比々多神社。
鶴巻温泉駅の北北東2km強の場所に鎮座。
式内社 比比多神社の論社で、相模国三宮とされる神社。
境内
鳥居
社号標
手水舎
狛犬
社殿前の戌
その年の干支が置かれるようです。では他の干支はどこにあるかというと…
社殿右手にある神社関係者用駐車場の一角に並んでいます
社殿
拝殿
扁額
拝殿内の扁額
本殿
『式内社調査報告』には三間社流造とあり、覆殿の記述もあるので、これは覆殿か。あるいは近年建て替えられた可能性もありますが。
境内
本殿裏の摂末社
左から白山神社、弁天社、神明神社、東照宮権現社、稲荷神社。
社殿左手の秋葉神社
社殿右手の金比羅神社
神輿殿
納められた御神輿
右、白木神輿
昭和十五年、皇紀二六〇〇年記念に造られました(国府祭用)
中央、神輿
平成六年、三月に新造(大祭用)
左、神輿
安政年間(一八五〇年代)に宮大工、手中明王太郎により製作。
平成五年までの一三〇年の長い間にわたり、巡幸に勤めた神輿です。
社殿右手後方にある(移設されてきた)三之宮三号墳
上に乗っている祠
三之宮三号墳
東名高速道路建設によって発掘調査され、後に左側にあります敷石住居と環状列石(ストーンサークル)の移設とともに復元されたものです。
この積石により当時の知恵と努力がしのばれます。
三ノ宮・下谷戸遺跡は、東名高速道路の建設に伴い、昭和40年~42年に発掘調査されました。その場所は、三之宮比々多神社の南東、県道上粕屋・南金目線が東名高速道路と交差する付近にあたります。ここに残る遺構は、関係者の熱意により、昭和42年5月に移築、復元されたものです。
発掘調査は第3次調査まで行われ、三ノ宮字下谷1090番地を中心に縄文時代から古墳時代にかけての遺構が数多く発見されました。とりわけ縄文時代の遺構は、当時としては比較的珍しい大規模な配石遺構群が確認され、おびただしい数の石が出土したことで注目を集めました。時期は、出土した土器から縄文中期から後期と考えられます。
主な遺構としては、張出し部を持つ柄鏡形の敷石住居址、配石、環礫方形配石遺構、墓壙群等があります。敷石住居址には、住居全面に石を敷くもの、中心部分にのみ部分的に敷くものが見られます。配石は幅2mほどの帯状の範囲に石が集中して置かれているもので、それが半円形にめぐっています。環礫方形配石遺構は、小さな礫を一辺5mほどの方形に敷き並べたもので、周囲からは焼けた土や鳥獣の骨片が検出されています。また、配石の下からは、墓壙と思われる楕円形の土壙群が発見され、環礫方形配石遺構の下からも人骨が出土しています。
こうした縄文時代の配石遺構群は、平成4年から始まった東名高速道路の拡幅工事や周辺の開発事業に伴う調査でも発見されており、より広い範囲に広がっていることが明らかになっています。市内の縄文時代の遺跡としては、日向の下北原遺跡と並ぶ代表的な存在であり、県内でも貴重な資料と評価されています。
このほか、本遺跡では弥生時代後期、古墳時代前期の竪穴式住居址、古墳時代後期の古墳の周溝等も確認されています。
一枚目の中央右の輪が環状列石なのかしら
鐘楼
御神木?
