抱返神社。
東北の耶馬渓と称される景勝地、抱返り渓谷の入口あたりに鎮座する神社。
境内
抱返り渓谷の碑
境内南側の鳥居
社殿正面の鳥居
記念碑群
手水鉢
長床
社殿
社殿
龍が彫られた扁額
由緒
抱返神社の由来
康平五年(一〇六二.九.七)前九年の役で源義家が盛岡厨川(くりやがわ)の柵の安倍貞任を攻める為此の地より玉川の川筋を進もうとし川の流れの静かなる事を願って持仏を祀って祈願した
祈願を済した義家は再び持仏を懐にして厨川の柵を攻めた
この戦いで義家は勝利を治めここまで無事に帰ることができた
これを喜んで義家はこれも仏のお陰と改めて堂宇を建て懐の持仏を祀ったのが懐返神社の始まりとされつまり祈願した持仏を懐に入れお守りとして持って行き再び還って来たから「懐き還る」「懐還神社」言い伝えられています
尚明治維新後に抱返神社と改書された元禄七郡絵図では村の鎮守は水尺(みずしゃく)明神として図示されているが現祀神は水波能賣神を祀っています
また往古より龍神・水分神・養蚕の守護神として遠近各地より崇敬を仰いで居ます
康平五年(一〇六二)に建てられたと言う堂宇もその後幾度か建て替えられた様で延宝三年九月十六日(一六七六)社殿および長床を建てて若松村鎮守とした
抱返神社 御祭神 水波能売神(ミズハノメノカミ)
寛文十三年、抱返村(現在の若松地区)の開墾の際に水源至難の為大和の国丹生川上神社に願い出て御分霊を勧請し奉祀しました。延宝三年九月十六日社殿及び長床を建築し抱返村の鎮守社として毎年九月十六日を例祭日としています。(現在は旧暦九月十六日)
また、次のようにも伝わる。
抱返村の開墾のはじめ、あまりにもお天気が続いて、その為水源が枯れて植えつけた苗が枯れ死ぬという騒ぎとなりました。この知らせを聞いた藩主佐竹公は使者に斉藤仁兵衛外二名を出張させ検分するに、聞きしにもまさる悲惨な様子に抱返の水源に雨乞いをしたところ、不思議の奇瑞あり。たちまちに掻き曇りて大雨となり枯れかかった苗も生色をみせ百姓達は大喜びをしました。こうしたわけから、この地に水尺大明神を奉祀しました。
抱返村というのは若松新田村の元の名で、延宝五年、平石籐右衛門が起高検使として同地に出張して改名したものです。明治十年町村を分合するにあたり卒田村と合併、明治二十三年町村制を布かれるとともに神代村の一部落となりました。明治維新後、水尺大明神を抱返神社と改名。また、当時「抱返」は「懐還」と表記されていました。
雨乞い、龍神・水分神・養蚕の守護神として、今でも「明神さま」と呼ばれ、遠近各地の崇敬者より篤い信仰を仰いでいます。
「絵馬」
神社に参拝した際に、祈願の内容を絵馬に記して奉納しますが、これはもともと、神々に本物の馬を供えていたことに由来します。その起源は古く、平安時代に遡ります。祈雨止雨、そのほかの祈願のために生きた馬を献上していましたが、その後、この代用として馬像やさらに板に馬の絵を描いた絵馬が奉納されるようになりました。
当神社は往古より渓谷に流れる水を一切司る神を祀り、雨乞い、龍神・水分神・養蚕の守護神としての信仰篤く、奉納された絵馬には馬や龍が描かれたものが数多くあります。
生きとし生けるものは、すべて水無くしては生命を保持することはできません。稲作をし米を主食とする私たちにおいては、雨を降らせ、また止めるなど雨を司る龍神に対する人々の尊崇の念はきわめて篤く、古来より今日にいたるまで変わることなく続いています。
祈雨には黒馬、止雨には白馬・赤馬が描かれ五穀豊穣・地域繁栄・諸祈願に祈りの心を表す絵馬が奉納されています。
創建時期については2説あるようです。
一つは、康平5年(1062)に前九年の役で源義家が盛岡厨川の柵の安倍貞任を攻めるため、当地から玉川の川筋を進もうとし、川の流れが静かであるよう願い持仏を祀って祈願。勝利を治めた義家は堂宇を建て懐の持仏を祀ったのが始まりで、祈願した持仏を懐に入れお守りとして持って行き、還ったので「懐還」神社、というもの。
