荒城神社(高山市国府町宮地)

荒城神社。

高山市国府町宮地に鎮座。

式内社 荒城神社に比定される神社。

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境内

社頭

 

一の鳥居

 

縣社碑

 

社号標

 

狛犬

 

手水舎

 

郷社碑

 

二の鳥居

 

境内

社殿

拝殿

 

神紋

 

本殿

 

荒城神社本殿(国指定重要文化財)

所在地 高山市国府町宮地一四〇五番地一

所有者 荒城神社

指定年月日 昭和三十八年七月一日

構造形式 三間社流造 杮葺

この神社は、『延喜式神名帳』(九二七)に記載された飛騨国式内八社のひとつである。

古くから荒城宮・河泊(伯)大明神と呼ばれ川の神、水の神として地域の信仰も厚く、現在は国府町宮地・東門前両地区の産土神である。

現在の本殿は、明徳元年(一三九〇)の再建と伝えられる。

江戸時代に行われた修理、葺替の際の棟札(七枚)が現存しており、本殿の附で国の重要文化財に指定されている。

本殿は、正面中央は抜戸、左右は地蔵格子、側面は縦羽目板壁で母屋の円柱の上には舟肘木をおき、向拝正面中央の蟇股など古い形式を残している。

本神社には、平安時代前期の作と推定される神像(二体)・随身(二体)・応永十九年(一四一二)銘の鰐口・鎌倉時代の楽士「多好方」が伝えたとされる舞楽面(四面)・寄木造りの狛犬(一対)など数多くの文化財が残されている。

境内社等

摂末社 秋葉神社 津島神社 荒神社 稲荷大明神 金毘羅大明神

 

摂末社横の祓戸?御神木?

 

前立杉

 

荒城神社の前立杉

樹齢約四〇〇年

幹周五・一メートルのこの大杉は、拝殿の前に立つ杉「前立杉」と言われ、地域発展を見守る御神木として大切に守られています。

 

忠魂社鳥居

 

忠魂社社号標

 

忠魂社手水鉢

 

忠魂社狛犬

 

忠魂社社殿

 

忠魂社扁額

 

荒城神社遺跡

岐阜県重要文化財

昭和三十二年三月二十五日指定

昭和二十三年荒城神社本殿裏側附近で道路改修工事の際、住居跡の一部及び縄文時代の土器が多数発見された。

土器は縄文中期後半のものが主であるが、注口土器等後期に属するものも出土している。

石器類では打製石斧・石鏃・磨製石斧のほか、三頭石斧・石刀・御物石器・石冠・石皿などがある。

縄文時代前期遺跡の、村山遺跡(国府町村山)と並んで、貴重な縄文中期の遺跡として県指定文化財となった。

由緒

由緒板

延喜式内飛騨八社の一

金幣社 荒城神社

御祭神

一.大荒木之神 国之水国分神

二.弥都波能売神(神社明細帳)

 天之水国分神 国之水国分神(特選神名牒)

三.河伯大命神(元禄検地帳・神祇志料)

末社 秋葉神社 津島神社 荒神社

御由緒

「神社明細帳」に「創立は遠く上代」とあり「三代実録」には「清和天皇貞観九年【西暦八六七】十月五日庚午 授飛騨国五位下荒城神従五位」と見え延喜式神名帳飛騨国八座の一つである。

当社の境内には縄文時代中期の遺跡があり、多数の出土品があることを見ても当社創立の古いことがわかり、郡名を冠した社名によっても上代よりこの地方の信仰を集めていた神社と考えられる。当社の神像二体は平安時代の作と推定され、県指定の文化財である。本殿は飛騨国安国寺の経蔵(一四〇八)よりもやや古く向拝正面の大蟇股に中心の飾りとして宝珠一個をくりぬき、また蟇股両肩の巻き込み飾りなど、室町初頭の手法として明徳元年の頃(一三九〇年)の造営と推定される。慶長十八年の秋、国主金森重頼が従五位下に叙せられたので、幣殿を造営寄進している。元禄検地で「除地一反五畝歩村抱河伯明神宮地」とある。

明治四年郷社に、大正十五年には県社に列した。昭和五年四月国宝建造物に指定され、同三十八年七月一日、国指定重要文化財となる。境内にある縄文中期の遺跡は、昭和三十二年県指定史跡となり、またこの地は「緑地環境保全地域」として県の指定を受けている。当社の特殊神事氏子の子供により演ぜられる、鉦打ちは、鎌倉時代、荒城郡地頭であった多好方が教えたとつたえられている。当社の獅子舞と共に県指定重要文化財である。

