古殿八幡神社。
古殿町役場の北東1km程、国道349号沿いに鎮座。
古殿町の町名の由来ともなった、流鏑馬で有名な神社。
境内
神橋
橋の手前(写真を撮っている場所)は国道349号の旧道。
国道前に朱い両部鳥居
国道を渡ったところ
狛犬
名工・小林和平の作品です。今回当社に参拝したのもこの狛犬がきっかけ。石都々古和気神社で頂いたパンフレットの狛犬紹介のページに、この狛犬が和平の作品として挙げられていたことから当社の存在を知ったためです。(お恥ずかしながらあまり調べずに来たためそれまで当社の事を存じませんでした…)
台座に彫られた小林和平の銘
参道右の馬場
流鏑馬の際にはここを馬が駆け抜けます。
馬場脇の笠懸広場
鳥居
社号標
鳥居脇の手水鉢
随神門
随神門中の狛犬
狛犬脇に石祠
額堂
参道石段
階段上に手水鉢
社殿
拝殿
扁額
覆屋の中の本殿
境内社
参道途中にある若宮八幡
祭神は大鷦鷯命(仁徳天皇)。
覆屋の中の本殿
境内社群
由緒
創建は康平7年(1064)。
康平5年(1062)源頼義・義家親子が奥州の安倍貞任、宗任を征討の際、官軍は利を失い、一時この地で再挙の期を待つことに。そこで京都男山八幡に祈願したところ勝利を納めることができたため当社が創建されたとされています(従軍した当地の福田次郎、福田源大有光が勧請したとも)。
当地、竹貫郷の領主となった福田三郎広成は地名に因み竹貫氏を称するようになります。
竹貫氏は代々隠居入道し神社を守護する別当となったため、「古い殿様」の守る八幡様であることから古殿八幡の名が起ったといわれています。
現在の古殿町の由来もここから。
建久5年(1194)、将軍源頼朝から車両が下賜され、時の領主はこれを記念し、領内の兵士達により鎌倉鶴岡八幡宮で奉納されている流鏑馬・笠懸を神事として奉納するようになりました。
天文18(1549)に落雷で神社や別当居宅が焼失したのをはじめ、落雷や川の氾濫により境内や建物が被害を受け、祭が中断されることもあったようですが、領主の庇護と竹貫郷十三ヶ村の氏子の厚い信仰心により再興され、現在まで約800年続いています。
笠懸・流鏑馬は昭和46年には古殿町の重要無形民俗文化財に指定。
平成7年には福島県の重要無形民俗文化財に指定されました。
明治9年郷社列格。
康平七年(1064)源頼義公・義家父子が奥羽(東北)の地に勢力を誇っていた安部貞任・宗任との戦いに勝利した記念に、この地に八幡神社を建てた。
建久五年(1194)鎌倉幕府の将軍源頼朝は、古殿八幡神社に社領地を与えた。
時の領主は之を記念して、鎌倉の鶴岡八幡宮で奉納されている流鏑馬と笠懸を古殿八幡宮の神事として奉納した。その後、これらの行事は社殿の焼失や洪水による境内の損壊などにより中断されたこともあったが、氏子の努力によって再興され、現今に受け継がれてきた。
流鏑馬は、役者が古式の盛装をし、馬を駆けさせ、馬上から大弓にて三ヶ所の的を射る儀式である。
笠懸は、流鏑馬と同じ盛装で役者が乗馬し、三回駆け回り空高く別当館の棟へ鏑矢を射る儀式である。
これらの行事が行われる八幡神社例大祭は、旧暦の九月八日・九日に行われていたが、現在は新暦の十月第二土・日曜日を祭礼日としている。
常陸国多賀郡大沼村に古来の名流有り 蓋し清和源氏流岡部氏なり その淵源を尋ぬれば 戦国の大々名佐竹氏支流の武門にして 当古殿の地との縁ひときわ深し 佐竹系図ならびに常陸三家譜所収の岡部家譜は謂う
清和天皇九代の後胤佐竹昌義が曽孫 従五位下常陸介義重の第四子は はじめ重綱 後には義綱を名乗り 陸奥国菊多郡泉田郷岡部山に城を築く これに因んで岡部氏を称せり 義綱十一世の裔 武蔵守重忠に至って 豪族石川氏が連枝 陸奥国白川郡の領主竹貫氏を輔佐して宿老に遇せらる 天正十六年 伊達政宗が蘆名義広を安積に攻めし時 重忠 蘆名氏援応の佐竹 岩城氏に参陣して勇名を馳せたり慶長五年 会津にありし上杉景勝 石田三成とつうじて 徳川家康挟撃を謀る 家康大いに怒りて 同年五月 諸大名に上杉討伐を下知することあり 武蔵守は長子重政次男重春を従え 佐竹の麾下 上杉救援に奮闘するも征戦功なし 空しく岡部山城に退く時 伊達政宗が従士窪田十郎宗久の攻虚を受けて入城能わず
詮無く竹貫郷松川城に退匿す 十月 政宗松川城を猛攻 重忠遂に力盡く 一族四十余名は 宗家佐竹氏を頼りて卻軍し 常陸国大久保郷に寄寓す 即ち 武蔵守重忠ならびに嫡男和泉守重政は大久保に比居し 次男相模守重春やがて大沼郷に別戸して大沼岡部氏の祖となると
大久保鹿島神社の高棟に残りし慶長九年の棟札は 岡部和泉守重政が 薬師如来 日光月光両菩薩の建立に参賽せしことを証し 元和九年のそれは岡部相模守重春が本殿造営の大檀那に就きしことを記して 岡部一統の常州転遷の史実を裏付ける 畢竟 古殿は常陸岡部氏の故郷と言うべく また太祖所縁の聖地というべし
澆季昭和に至りて 相模守重春が末孫岡部英男出づ 夙に郷党に推されて茨城県議会に席を列すこと久し 慈政行願の旌旗高く掲げ 清節持して黄白に惑わず徳あれば譽れ自ずからあり 趣くところ第七十七代茨城県議会議長に推戴せらる 議政壇上に昇れば満堂の政聲雨のごとし これ偏に当家累代の数百年の積徳 今吾に発すと憶念せば報恩謝徳の赤心黙しがたし 因って祖先の英風を慕わんがため 岡部氏ゆかりのこの地に顕彰碑一基を建つ
御朱印
御朱印はあります。
二の鳥居左手にある社務所(宮司さん宅)で拝受可。
アクセス
車の場合、石川町や棚倉町からは30分ほど、いわきからは1時間ほど。国道沿いにあるので迷うことはないと思います。
馬場沿いの路肩(位置)に駐車可…だと思うのですが確認したわけではないので間違っていたらすみません。例大祭の時には近くの公民館や中学校等が臨時駐車場になるようです。
公共交通機関で来るとすると石川駅前バス停(磐城石川駅そば)からバスがあるのみ。竹貫田線で古殿(神社前のバス停)まで、もしくは有実線で古殿役場まで、役場から徒歩30分ほど。本数はかなり少ないです。
神社概要
社名 | 八幡神社(はちまんじんじゃ) |
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通称 | 古殿八幡神社(ふるどのはちまんじんじゃ) |
旧称 | – |
住所 | 福島県石川郡古殿町大字山上字古殿38 |
祭神 | 誉田別命 |
社格等 | 旧郷社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり? |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「山上村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「八幡神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 中巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 437-438コマ)