府守神社。
和歌山市府中、紀伊国府に推定される地に鎮座する、紀伊国総社の論社。
境内
社前の道路
鳥居
社号標
紀伊国府跡の標
ここは昔の名草郡直川荘のうちで府中の名は国府の所在地を語るものである 国庁の跡は、こんにちどこともわからなくなっているが、集落の北東に府守神社(府中神社)があり、付近の田井の北村には総社明神もあった関係で、この地が国府の所在地であったことを告げている
狛犬
参道
境内には桜が多く、花見客もいました。
手水舎
社殿
拝殿
扁額「聖天宮」
本殿
周囲に木が生い茂り、横からはよく見えませんでした。
境内社等
社殿手前の境内社
和歌山県神社庁のページに境内社として午神社があげられているので、こちらがそうだと思われます。
石仏?
由緒
創建時期は不詳。
和歌山県神社庁ページには貞観17年(875)に紀伊国国府の鬼門の守護神として鎮座とあります。
『紀伊続風土記』に「三代実録に貞観十七年奉授紀伊国従五位下府中神従五位上とあり」という記述があり、これに基づくようですが、三代実録の当該条(貞観17年10月10日己未条)に見える府中神は石見国の府中神を指しているため同書の誤りと思われます(同日条のすぐ後ろに紀伊国三前神の記述があるので誤認したか。また仮に紀伊国の府中神であったとしても、神階授与があったという話なので創建ではなく国史への初見となる)。
紀伊国府は当社付近にあったとされ(岩出市の岡田遺跡の場所から当地に遷ったという説もあり)、神社西の「平林」という所あたりがその跡だとされます。
そのためか、当社を紀伊国総社に比定する説があります。
また『紀伊国神名帳』にみえる「従四位上 府守神」を当社とする説もあります。
中世に僧によって聖天宮と称され、明治まで歓喜天が祀られていたようです(現在も拝殿の扁額には正天宮とある)。
明治になり府守神社に改称、明治10年村社列格。
御朱印
御朱印はあります。
宮司さんは常駐ではないので、事前連絡が必要です。
大屋都姫神社の兼務社なので、大屋都姫神社で頂くことになるかと。
アクセス
和歌山市の紀ノ川北岸から県道7号を東に向かい、六十谷駅の東(位置)で左手の県道7号旧道に入ります。道なりに2.5kmほど行けば神社前に着きます。
参道左手(位置)から車両進入可能で、参道脇に駐車可(宮司さんに確認済)。
ただし入口は狭いので注意(普通車なら大丈夫だと思いますが)。
神社概要
社名 | 府守神社(ふもりじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | 白鳥の宮 聖天宮 歓喜天社 |
住所 | 和歌山県和歌山市府中1089 |
祭神 | 倭武命 |
社格等 | 紀伊国総社 旧村社 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「府中村」「紀伊国衙跡」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「府守神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995