比々多神社元宮。
比々多神社北西の丘陵地に鎮座。
比々多神社のかつての鎮座地とされる場所に建つ祠。
埒免古墳
比々神社から元宮へ向かっていくと、左手に旧恵泉女学園園芸短期大学の建物が見えてきます。
写真の目の前に見える丁字路を左折した先に埒免古墳があります
埒免古墳
私有地内にあるため、これ以上は近づけません。立入禁止の看板に学校法人恵泉女学園の名が見えます。ここにあった恵泉女学園園芸短期大学は2005年に廃止され、土地の半分は東京農大に売却されたらしいのですが、この辺りは手放していないようです。
平成十四年二月に伊勢原市教育委員会は、東海大学考古学研究室の協力を得て、この石室の再調査を実施しました。その結果、石室は南東側に入口をもつ横穴式石室と呼ばれる構造で、遺体を納める部屋(玄室)は北東側に張り出した片袖式という形態であることが分かりました。
石室は、幅二メートル、長さ四.八メートルの玄室とそれに続く幅一メートル、長さ四メートル程の入口部分(羨道)からなります。石室は巨大な石を組み上げて造られており、玄室の正面奥に使われている最大の石は、縦、横二メートルを越す大きさです。
現在の石室は半分以上が埋め戻されていますが、本来は周囲の石積みの上に巨大な天井石がのり、内部でも一.七~一.八メートルの高さがあったと考えられます。
また、これより以前の建物の建て替え時の調査では、石室を覆うマウンドの周囲に巡る大きな溝の跡が見つかっています。それによると埒免古墳の墳丘の大きさは直径四〇メートルとなり、石室とともに古墳時代後期としては地域最大の規模となります。
さらに、当古墳の出土資料の内容は、銀装の大刀、金を貼った鞍や轡などの馬具、銅製の鏡といずれも貴重なものばかりです。相模地域の中でこの内容に匹敵する副葬品をもつ古墳といえば、南側に見える尾根上に位置する登尾山古墳以外に見当たりません。
つまり、両者には六世紀後半から七世紀にかけて当地域を治めた最高権力者が葬られていると考えられています。
埒免古墳
埒免古墳は昭和三十九年に建物の建設中に発見されました。その際、石室内から飾り大刀や鏡、金を貼った馬具など見事な副葬品が出土しました。それらはまさに、相模の最高権力者にふさわしい内容を備えており、伊勢原市指定重要文化財に指定されています。
これらは現在、三之宮比々多神社の郷土博物館で目にすることができます。
江戸時代の末に編さんされた「新編相模国風土記稿」によると、この地は、戦国時代以前の三之宮比々多神社があった場所であり、「埒免」と呼ばれていたと記されています。このことから、この古墳も埒免古墳と呼ばれることになったと考えられます。
その後、平成十二年からの建物の建て替えに伴う発掘調査や平成十四年の石室の再調査などで、墳丘、石室の規模、構造が明らかになり、当地域における埒免古墳の存在は古墳時代後期の相模を知る上で、ますます重要性が高くなってきています。
元宮
前段の丁字路を直進すると元宮に着きます。
社号標…というより案内板
社頭
鳥居
元宮石祠
右手には茅取り場があります(国府祭・大祓い神事使用)
左手にはミカンが植えられていました
下記にある通り個人所有の土地だったところを神社に奉納されたようなので、この辺りは奉納されていない私有地なのかもしれません(特に境界線がないのでどこまでが本宮の敷地なのか不明)。
高台にあるため見晴らしがよいです
由緒
この高台(旧宮山)は、比々多神社の社殿が建てられていた「埒免」という神聖な場所で神社の境内地です。
かつては周辺一帯一万七千坪を有しておりましたが、室町時代の頃より幾多の戦により神地を失い、大半は民地となっています。
その後、佐野文雄氏が所有されていましたが、昭和五十五年に返還(奉納)の志を賜り小祠をまつり「比々多神社元宮」と称して鎮座しています。
由緒については比々多神社の記事をご参照ください。
当地は天正年間(1573~1593)に現社地に遷座するまで比々多神社の鎮座していた地。
ただ、昭和59年(1984)発行の『日本の神々 神社と聖地』には、旧鎮座地について「北へ200メートルほど行った台地上(現在は女子短大の敷地)」とあり、上掲の『元宮のいわれ』では昭和55年に佐野氏から奉納された(つまり1984年の時点で恵泉女子の敷地ではなかった)とあるため、旧鎮座地が恵泉女学園園芸短期大学の敷地であったのか、個人所有の土地であったのかは不明。
かつての社領は17000坪と広かったそうなので、社殿のあった位置まで特定できておらず、神社が所有できている土地を元宮の地としているのかもしれません。
御朱印
御朱印はあります。
私の参拝時(2018年初)にはなかったはずですが、現在は授与している様子。
(神社公式ブログにて2018年11月に元宮御朱印の記事がアップされているので、その頃から始まったのではないかと思われます)
アクセス
比々多神社の記事をご参照ください。
比々多神社社殿右手、神社関係者用駐車場の横を通る道に案内が出ています。
神社関係者用駐車場の入口
案内板
この先も同じ形のものがいくつかあるので、その示す通りに進めばOK。
神社概要
社名 | 比々多神社〔元宮〕(ひびたじんじゃ)/埒免古墳(らちめんこふん) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 神奈川県伊勢原市三ノ宮 |
祭神 | 豊斟渟尊 天明玉命 稚日女尊 日本武尊 大酒解神 小酒解神 (現・比々多神社祭神と同じ?) |
社格等 | 式内社 相模国大住郡 比比多神社(元宮) |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり(比々多神社駐車場を利用) |
公式Webサイト | – |
備考 | 現鎮座地:比々多神社 |
参考文献
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十一巻 関東』白水社, 1984
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 上巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 278コマ)