の神社にて特殊神事として行はれているも往古当社より伝授されたるものなり。神代踊と共に氏子達百五六十人が揃いの衣裳を着け、円陣をつくり踊る古風幽雅な神事なり。
一宮神楽、雅楽に類するもので国中各神社へ伝授する。
㈢一宮獅子、例祭、試楽祭のみ奉仕する。
創建時期は不詳。
社名の水無を水主(みぬし)からの転訛とし、水の主あるいは水主直(新撰姓氏録 山城国神別に「火明命之後也」とある)とする説があります。
または宮川が社前で伏流しており、「水無川」「鬼川原」などと呼ばれたことから、これに依るとする説も。
正史の初見は、日本三代実録 貞観9年(867)10月5日庚午条にみえる「飛騨国従五位下水无神…従五位上」。
この後、貞観10年(868)7月27日戊午に「飛騨国従五位上水無神正五位下」、貞観13年(871)11月10日壬午に「飛騨国正五位下水無神正五位上」、貞観15年(873)4月5日己亥に「飛騨国正五位上水無神従四位下」、元慶5年(881)10月9日甲申に「飛騨国従四位下水无神従四位上」と累進。
延喜式神名帳では「飛騨国大野郡 水無神社」として飛騨国の筆頭に置かれています。
社伝によれば天平勝宝年間(749~757)飛騨国造高市麿の上奏で一宮に制定。
位山の櫟(いちい・あららぎ)の木で笏を作り献上したところ、朝廷はその美しさから「櫟」を「一位」と命名し、以降笏木は一位と呼ばれるようになったと伝わります。その献上時期は天智天皇の時、聖武天皇の時とするものがあり不明。ただし史料が残っている最古の献上は平治元年(1159)、『宮村史 通史編1』に書状収録。現在も天皇陛下の即位と伊勢神宮式年遷宮に際しては位山のイチイから作った笏を献上しています。
建保年間(1213~19)より社僧を置き、本地堂一宇を建て釈迦如来像を安置、水無大菩薩と称するように。
天文23年(1554)、後奈良天皇が宸筆の紺紙金泥大般若経を奉納。
安永2年(1773)、大規模な農民一揆「大原騒動」が勃発、当社境内はその集会の場となり、神職山下和泉と森伊勢は騒動に連座したとして磔刑に処され社家断絶。
安永7年(1778)信濃から宮司に迎えられた梶原伊豆守家熊は従来の両部神道を唯一神道に改め、阿弥陀堂・鐘堂・仁王門などを撤去し社殿改修、翌8年の8月13日から3日間、飛騨国内の各神社を招請し大祭を執行。この大祭が現在も続く「飛騨の大祭」の元とされます。
明治4年国幣小社に列格。
昭和20年7月末から約1か月間、熱田神宮の御神体が当社へ疎開(御動座)。
戦後は神社本庁の別表神社に指定。
御朱印
御朱印はあります。
境内左手の社務所で拝受可。
オリジナル御朱印帳もあり。
アクセス
高山市市街地から国道41号を南へ。
しばらく南下すると、「飛驒一宮水無神社←」の看板があります(飛騨一之宮バス停のあたり)。
看板のすぐ先、歩道橋のところを左手に入ると鳥居が見えます。鳥居手前まで行き、鳥居のちょっと左手にある道を奥に入ると駐車場あり(位置)。
神社概要
社名 | 水無神社(みなしじんじゃ) ※登記上は「飛騨一宮水無神社」 | |
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通称 | – | |
旧称 | – | |
住所 | 岐阜県高山市一之宮町5323 | |
祭神 | 御歳大神(御歳神) ※主神と相殿神十四柱を総称し水無大神という | 現祭神 『三澤記』 『神名帳叢説』ほか |
大己貴命 | 『一宮御本縁』ほか | |
高照光姫命 | 『神名帳頭注』 『一宮記』ほか | |
神武天皇 | 『飛騨八所和歌裏書』ほか | |
八幡神 | 『元禄検地水帳』ほか | |
天火明命 | 『神名帳考証』ほか | |
水神 | 『先代旧事本紀』 | |
配祀(相殿) | 大己貴命 三穂津姫命 応神天皇 高降姫命 神武天皇 須沼比命 天火明命 少彦名命 高照光姫命 天熊人命 天照皇大神 豊受姫大神 大歳神 大八椅命 | |
社格等 | 式内社 飛騨国大野郡 水無神社 日本三代実録 貞観九年十月五日庚午 水无神 従五位上 日本三代実録 貞観十年七月廿七日戊午 水無神 正五位下 日本三代実録 貞観十三年十一月十日壬午 水無神 正五位上 日本三代実録 貞観十五年四月五日己亥 水無神 従四位下 日本三代実録 元慶五年十月九日甲申 水无神 従四位上 飛騨国一宮 旧国幣小社 別表神社 | |
札所等 | – | |
御朱印 | あり | |
御朱印帳 | あり | |
駐車場 | あり | |
公式Webサイト | http://minashijinjya.or.jp/ | |
備考 | 南西の位山が神体山 |
参考文献
- 「水無神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「飛騨一宮水無神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十三巻 東山道2』皇學館大学出版部, 1986
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第九巻 美濃・飛騨・信濃』白水社, 1987
- 富田礼彦『斐太後風土記 上』(大日本地誌大系第七冊)大日本地誌大系刊行会, 1915(国会図書館デジタルコレクション 95-104コマ)