天村雲神社(吉野川市山川町流)

天村雲神社。

またの名を牟羅久毛神社。

山瀬駅の南東約500m、山川町流に鎮座。

式内社 天村雲神伊自波夜比売神社二座の論社。

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境内

鳥居

 

社号標

「式内小祀 忌部社攝社 牟羅久毛神社」

 

狛犬

社殿

拝殿

右側に繋がっているのは社務所か集会所か。

 

本殿

境内社

本殿後側に石祠が二つ

 

石の台

境内なので御旅所ではないと思いますが…

 

読めない石碑

由緒

 

境内案内板

天村雲神社

所在地 徳島県吉野川市山川町流三十二番地

祭神 天村雲命 伊自波夜比売命 二座

天村雲神社は忌部神社の攝社である。村雲神は水政の神であり、低地における農耕集落の祭神として信仰せられ、旱魃の際は村人が集まり雨乞いを祈願したことと思われる。

旧事紀には、村雲神の系統について天照太神天降りし代の随神として降臨した饒速日命の孫にあたると記され、尊い神として忌部の人々が、地主神または守護神として崇めこの地、阿波国忌部郷雲宮に祭ったと思われる。

また、この神社は、延喜式神名帳にも祭神天村雲神、伊自波夜比売神二座を祭る式内社であると記されている。

尚、当神社が忌部神社神域内におわします神社で、阿淡両国神社録にも忌部神社の摂社牟羅久毛神社と明記されている。

神社創建については定かでないが文献に天和四年(一六八四)に忌部常応が書いたと言われる紙幟に「天村雲神社」とありこの地に村雲神社があったことが記録されている。

また、山崎八幡神社に保存されていた棟札七十七枚の中に、村雲神社に関する一枚の棟札があり、それには、

奉再興天村雲神社御殿一宇遷宮

文政二己卯五月十二日 大工藤原浅吉

とあり、時代を検証する貴重な資料として、大切に保存する。

創建時期、由緒は不詳。

 

『阿波志』『阿府志』では当社を延喜式神名帳にみえる「阿波国麻殖郡 天村雲神伊自波夜比賣神社二座」に比定しています(所在地を阿波志は忌部山中、阿府志は山崎村とする)。

しかし『式内社調査報告』では、「古代における麻植郡射立郷の村落としての字村雲が、天村雲神社の所在地であったことは疑問の余地はなく、当社を式内社に否定することは無理がある」とし、村雲の天村雲神社を式内社に比定しています。

 

現在は山崎忌部神社の境外摂社。

 

 

祭神は天村雲命、伊自波夜比売命の二柱。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

国道192号の吉野川市山川町堤外交差点(位置)を南に折れ県道244号に入ります。

200m弱先の角(位置)を右手に入ります。

その先踏切を渡って道なりに進むと、「白山衣料株式会社 入口」という看板が立っている角があります(位置)。その矢印の方向に進めば神社。

他にも道はいくつもありますが、狭い道か、とても狭い道しかありません。

 

駐車場はありません。拝殿横にスペースがありますが黄色い枠があるので防火水槽のよう。

あまり車は来ない道なので、路肩に停めて急いで参拝するしかないです。

神社概要

社名天村雲神社(あめのむらくもじんじゃ)
別称牟羅久毛神社
旧称
住所徳島県吉野川市山川町流32
祭神

天村雲命

伊自波夜比売命

社格等

式内社 阿波国麻殖郡 天村雲神伊自波夜比売神社二座

山崎忌部神社摂社

札所等
御朱印不明
御朱印帳
駐車場なし
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「山崎村」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 式内社研究会編『式内社調査報告 第二十三巻 南海道』皇學館大学出版部, 1987
  • 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019