秋田県護国神社(秋田市寺内大畑)

秋田県護国神社。

寺内大畑、秋田城跡の一角に鎮座。

旧内務大臣指定護国神社で、現在は別表神社に指定されている神社。

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境内

鳥居

 

社号標

 

参道

 

手水舎

 

狛犬

 

神門

 

神門(神明造り)

この御門は伊勢神宮第六十一回御遷宮に当り「豊受大神宮瑞垣南門御屝他一部」を拝受し

終戦五十周年記念事業として造営しました。(平成七年四月二十五日竣工)

この神門をくぐり参拝される方々の更なる「いのち」の若返りと「生成発展」「平安」を心から祈念いたします。

社殿

拝殿

 

本殿。木と拝殿の隙間から。

境内社等

境内社?

 

「真之御桓(?)」と彫られた碑と覆屋

 

「慰霊と平和を祈念するRelay(リレー)の火」と書かれた額の掛けられた小屋

 

中に火が灯されていました

 

斎館?の脇にある「秋田招魂社址」「高清水公園」の碑

 

さざれ石

 

車御祓所

秋田城跡

境内左手には秋田城の政庁跡があります。ここが秋田城の中心部であったと考えられています。

 

政庁東門(もちろん復元されたもの)

 

政庁の建物跡

 

庄内地方にあった出羽柵が当地高清水岡に天平5年(733)に移されました(続日本紀)。

天平宝字4年(760)前後に秋田城に改称。

 

出羽柵移転の際に国府もあわせて移転したかどうかは諸説あり不明。

その後の国府所在地も、後述の河辺府を国府と見て出羽郡井口(『日本三代実録』仁和3年(887)に出羽国府があると記されている地)と同一視する説、払田柵とする説、国府と秋田城を別に考える説など様々です。

いずれにせよ出羽国府は蝦夷の反乱等の影響を受け、最終的には城輪柵(現山形県酒田市城輪)に移転したとするのが有力な見方のようです。

 

延暦23年(804)秋田城は停廃され秋田郡が置かれ郡制に移行、秋田城の機能は河辺府に移転されました(日本後紀)。

城制は停められましたが城の改修がこの頃行われたようです。

 

天長7年(830)大地震で城郭や四天王寺が倒壊。

元慶2年(878)元慶の乱(蝦夷の反乱)が発生、秋田城が一時占拠されます。天慶2年(939)に起きた天慶の乱の際にも襲撃された記録が残ります。

その後、10世紀後半頃には衰退、城柵としての機能は失われますが、史料上は「秋田城」や官職名としての「出羽城介」、「秋田城介」の名称は継続して現れ、鎌倉時代以降「秋田城介」は武門の名誉職となっていきました。

由緒

明治元年(1868)10月、秋田藩主佐竹堯侯により、当地高清水丘に神社の建設工事が起工。

明治2年(1869)8月、招魂社と称され、戊辰戦争戦没者のみたまを祀ったのが創建。

 

明治26年(1893)12月、失火により焼失、同31年(1898)までは仮殿にて祭事施行。

明治32年(1899)秋田市久保田城跡(千秋公園本丸)に再建遷座、官祭秋田招魂社と称しました。

 

昭和14年(1939)3月、秋田県護國神社へ改称。

昭和15年(1940)旧社地である現在地に社殿造営、遷座。

 

昭和22年(1947)10月、伊邪那岐命、伊邪那美命を合祀、同年11月には高清水宮と改称(これは軍国主義施設として廃止されることを防ぐ目的だったようです)。

昭和27年(1952)、あるいは昭和28(1953)、秋田県護國神社に復称(27年は秋田県神社庁のページ、28年は秋田県護國神社参拝の栞に記載の年)。

 

昭和43年(1968)御鎮座100年記念奉祝大祭斎行。

平成2年(1990)御遷座50年記念奉祝大祭の斎行を予定するも、7月9日に即位の礼に反対する過激派により時限爆弾が仕掛けられ、社殿は全焼。

平成3年(1991)5月21日地鎮祭執行。

平成4年(1992)9月に新社殿竣工、同年10月1日本殿正遷座祭斎行、10月14日、15日に竣工記念奉祝大祭斎行。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

アクセス

秋田駅方面から古四王神社の方へ向かいます。

古四王神社前を通り少し先まで行きます。

 

 

ここの信号で右折。

 

秋田県護国神社参道口の石柱が立っています。

 

そのまま直進するとここに秋田城跡見学者用の駐車場と護国神社参拝者用の駐車場がありますので、いずれかを利用しましょう。

神社概要

社名秋田県護国神社(あきたけんごこくじんじゃ)
旧称

秋田招魂社

高清水宮

住所秋田県秋田市寺内大畑5-3
祭神

護国の神霊(37,841柱)

伊邪那岐命

伊邪那美命

社格等

旧内務大臣指定護国神社

別表神社

御朱印あり
駐車場あり

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