倭大國敷神社。
美馬市脇町拝原に鎮座。
式内社 倭大国玉神大国敷神社二座の論社。
境内
鳥居
右手遊具の辺りから境内に車乗り入れ可能。公園も兼ねているようなので気を付けて。
扁額
大國敷神社となっており倭の字はなし。
狛犬
社殿
社殿
最近改修された様子。
本殿覆屋?
社殿後方の土台
かつて本殿の基礎部分だったとか?
境内社
境内社
社日塔
境内社?
本殿後方の木
由緒
創立年代不詳で、「鎮守さん」と呼ばれる。曽江谷川によって形成された扇状地上に位置する当社は、平安時代の『延喜式』神名帳の美馬郡条にある[倭大国玉神大国敷神社二座]に比定される古社で、倭大国魂命と大国敷命を祭神とする。『日本書紀』の第10代崇神天皇紀6年に「天照大神・倭大国魂、二神を天皇の大殿の内にお祀りしたとある。」が、『延喜式』で[倭大国魂]を冠する神社は他になく、[倭大国魂]との強い関係性が窺える。当社南に広がる「拝原東遺跡」は、吉野川中流の弥生終末期~古墳時代初頭の鉄器製作遺跡(3世紀代)である。ここから、竪穴式住居7棟はじめ、住居内から鉄製のヤジリ刃物を製作した鍛冶炉跡、鉄器を磨くための砥石、つぼや瓶、皿といった土器も合わせ、約2万点の遺跡が出土した。拝原は、忌部族が崇拝した吉野川南岸の種穂山、高越山が拝める場所で、忌部族の居住地であった。吉野川市山川町忌部山の麓(山崎)には、「つむ(錘)は山崎、拝(はい)原車(ばらぐるま) それで撚(よ)れぬは お手のから」との歌が伝わり、山崎と拝原に忌部の織物・金属技術集団が居たことが予見されているが、その伝承を裏付ける遺跡といえる。
創建時期、由緒不詳。
延喜式神名帳にみえる「阿波国美馬郡 倭大国玉神大国敷神社二座」の論社とされるようですが、その説を挙げる資料が見つからず。たまたまネット上で紹介されているのを見かけたため参拝。
境内の由緒書には倭大国玉神大国敷神社二座に比定される旨の記載があるので、論社としてよさそうです。
社名が倭大國敷神社になっているのはなぜなんでしょう。元の倭大国玉神大国敷神社が倭大国魂神社と倭大国敷神社に分けられたとか?どちらかが元地でどちらかが移された場所?
小さな神社ですが、色々と想像をかき立てられます。
祭神は倭大国魂命、大国敷命。
倭大国玉神大国敷神社に比定される神社は他に二社(医家神社と倭大国魂神社)あるのですが、祭神を倭大国魂命、大国敷命としているのは当社だけ。
御朱印
御朱印の有無は不明。
アクセス
国道193号と県道12号が交わる交差点の少し東あたり(位置)から南の脇道に入ります。
いくつか分岐ありますが南方向へ進みます。周囲は住宅地と農地のため道が狭いのでご注意。
鳥居の向かいに大きな道路(県道12号のバイパス?)が建設中で、その道が開通すればアクセスはかなり楽になりそうです。
神社概要
社名 | 倭大國敷神社(やまとおおくにしきじんじゃ) |
---|---|
通称 | 鎮守さん |
旧称 | – |
住所 | 徳島県美馬市脇町字拝原2404 |
祭神 | 倭大国魂命 大国敷命 |
社格等 | 式内社 阿波国美馬郡 倭大国玉神大国敷神社二座 旧無格社 |
札所等 | – |
御朱印 | 不明 |
御朱印帳 | – |
駐車場 | 境内駐車可 |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「倭大国敷神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 徳島県神社庁教化委員会編『改訂 徳島県神社誌』徳島県神社庁, 2019