度瀬神社(高山市国府町広瀬町)

度瀬神社。

高山市国府町広瀬町、飛騨国府駅から1kmほどの場所に鎮座。

日本三代実録 貞観9年(867)10月5日庚午条に見える彦度瀬神に比定される神社。

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境内

社号標

参道を南に行ったところの桜野公園前交差点脇にあります。

 

参道

 

鳥居手前にある広瀬古墳

ちなみに鳥居前から右手に200m程いくと、石室が県下最大級、飛騨地方では最大規模のこう峠口古墳があります。神社との関係は不明。よく調べておらずスルーしてしまったのですが、見ておけばよかった。

 

鳥居

 

手水鉢

 

祓戸?

 

御神木?

 

狛犬

 

飛騨廣瀬度瀬両神社の金蔵獅子

金蔵獅子の沿革

岐阜県吉城郡国府村大字廣瀬町氏神祭典の際行はるゝ金蔵獅子は往古仝神社に奉仕せし僧侶が例祭当日田楽の舞を挙行したる遺風を採り後世此の獅子舞を演するに至りし由言伝ふ

此の獅子舞は伊勢神楽越後獅子の類とは異り全く古典的にして太古飛騨国住民が狩猟を主とせし遺風を伝ふると共に尚武的にして克く獰猛なる獅子を退治し国土の安穏を期せんがため勇気潑溂たる男神の活躍は純情熱血に溢るゝ女神の媚容嬌態相俟って随所に悲劇活劇を演出し殊に幽雅なる笛や太鼓の合奏により妙技は愈々佳境に入り一般観衆をして心酔せしむるに至るものとす

近年広瀬金蔵獅子舞の伝習を請ふ向尠からずして他府県より之れか説明を需めらるに至れり而して演技伝授の場合には最も緊要なる部分は或は之れを省略するの慣例なるに依り往古より踏襲し来れる獅子舞は独り広瀬町のみに存在し金蔵獅子の元祖として之を永遠に存続せむとす

 

演技の概況

天狗面を着け鶏毛冠を戴き手甲短衣に身を固め「タツキ」を穿ちたる男神(金蔵)は其の両手に紅白の段々巻を施したる短棒(剣の代用)を握り終始猛獅の前面に立ちて活躍し左右交互に獲物を打ち振りつ、獅子の進路を遮り其の威圧に耐へ兼ね獅子の気力稍々衰ふるや最も機敏なる行動により獅子の背後に騎乗す

此の時獅子は奮然として男神に迫りて数尺の高所より大地に振り落したる上更に地上に伏臥吟呻せる男神に向って愈々猛烈なる逆襲を試み覧衆をして戦慄恐怖の念に耐へさらしむ本獅子舞中最妙技を表顕せしむるは実に此の瞬間に在り

お福面を穿ち派手模様の婦人衣をまとひ両手に「ササラ」を持ちたる女神(お亀)は常に獅子の後方に在り「ササラ」を摺り鳴らしつゝ専ら男神の行動を真似ね偶々男神か獅子の背後より振り落され気息奄々として或は手を撫し或は脚をさすり只元気恢復に努むるの時女神は俄に男神の身辺に接近し来りて其の憤怒に触るゝも更に臆せず或は撲ち或は蹴りて之を膺懲せんとするも更にひるまず執ように男神の介抱に努力す其の情熱と嬌態とは共に覧衆の爆笑を禁せさらしむ

男神の激怒に屈せず女神は強て之を看護せんとし両神相争ふの時縦横無尽に奮闘したる猛獅子はやがて疲労に耐へざるか如く四肢を伸して横臥し前肢后肢を舐廻はし時に或は寝返りし以て専ら休養に努むる所あり斯くて男神は其の気力恢復し猛獣退治に着手せんとするや獅子亦猛然として奮起し右往左轉の活動殊に目覚しきものあり

囃子の調べ此の時より漸次急調となり形勢次第に急迫し来りて観衆の「ヤルワイヤルワイ」の喊声益々旺盛となる此の時男神は獅子の頭部目掛けて短棒を投擲するも不幸にして命中せず遂に徒手肉薄して之を生擒せんと欲し大手を拡げて頭部を把捉せんと一、二回とも振り払はれ大地に突き飛ばされながら尚屈せず渾身の勇を鼓して三度び接近して漸く頭部に絡らみ附き獅子進めば男神亦進み獅子退れば男神亦退き格闘暫時にして之を地上に圧倒し曩に抛ちたる獲物を拾い取りて后頭部を刺し四肢を緊縛したる後屍体を跨ぎて仁王立となり天を仰ぎて凱歌を奏す此の勇戦苦闘中女神は「ササラ」を摺り鳴らしつゝ男神の動作を真似て右往左転滑稽と愛嬌を振廻し猛獣退治の悲壮なる場面に一脈の清味を添ふるものにして所謂神代劇なり古典的芸術の遺物なりと称するも過言にあらず

 

境内中央に未発掘の横穴式古墳があるとのことですが、それらしきものは見当たらず。

社殿

拝殿

 

本殿

由緒

創建時期は不詳。

 

三代実録 貞観9年(867)10月5日庚午条に見える「飛騨国正六位上…彦度瀬神…従五位下」の彦度瀬神は当社に比定されています。

 

通称「こうの宮」「国府宮」。

『斐太後風土記』は「度瀬」を「廣瀬」の誤りとしていますが、『高根村史』は「本来は諏訪神社なるも氏子が付けたるものなり、広瀬神社では決してない」とします。

ちなみに「広瀬神社」という神社は当社の北東、飛騨国府駅のすぐ北にあります。この神社はかつて神明宮と称しており、『斐太後風土記』は神明宮を度瀬神社とは別個に記しているので、二社を混同しているわけではないようです。

 

当社付近にはこう峠口古墳、広瀬古墳、石橋廃寺という遺跡が多数あります。当初飛騨国府はこの国府盆地にあり、後に高山盆地(旧高山市域)に移ったという説もありますが、国府跡は発見されておらず、正確なところはわかりません。

 

祭神は和加宇加乃売神、大八椅命。

上記の通り「度瀬」を「廣瀬」の誤りとする説もあるので、そこから廣瀬大社祭神の和加宇加乃売神(若宇加能売命)が祭神とされたのでしょうか。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

高山市中心部から国道472号を北上。

トンネルを抜けて川沿いを走ると、左手にラクール飛騨高山という商業施設があります。そこを過ぎてすぐ、名張交差点(位置)を右折し橋を渡り、橋の先でまた右折。その先の桜野公園前交差点(位置)を左折して踏切を渡った先に神社。

鳥居左手に社務所があり、駐車スペースがあります(参拝者が停めていいかは明記されていませんが…)。

神社概要

社名度瀬神社(わたらせじんじゃ)
通称
旧称
住所岐阜県高山市国府町広瀬町2683
祭神

和加宇加乃売神

大八椅命

社格等

日本三代実録 貞観九年十月五日庚午 彦度瀬神 従五位下

旧村社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場あり(?)
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「度瀬神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 高根村史編集委員会編『高根村史』高根村, 1984
  • 富田礼彦『斐太後風土記 上』(大日本地誌大系第七冊)大日本地誌大系刊行会, 1915(国会図書館デジタルコレクション 170-171コマ