速谷神社(廿日市市上平良)

速谷神社。

廿日市市上平良、山陽自動車道宮島SAの南西に鎮座。

式内名神大社 速谷神社に比定される神社で、安芸國二宮とされた神社。

戦前は国幣中社、現在は神社本庁の別表神社。

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境内

社頭

 

社号標

 

もう一つ社号標

 

参道

 

楼門

 

ここにも社号標

 

手水舎

 

神門

 

奉祀(?) 延喜式内社名神大社 速谷神一座 阿岐國造飽速玉男命

 

御列格記念碑

 

文化財説明板

速谷神社

速谷神社は、安芸国の成立にかかわる飽速玉男命を祭神としている。平安時代の延喜式に「名神大社、月次・新嘗」とあり、安芸国のうちで最も高い社格をもつ神社であった。大正13年には国幣中社に列せられたが、現在は安芸国の総鎮守で、交通安全・延命招福・殖産興業の守護神として信仰されている。

このため、神社には古くから保存されている次のような文化財がある。

木造狛犬(広島県重要文化財 昭和60年12月2日指定)

この狛犬は、呵形(口をあける)像と吽形(口をとじる)像の一対で、両像とも玉眼を入れている。前足の筋肉や、胸の張りの表現は力強く、また顔面も猛々しい。鋭い眼光とあいまって、いっそう他を圧する威力を備えている。完全な形で残る室町時代中期の貴重な作品である。(像高-呵形34.5cm 吽形34cm 寄木造)

紙本墨書 大願寺尊海文書(広島県重要文化財 平成8年3月18日指定)

この文書は、厳島大願寺の住職であった尊海が、年貢を徴収するために記録したもので、天文16年(1547)に作成している。

速田大明神修理田のことなど6つの部分からなり、室町時代後期の多種多様な年貢の収取形態が記されているので、貴重な資料となっている。(縦31cm 横500cm) なお尊海は、天文8年(1539)頃、一切経を求めるために「李氏朝鮮」を訪問している。 このことを記録した「尊海渡海日記」(宮島町大願寺蔵)は国の重要文化財に指定されている。

社務所の下に神宝館があり、上記の文化財が展示されています。

 

狛犬

 

右近の橘(上)、左近の桜(下)

植えたタイミングが違うのか、橘の方はまだ小さいです。

社殿

拝殿

 

扁額

 

直会殿

 

直会殿前の阿岐國造 飽速玉男命碑

 

祓殿

 

本殿

境内社等

岩木神社

 

稲荷神社

 

稲荷神社手前にある狛犬

阿形だけです。笑う狛犬と言われています。言われてみればそう見えなくもない?

 

神楽殿

 

斎館

 

車祓所

 

儀式殿

 

神池

 

境内左手から後方に広がる鎮守の森

 

境内案内図

由緒

由緒板

速谷神社

御祭神 飽速玉男命 一座

御由緒

御祭神は天孫降臨の三十二随神の内天湯津彦命五世の孫で今を去る千八百有余年前即ち十三代成務天皇の時安藝國造を賜い延命招福農耕殖産往来の便宜の基礎を固められた国土開拓の祖神であり安藝國總鎭守で交通安全殖産興業延命招福の守護神と稱えられております

古くは延喜式内名神大社で旧國幣中社でありました

現在は神社本庁所属の別表神社であります

境内地 二万二千平方米

境内社 岩木神社 稲荷神社

創建時期は不詳。

『厳島道芝記』では厳島神社と同じ「推古天皇端正五年」としていますが、これは当社が厳島神社の摂社となった中世以降の付会と考えられます。

 

日本後紀 弘仁2年(811)7月17日条に「安芸国佐伯郡速谷神、伊都岐島、並預名神例、兼四時幣とあるのが国史での初見。

三代実録 貞観元年(859)正月27日条に従五位上から従四位下へ、同9年(867)10月13日条に従四位下から従四位上に神階を進めたことが記されています。

 

