保呂羽山波宇志別神社(横手市大森町八沢木字保呂羽山)

保呂羽山波宇志別神社。

横手市大森町八沢木に聳える、保呂羽山の山腹に鎮座。

式内社 波宇志別神社に比定される神社。

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表参道

県道29号の大木屋集落への分岐より700mほど東に表参道入口があります(位置

こちらが本来の表参道のようなのですが、車で入っていくと途中で行き止まりになってしまい、駐車スペースもなかったので下掲の白山前祓所だけ見て引き返しました。車両通行はできない細い道は続いていましたので、徒歩なら行けるのかも。

 

白山前祓所(位置

由緒板

白山前祓所

表参道(旧秋田口)

八沢木中房に神門(仁王門)あり鳥居坂に一の鳥居 屋敷台に二の鳥居(現在道路拡張のため消失す)山中に至りて一の瀧 二の瀧あり 現在の垢離掛場)本殿に参拝する諸人はここに於て禊を行い 信太見長根 神蔭山を経て 頂上本社に達す 距離八沢木駅より二里半

追記.延享3年寅年の水無月(6月)12日波宇志別神社一夜の参籠に登山し侍里ける時によみ侍る 茂木蔵人 源知亮

「和氣の木る草木のつゆの衣手にめぐみを懸よ九二津躬屋新路」

参道

駐車場から数分登ると左手に登山口

 

保呂羽山登り口

 

登山道

 

右にちょっと写っているのが子守岩じゃなかったかと思います

何でこんな微妙な位置を撮ったのか不明…

 

わかりづらいですが鎖場です

鎖場を越えればあとは楽です。

 

社殿が見えてきます

 

案内札

保呂羽山波宇志別神社

此の峯に有社檀尊崇せる

一度参詣の輩は

七難三毒を消滅し

利生を蒙らむ事

疑ひ有べからず

社殿

社殿

夕方に着いたのですが、この時間は逆光になってしまうようでした。

 

手前の扁額

 

奥の扁額

 

側面、背面は落書きがひどいです

西目高校って彫られてたんですがわざわざ由利本荘からきて彫ったんですかね…

 

ここも力士がいました

 

木が茂っていて眺望は悪いです

山頂まで行けば眺望が開けるのかしら。

境内社

下居堂

登山道の途中にあります。昔は女人禁制だったので、女性はここまでしか登れなかったのだそうです。

由緒

社殿によれば創建は天平宝字元年(757)。

現社家の祖先、大友右衛太郎吉親が大和の金峯山から蔵王権現を勧請したことに始まるとされます。

 

延喜式神名帳にみえる「出羽国平鹿郡 波宇志別神社」は当社に比定されています。

 

平安中期からは修験の影響が強くなり、保呂羽山天国寺極楽院と称しました。

 

代々大友家が祭祀を司っていましたが、江戸時代初期、大友家当主が幼少だったため、元々神楽役であった守屋家と両神主になりました。両神主家は対立していたといいます。

嘉永6年(1853)正月、守屋家で火事があり、押し合い神事のために参籠していた信者が100人以上焼死するという事件が起こり、守屋家は免職配流、以後は大友家のみが宮司となっています。

なお、大友家の記録では上記のようになっています(大友福命による『与子孫遺書』、菅江真澄による『雪の出羽路』平鹿郡五「神宮沢」項内「大友氏家伝記」)が、守屋家の記録では異なっています。

守屋家は物部守屋の末裔であり、大和国吉野郡から保呂羽山の神霊を守護して下降したとされ、自家が「旧本」であるとしています(『秋田叢書』7巻所収「守屋家家譜」)。

また、この二家とは別に下居宮祠官の遠藤家という家もあるのですが、こちらも創祀以来の神主で、藤原鎌足の6世の孫の子孫だと伝えています。

実際どうであったかは、天正・寛永の火災で旧記が焼失しているため不明。

 

明治5年県社列格。

 

主神は安閑天皇。

金峯山から蔵王権現を勧請したという社伝から、蔵王権現と同一視される安閑天皇が祭神とされた形です。

 

近世には、天日鷲命も主祭神とされていた時期があったようです。

元々保呂羽山の地主神は猛禽信仰との関わりがあり、そこから文字の繋がりもあって神祇官である忌部氏の祖神、天日鷲命と結びついたのではと考えられているようです。

当社の神使は山鳥とされていて、そこにも関連性が見えます。

御朱印

御朱印は里宮で拝受可能です。

里宮と本社それぞれの印があるわけではなく、波宇志別神社として1つです。

アクセス

横手市中心部から県道29号を西へ。

20kmちょっと走ったところ(位置)で右手(標識に大木屋↗とある方)に入ります。

大木屋集落を過ぎ、細い山道を登っていきます。

 

 

2kmちょっと行くと、路肩に広いスペースとトイレがあります(位置)。このスペースが駐車場のようなので、ここに停めて向かいにある道から山に入ります。

あまりおすすめはしませんが、ここから登山道途中まで車で入っていくこともできます。昔はゲートがあって進入禁止だったようなのですが、今は壊れたのか撤去されたのか、通れます。

未舗装の山道を少し登ると登山口があり、路肩に駐車できる程度のスペースあり。

なお車道(?)は登山道との分岐の先も続いていますが、数百m行くと電波塔があって行き止まりです。

あまり道はよくないので誤って行かないように。私は登山口を見落として行ってしまいましたが…

神社概要

社名保呂羽山波宇志別神社(ほろわさんはうしわけじんじゃ)
通称保呂羽山
旧称

保呂羽山天国寺

金峰山波宇志別神社

住所秋田県横手市大森町八沢木字保呂羽山1-1
祭神安閑天皇
合祀

火産霊神

須佐之男命

菊理姫命

大日霊命

菅原道真

金山毘古命

稲倉魂命

大名持神

少彦名命

岩戸別神

誉田別神

八意思兼命

伊邪那岐命

経津主命

猿田彦命

天津御女命

健御名方命

応神天皇

大山祇命

大山咋命

社格等

式内社 出羽国平鹿郡 波宇志別神社

旧県社

札所等
御朱印あり(里宮にて拝受可)
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考近辺に里宮神楽殿仁王門あり

参考文献

  • 「保呂羽山波宇志別神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「保呂羽山波宇志別神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第十四巻 東山道3』皇學館大学出版部, 1987
  • 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第十二巻 東北・北海道』白水社, 1984
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 642-643コマ