もう一つは、寛文13年(1673)に抱返村(現在の若松地区)開墾の際、水源至難のため大和の国丹生川上神社に願い出て御分霊を勧請し奉祀したとするもの。抱返村開墾当初に水源が枯渇したため、藩主が雨乞いをしたところ、忽ち大雨が降る奇瑞があったため、水尺大明神を祀ったとも。
もしかすると、康平5年に寺院が建てられ、寛文13年にそこに水神を合わせ祀ったということなのかもしれません。
延宝3年(1675)9月16日社殿及び長床を建立。
明治になり、水尺大明神を抱返神社(当時は懐還と書いたという)と改称。
龍神・水分神・養蚕の守護神として、明神さまと呼ばれているそうです。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
抱返り渓谷
神社から東側に進んでいくと抱返り渓谷の遊歩道があります。11月下旬~4月下旬は雪の為通行不可。その間も神社までは行けるようです。
渓谷に架かる神の岩橋
渓谷を流れる玉川
遊歩道
茣蓙の石
抱返り渓谷の奇石の一つで、ござ(いぐさを編んだ敷物)を数枚程、敷くことができるほどの巨石で上面は平滑になっています。この平な部分は、信州木曽川の上流にある「寝覚の床」によく似ているといわれています。
帝釈の岩屋(だと思う)
抱返り大尺明神の生まれ育ったところだとか、帝釈坊という鬼のいたところだとか。案内板のそばにある岩壁を撮ったけれど、本当にこれか確信は持てません。
誓願橋
遊歩道が崩落した場所に架けられたようです。橋を渡ると誓願寺と呼ばれる場所があります。水が深い淵に流れる時の飛沫が、お香の煙が漂う様に似ているために「誓願寺」の名があるそうで、お寺はありません。
手掘りっぽいトンネル
トンネル先から見下ろす玉川
回顧(みかえり)の滝
ここで遊歩道は行き止まり。正確にはこの先にも遊歩道があり、神代ダムや夏瀬温泉まで行けたようなのですが、崩落等により通行不可。奥の方に百尋の滝といった見どころもあるので、自己責任で入っていく方もいる様子。ただ、ネットに上げられている写真を見る限り、道は荒れ果てており、藪漕ぎ、渡渉は不可避のようなので、装備と自信がなければやめておいた方がいいでしょう。
紅葉の様子
見る分にはきれいだったのですが、私の写真の腕では伝わらないのが残念。
アクセス
JR角館駅から車で15~20分ほど。
県道257号→50号と進み、神代駅の1km弱南にある交差点(位置)を南東方向に入ります。
その先道なりに2kmほど行くと大きな駐車場があります。
10~11月の紅葉祭期間中は混雑する上、駐車場も有料となります。上記の駐車場が使用できるかは不明。できてもすぐ満車になりそうです。
私は11月上旬に行きましたが、紅葉祭の案内表示にしたがって進んだら川の対岸の駐車場に着きました。そこですらかなり混雑していましたが…
仙北市のサイトにある抱返り渓谷紹介ページにリーフレット(PDF)があり、駐車場の大まかな位置も載っていますのでご参考にどうぞ。
神社概要
社名 | 抱返神社(だきがえりじんじゃ) |
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通称 | – |
旧称 | 水尺大明神 懐還神社 |
住所 | 秋田県仙北市田沢湖卒田字黒倉139 |
祭神 | 水波能売神 |
社格等 | 不明 |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | – |
駐車場 | あり(紅葉祭期間は有料) |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「抱返神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995