八坂神社。
徳島自動車道美馬IC付近、美馬町滝ノ宮に鎮座。
式内社 弥都波能売神社の論社。
境内
狛犬
燈籠
社殿
拝殿
鳥居も玉垣もないので若干わかりづらいですが、扁額から八坂神社であることがわかります。社殿隣には地区の集会所。
扁額
本殿
滝の宮経塚
神社南東に滝の宮経塚(県指定史跡)があります。
狭い階段を上ります
ほとんど人が来ないのか、蜘蛛の巣が張り巡らされていました。
滝の宮経塚
雑草に埋もれてなんだかよくわからず…
標柱
この岩も経塚の一部をなすものなんでしょうか
田んぼが隣接しているのですが、経塚側の雑草がひどく境界が不明
徳島県指定史跡 滝の宮経塚
指定年月日 1960年(昭和35年)4月5日
経塚とは、仏教経典を経筒などに入れて地下に埋納したものである。これは末法思想の危機感から行われたもので、弥勒の現れる56臆7千万年の後まで仏教経典を伝えることを目的としている。最古の事例は1007年に藤原道長が奈良の金峰山に埋納したもので、その後全国的に普及し、視界の開けた丘陵上や、霊地とされる場所につくられている。
滝の宮経塚の場合も、眼下に「郡里」や「貞光」、南に剣山を遠望できる視界の開けた丘陵突端につくられている。経塚は20cmほどの大きさの石を積み上げてつくられており、中心には経筒などを埋納したと思われる一辺約80cmの方形の石室がある。出土遺物などから鎌倉時代初期のものと思われる。
ここから出土した経筒などの一括資料は、県の有形文化財に指定されており、美馬郷土博物館に展示されている。
由緒
創建時期について、『美馬町史』によれば、300年ほど前、坊僧より移り住んだ佐藤家の祖先が氏神として讃岐国滝ノ宮(綾川町の瀧宮神社?)より分霊勧請したのが起源であるとのこと。
付近には滝がありませんが、上記由緒が正しければ鎮座地の滝ノ宮は讃岐の滝宮神社に由来する地名になります。
延喜式神名帳にみえる「阿波国美馬郡 弥都波能売神社」に当社をあてる説がありますが、そうであるなら、300年前には既に弥都波能売神社は著しく衰微、あるいは廃されていたために八坂神社に取って代わられたということでしょうか。
当社の弥都波能売神社への比定に関して、『日本の神々 神社と聖地 2』の弥都波能売神社・波尓移麻比祢神社の項に以下の記述が見られます。
日本の神々 神社と聖地 2
「美馬」の地名が「ミツハ」「ミヌマ」に由来するものであるならば、美馬郡の中心地、郡里近辺を想定すべきであると考える。論社のなかでも有力な候補である美馬町滝宮の八坂神社は隆起扇状地の南端にあって、そこは北に郡里城跡をひかえ、西は三頭越えの古道を見おろす位置にある。南麓部に鎌倉時代の経塚があり、銅製・陶製の経筒計四つ、青磁合子、和鏡などが出土している。その南の中山路に美馬郡衙跡があり、近くに立光廃寺跡がある。東に小字名「駅」があり、古代の美馬駅の所在地とされている。その東に段の塚穴古墳がある。さらに、その東一キロの所に式内社天津賀佐比古神社があり、風の神を祭るといわれている。大和国の龍田大社と広瀬神社との関係からみて、風神と水神が一つのセットとして考えられていたとするならば、その点からも、当地は弥都波能売神の鎮座地としてふさわしいことになる。
しかし、前提としての「有力な候補である」というのが、何に基づくものなのかが不明。
祭神は素盞嗚命。
当社が弥都波能売神社であったならば、元は弥都波能売神を祀っていたのかと思われますが、今となっては不明。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
場所はちょっとわかりづらいです。
国道438号から入り住宅地の細い路地を上っていきます。
こんなルートで。
境内に駐車可能です。
神社概要
社名 | 八坂神社(やさかじんじゃ) |
---|---|
通称 | – |
旧称 | – |
住所 | 徳島県美馬市美馬町滝ノ宮231 |
祭神 | 素盞嗚命 |
社格等 | 式内社 阿波国美馬郡 弥都波能売神社 旧無格社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | 境内に駐車スペースあり |
公式Webサイト | – |
備考 | 付近に県指定文化財 滝の宮経塚 |
参考文献
- 「滝の宮経塚」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
- 「八坂神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 谷川健一編『日本の神々 神社と聖地 第二巻 山陽・四国』白水社, 1984
- 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019