延喜式神名帳では「安芸国佐伯郡 速谷神社 名神大月次新嘗」とあります。

安芸国の式内社三社(速谷神社、厳島神社、多家神社)のうち、当社のみが官幣大社でありました(他の2社は国幣大社)。

なお、律令国のうち遠国とされた地域の官幣大社は、当社を含め5社しかありません(武蔵国氷川神社、安房国安房坐神社、下総国香取神宮、常陸国鹿嶋神宮、安芸国速谷神社)。

 

『長寛勘文』に、天慶3年(940)2月に正四位下に昇叙された(海賊調伏祈祷13社のうち加えられていたため)とあります。

 

しかし平安時代末期から、平家一門の信仰を集めた厳島神社が隆盛となり安芸一宮とされたのに対し、当社は衰退。厳島神社の摂社とされました。

室町時代には桜尾城主藤原氏や大内氏・毛利氏などの信仰があり、また慶安元年(1648)に広島藩主浅野光晟が藩費で社殿を造営、以降藩の保護を受けたようです。

 

なお、正保3年(1646)に『神祇宝典』を編纂中の尾張藩主徳川義直が浅野光晟に速谷神社のことを尋ねられ、家臣に調査させたところ、速谷神社は存在しないが速田神社があることが判明。

速谷・速田の和訓が近いことから速田神社を以って速谷神社としたと言われます。

中世から近世には速田神社や速田大明神と呼ばれていましたが、明治元年(1868)旧称に復して速谷神社と改称。

 

明治6年(1873)郷社列格。

大正13年(1924)には国幣中社に昇格。

昭和21年(1946)に神社本庁の別表神社となりました。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

オリジナル御朱印帳もあるのですが、私は拝受していません。事前に知らなかった上に、授与所で見かけた記憶がなく…(見落としたのか、もしかすると欠品していたのか)

どんなデザインかは速谷神社巫女ブログに写真が載っているのでご確認ください。

アクセス

廿日市ICから5分ほど。

廿日市料金所を出たら最初の分岐を左、次の分岐を右(加計・吉和・廿日市市街と案内出ている方)に進みます。すると高架下に下りるので少し直進し、上平良交差点(位置)で左折します。

1kmほど行ったところの速谷神社前交差点(位置)、左手に鳥居が見えますので左折。

参道左手に沿った道を入っていくと、左手に駐車場(位置)。

 

宮島スマートICからは3分程度。

宮島スマートICを降りた先の交差点(位置)で左折し、500mほど行くと上記の速谷神社前交差点に出るので、右折して同様に参道左手の道を入っていってください。

 

広島市中心部から来る場合は、西広島バイパスをしばらく下り、佐方SAのちょっと先(位置)でバイパスを降りて、その先の上平良交差点を右折。あとは廿日市ICからのルートと同様。

 

広島電鉄宮島線の廿日市市役所前駅からバスで行くこともできます。速谷神社公式サイト内アクセスページに路線やバス停の詳細が出ていますのでご参照ください。

神社概要

社名速谷神社(はやたにじんじゃ)
通称
旧称

速田神社

速田大明神

二宮速田明神

住所広島県廿日市市上平良308-1
祭神

飽速玉男命

現祭神

五烏神

神社明細帳

霊烏

『神社覈録』

『厳島図会』

瀬織津姫

『古事記伝』

速素盞鳴尊

『神名帳考証』

多支都比咩乃命

『神祇志料』

『安芸国神名帳考』

厳島神の伯母神

『安芸国神名帳考』

厳島神の妹神

『神祇志料』
社格等

式内社 安芸国佐伯郡 速谷神社 名神大 月次新嘗

日本後紀 弘仁二年七月己酉(十七) 速谷神 名神 四時幣

日本三代実録 貞観元年正月廿七日甲申 速谷神 従四位下

日本三代実録 貞観九年十月十三日戊寅 速谷神 従四位上

安芸国二宮

旧国幣中社

別表神社

札所等
御朱印あり
御朱印帳あり
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.hayatanijinja.jp
備考

参考文献

  • 「速谷神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「速谷神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十二巻 山陽道』皇學館大学出版部, 1980
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 88-89コマ