宝物には、棟札七枚 国指定重要文化財、獅子頭九個、随神二躯、鰐口一個、面四面 県指定重要文化財等、多数あり。

 

由緒書

岐阜県吉城郡国府町宮地

式内 荒城神社

祭神 大荒城命 天之水分命 国之水分命

畧由緒

創立遠ク上代ニアリテ三代実録第十四云清和天皇貞観九年十月五日庚午授飛騨国従五位下水無神社云々荒城神社云々並従五位上ト又延喜式神社帳ニ云飛騨国八社荒城郡荒城神社云々又古事記伝十三巻ニ美濃国喪山ノ未詳ニツキテ飛騨国荒城郡荒城神社モアリ心ヲ附クヘシトアリ又諸国ノ例ニ依ルニ国名郡名ヲ連属セルハ出雲国出雲神社尚ソノ他ニ多シ荒城郡荒城郷荒城神社トアルコノ称号イト尊キコトナリ按スルニ荒城ノ郡名ハ日本書紀持統天皇御記ニ見エ荒城ノ郷名ハ倭名類聚鈔ニ出デテイト古キ称呼ナレド原ト本社大神ノ御名ヨリ来??名称ナルベシトハ学者ノ考証一定セルトコロナリ

中世郡名ヲ吉城ト改メ郷名モ吉城ト改メルモ今尚コノ地辺ヲアラキト称ス当神社本殿ハ元中七年創建ニシテ明治四十三年四月五日内務省告示第三十八号ヲ以テ特別保護建造物ニ指定セラル

大正十五年二月内務省一四岐社第一号ヲ以テ県社ニ列セラル

創建時期は不詳。

境内には縄文時代中期の遺跡があり、古くから当地に人が居住していたことが伺われます。

 

延喜式神名帳の「飛騨国荒城郡 荒城神社」および、三代実録 貞観9年(867)10月5日庚午条にみえる「飛騨国従五位下…荒城神…従五位上」の荒城神は当社に比定されています。

 

『和訓栞』に「荒木ハ生ノママナルヲ云ナルベシ、地名ニ荒木・新城ナドカケリ、新墾ノ義ナルベシ」とあり、この地を始めて開墾し祀った神社と見る向きもあるようです。墾田のために祀られた水神とする説も。かつては河伯大明神とも称されていました。

「水分」と「御子守」の音が通じることから、「子守」次第に「子安」となり、その本地の観音を子安観音として祀っていた時期もあるようです。現在は当社の東に移り、観好寺となっています。

 

明治4年郷社に、大正15年県社に列格。

 

祭神は大荒木之命、国之水分命、弥都波能売神。

『神名帳考証』は「大荒木命、姓氏録云、高御牟須比乃命十三世孫大荒木命、同云荒城朝臣、天児屋根命之後也」。

『神祇志料』は「河伯大明神と云ふ。荒木は新墾義にして、上古此地を新墾し、墾田の為に水神を祀る。仍て荒城神と称し、郡名を荒城と云しなるべし」。

御朱印

御朱印はあります。

拝殿前に書置きの御朱印が置かれています。

直接揮毫していただけるケースがあるかは不明。

『式内社調査報告』によると水無神社の兼務社のようですが、現在もそうであるかは不明。

アクセス

飛騨国府駅の北から県道76号を西へ。

国府町今の交差点(位置)で左折して荒城川を渡り、渡った先の交差点を右折して県道473号をまた西へ。

1.5kmほどで右手に鳥居が見えてきます。

鳥居手前を右手に入った辺りに駐車スペースあり。

神社概要

社名荒城神社(あらきじんじゃ)
通称
旧称河伯大明神
住所岐阜県高山市国府町宮地1405-1
祭神

大荒木之命

国之水分命

弥都波能売神

現祭神

大荒木之命

国之水分命

天之水分命

弥都波能売神

『神社明細帳』

国之水分命

天之水分命

『特選神名牒』
社格等

式内社 飛騨国荒城郡 荒城神社

日本三代実録 貞観九年十月五日庚午 荒城神 従五位上

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「荒城神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「荒城神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十三巻 東山道2』皇學館大学出版部, 1986
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第九巻 美濃・飛騨・信濃』白水社, 1987
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 263-264コマ