相生の欅
三之宮郷土博物館
三之宮比々多神社は、相模國三之宮、延喜式内社としての歴史と伝統を有してる。
この地は大山を背に南面が拓け、相模湾を眺望する丘陵地に太古より人々が生活を営み中央政権との繋がりも深く、この地方の豪族が住んでいました。このことは三之宮、栗原付近一帯に多く古墳や遺跡があり、その出土品により実証されます。
旧石器時代・縄文時代・弥生時代・古墳時代・奈良・平安時代と各々の時代から多くの遺物が発掘調査で出土しています。
この三之宮郷土博物館には、神社で祭祀に用いられた神具などが展示されております。
特に伊勢原市指定重要文化財に指定された埒免古墳からの馬具一式・銅鏡・銀装の大刀・登尾山古墳の銅鋺・直刀・栗原古墳の環頭柄頭等数多くの資料から悠久なる古しえを偲ぶことができます。
当館は先々代永井健之助社司が人類学、考古学者である坪井正五郎氏と親交があり、共に調査収集を行い、その意志を継いだ先代の永井参治宮司が考古学に造形深く収集したものが散逸してしまうことを危惧し、昭和28年8月、宝物殿として建設しました。その後に「三之宮郷土博物館」として考古資料を中心に保存展示しています。
開館時間は9:00-16:00、年末年始、節分、4/22のみ閉館、入館料大人200円、小人100円(5月第3土日のまが玉祭期間は無料)。私はこれまでの参拝タイミングが夕方や年末年始だったので一度も入館できていません…
社務所
由緒
相模國三之宮 比々多神社
鎮座地 神奈川県伊勢原市三之宮一四六八番地
御祭神 豊国主尊 天明玉命 稚日霊命 日本武命 大酒解神 小酒解神
由緒
神武天皇六年国土創建民族興隆を祈念し日本国霊として当社を創建したと伝えられる 崇神天皇の御代神地神戸を奉られ大化元年(六四五)社殿の際復の際木彫の狛犬一対(市重要文化財)を奉納又此年に酒解神を合祀うずら瓶(県重要文化財)を納められた 天平十五年(七四三)大宮司に竹内宿祢の後裔紀朝臣益麿を迎えて初代宮司に任命勅して荘園を賜り真田を称す 天長九年(八三二)六月国司橘朝臣峯嗣を勅使として相模國の総社として冠大明神の神号を奉られ鎌倉時代にはいり将軍源頼朝が文治元年(一一八五)に国土安泰の御願書を奉り建久三年(一一九二)には妻政子の安産を祈り神馬を奉納された 南北朝室町時代に戦さに巻込まれ神領の大半を失い衰微したが徳川時代に当社が相模國の名社であることを知った家康公により社領を新たに寄進され以下十四代将軍まで続いた よって社運も持直し明治時代には社格は郷社となり社格制度が廃止後は指定神社となる
御神徳
主祭神豊国主尊様は国土創造神様で大地を整えることは元より地上に生存する万物の芽組みと育成又はあらゆるものを考え出し組立てる大元を司りになられます
これは私達が生活する中で子供の成長や縁組そして家庭内の安穏又諸産業の発展へと御神威を発揚せられます 御参拝の皆様方には大神様の御加護をいただきよりよき生活が営まれ御多幸あられますことを御祈念申し上げます
歳旦祭 一月一日 まが玉祭 五月㐧三土・日曜日
節分祭 二月 大祓式 六月三十日 十二月二十日
祈年祭 二月十七日 正祭慰霊祭 十月中旬
例祭 四月二十二日 新穀勤労感謝祭 十一月二十三日
国府祭 五月五日 酒祭十一月上旬
月次祭 毎月一日十五日斉行 御自由に御参拝下さい
『社伝記』によれば、創建は神武天皇6年(BC655)。
人々が古くから祭祀の行われていた当地を最上の地と選び、大山を神体山として豊斟渟尊を日本国霊として祀ったことにはじまるとされます。
崇神天皇7年(BC91)に神地神戸を奉られ、垂仁天皇27年(紀元前37)に神祇官が詔を受け弓矢を奉幣。
大化元年(645)、大酒解神、小酒解神二柱が合祀された折、鶉甕(うずらみか)と称される須恵器が奉納されたとされます。
持統天皇6年(692)、相模国司布勢朝臣色布知が社殿修復、木彫の狛犬1対を奉納。
天平15年(743)、武内宿禰の後裔である紀朝臣益麿を初代宮司に迎え、聖武天皇より荘園を賜り、また天長9年(832)には国司橘朝臣峯嗣を勅使として、相模国総社「冠大明神」の神号を淳和天皇より賜ったとされます。
当社を延喜式神名帳にみえる「相模国大住郡 比比多神社」にあてる説があります。
元暦元年(1184)源頼朝が社殿再建し、文治元年(1185)には国土泰平祈願の御願書を奉っています。
『吾妻鏡』建久3年(1192)8月9日条には、政子の実朝出産に際し、頼朝が安産祈願のため相模国の社寺に神馬を奉納したという記事に、「三宮冠大明神」の名が見えます。
南北朝・室町時代、戦禍により神領の大部分を失い、社人供僧も離散。喪失前の神領は17000坪あり、現在の約4倍だったとのこと。
明応年間(1492~1501)には兵火により社殿焼失。
天正年間(1573~1593)のはじめ、埒免の地より現社地(旧神主屋敷)に小社を造立し遷座。
天正19年(1591)、徳川家康より社領十石の寄進があり、これによって漸く社頭は復旧。以降も将軍からの寄進は続きました。
明治6年郷社列格。
当社は相模国府祭に参加する神社の一社でもあります。
座問答においては、寒川・川勾両社の宮司が祭壇に向かって虎の皮を3回ずつ進めたところで、当社宮司が「いずれ明年まで」と仲裁し神事が終わる、という形になっています。
『和名抄』『拾芥抄』には、相模国国府を大住郡とする記述が見えます。この大住国府については諸説あり、現在は平塚市四宮が最有力のようですが、当社付近にあったという説もあります。
『相模の古社』では、当地に国府があったという説に基づき、その時期には当社が相模国の総社を兼ねる官社であったという見解を示しています。
現在の主祭神は豊斟渟尊、天明玉命、稚日女尊、日本武尊、相殿神は大酒解神(大山祇神)、小酒解神(木花咲耶姫)。
ただし『日本の神々 神社と聖地』『式内社調査報告』によれば4つの説があります。
- 染屋太郎太夫時忠(本地不動明王)
- 豊国主尊・天明玉命。相殿 大酒解神・小酒解神・稚日孁女命
- 豊斟野尊・稚日女命・天櫛明玉命。相殿 倭武尊・大山祇命・木花佐久夜姫命
- 豊国主尊・天明玉命・稚日女命。相殿 大酒解神・小酒解神・日本武尊
1は戦時中に供出された当社の梵鐘の銘文によるもの。
『新編相模国風土記稿』によれば『大山縁起』(大山寺縁起を指すか)に染屋太郎太夫時忠は大山寺を開創したと伝わる僧、良弁の父と記述があるようです。
2は『比比多神社傳』なる書に記述のある説(『式内社調査報告』による)。
これが『社伝記』と同書なのかは不明。
3は『比比多神社伝記』の扉裏に異筆をもって記されているという説。
4は神社明細帳による説。
いずれも大山寺縁起や各種古典に拠って唱えられた説のようで、創建当初の祭神は不明。
御朱印
御朱印はあります。
社殿右手前の授与所で拝受可。
アクセス
新東名の伊勢原大山ICが最寄りです。
IC降りて県道603号を伊勢原市街・大山方面(右手)へ。
石倉橋交差点(位置)を直進して県道612号へ。1kmほど先、三ノ宮交差点の一つ手前の角(位置)に比々多神社の案内が出ていますので、そこを右折します。
300m先の分岐は左へ、その80m先の分岐は右へ(いずれも案内板あり)。すぐに鳥居前に着きます。
駐車場は鳥居の右手か、鳥居前を過ぎた先の左手にあります。他にも駐車場はあるようです。
また、バスでのアクセスの場合、付近にいくつかバス停があり、伊勢原駅北口、鶴巻温泉から複数のバス系統があります。
詳しくは比々多神社のWebサイト、アクセスページをご参照ください。
神社概要
社名 | 比々多神社(ひびたじんじゃ) |
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通称 | – |
旧称 | 冠大明神 三宮 |
住所 | 神奈川県伊勢原市三ノ宮1472 |
祭神 | 豊斟渟尊 天明玉命 稚日女尊 日本武尊 |
相殿 | 大酒解神(大山祇神) 小酒解神(木花咲耶姫) |
社格等 | 式内社 相模国大住郡 比比多神社 相模国三宮 旧相模国総社? 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | http://hibita.jp/ |
備考 | 付近に元宮あり |
参考文献
- 「比々多神社」「下谷戸遺跡」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「三宮比々多神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 式内社研究会編『式内社調査報告 第十一巻 東海道6』皇學館大学出版部, 1976
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十一巻 関東』白水社, 1984
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 278コマ)