宇和津彦神社(宇和島市野川新)

宇和津彦神社。

宇和島城の南東、愛宕山の麓に鎮座。

日本三代実録 仁和元年(885)2月10日丙申条に見える宇和津彦神に比定される国史見在社で、南豫の総鎮守・一宮とされた神社。

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境内

一の鳥居

 

社号標

 

二の鳥居

 

扁額

 

手水舎

 

狛犬

 

筆塚

 

社殿前石段

 

石段前の狛犬

 

石段上の狛犬

社殿

拝殿

 

扁額「榊森宮」

 

本殿

境内社等

手水鉢とその前の鳥居

 

手水鉢前の狛犬

 

 

鎮魂 兒島惟謙碑

 

兒島惟謙(元老に屈せず法守る)

天保八年(一八三七)宇和島藩(現同市)に生まれた。大審院長(現最高裁長官)。のち貴族院議員、代議士。大津事件で、”護法の神”の称をうける。関西大学を創立。明治四十一年没、七十二歳。

明治二十四年五月十二日の早朝、首相官邸の一室へ大審院長兒島惟謙が大阪控訴院長北鼻治房とともに入ってくる。惟謙らはたった今、前日滋賀県大津で警備巡査・津田三蔵の凶刃に遭難のロシア皇太子(ニコラス二世)を見舞われるため、京都へ行幸される明治天皇を新橋駅にお見送りしての帰りだった。

いわゆる大津事件。津田三蔵が皇国を危うくするものと愛国者流に思いつめての凶行だったが、相手が大国のロシアだけに朝野はふるえあがった。政府・元老は津田を『日本皇室に対する犯罪と同じ扱いで極刑にせよ』と決めたばかりだった。

惟謙らは別室で松方首相、陸奥農商務相と会った。大国ロシアの感情を害さないよう”極刑”論を迫る首相らに対し『まだ電報だけで事件の詳細がわからないが、たぶん謀殺か故殺未遂でしょう。そうだとすれば普通人の法律でさばくより方法がない。内閣がどんな評決をされても、法の精神に反する解決は断じてできません。』

松方は『法律の解釈はそうかもしれんが国家あっての法律だ。法律が国家より大事な理由はない。国家の重大事に区々たる法律の文字にこだわってはおれん』

真っ向うから対立のまま会見は打ち切られたが、世界中が注視のこの事件で、惟謙は政府・元老・議会など、時の権力による一切の干渉、圧迫と対決し”三権分立”の信念を貫きとおし、犯人津田三蔵を無期懲役とした。

 

御神木?

由緒

※額、石碑はほぼ同内容

境内由緒書

旧縣社宇和津彦神社御事歴

御祭神 宇和津彦神 味鉏高彦根神 大己貴神

当神社は創祀の年代未だ詳なけれども古来一宮の神と称へられし南豫総鎮守の旧社なり

宇和津彦命は景行天皇の御子国乳別皇子の御事にして宇和津別の任を此の僻遠の地に受け給い備に辛酸を嘗め地を拓き民を牧して能く地方経綸の大業を全うし給いき

味鉏高彦根命は大己貴命の御子にして父命と共に国土経営に御力を尽し給いし御方なり

大己貴命は又大国主命とも称せられ其の功績の偉大にして威徳の崇高に坐す事は普く人の知るところなり

斯く深き由緒を有せられるが故に夙に皇室の御崇敬浅からず光孝天皇の御代遠く神階を授け給い年に有りては勅使御参向ありと傳う又歴代領主の崇拝厚く伊達氏の代に至り屢社参祈願の儀行なわれ幣帛宝物等の寄進絶えず

明治四年社格制定の当時既に縣社に列せられ例祭は十月二十八日を以て執行し翌二十九日には神輿の渡御あり

創建時期は不詳。

古くは毛山村(丸穂村の古名)の南山中の神田が森(日本歴史地名大系)、或いは美濃越(愛媛県神社誌)に祀られていたといいます(どちらも同一の場所を指すか)。

 

三代実録 仁和元年(885)2月10日丙申条に「伊予国正六位上…宇和津彦神…従五位下」とみえる宇和津彦神に比定されています。

 

建久年間(1190~99)に橘氏が丸串城(現宇和島城)南麓に一宮社を造営しそちらに移ります。

文亀3年(1503)に西園寺氏が一宮・山王両社殿を造営するも天正15年(1587)戸田勝隆が社殿を没収。

 

文禄5年(1596)藤堂高虎が一宮・山王両社を再建、山王宮を榊森(玉串城)に遷座。

その後、寛永9年(1632)伊達秀宗が現社地の榊森(玉串城)に一宮大明神社を建立、遷座。

正保3年(1646)に社殿焼失。

慶安元年(1648)に再建、一宮・山王両社を合祭し、宇和津彦神社と称するようになりました。

 

明治4年県社列格。

 

一説に、元々は宇和の地(現西予市宇和町)に鎮座していたとも言われています。

西予市宇和町坂戸に宇和津彦神社がありますが、こちらでしょうか。

 

 

祭神は宇和津彦命、味鉏高彦根命、大己貴命の三柱。

 

祭神宇和津彦命は景行天皇の子、国乳別皇子で、宇和別となって宇和に来住。

 

味耜高彦根命は延暦11年(792)に土佐の高賀茂社(土佐神社)から勧請されたと社記にあります。

 

大己貴命については境内別殿・山王宮に奉祀してあったのを慶安元年(1648)に本社に合祀、とのこと。

その後、山王宮はその後寛文3年(1663)に現南豫護国神社の地に勧請され、明治41年には丸之内和霊神社に合祀されています。

『日本歴史地名大系』には山王宮の城内への勧請を以って一宮と山王宮は完全に分離された、という内容の記述がありますが、既に一宮に合祀されており、現在も大己貴命は当社に祀られていることからこれは誤りかと思われます。

 

かつては境内社が複数あったようで、神明神社、氷川神社、八坂神社(賀茂神社・棚機神社合社)、豊国神社、田村神社、猿田彦神社、齋部神社、松尾神社、錦山神社、床浦神社、高津神社、祖霊社があった様子。現在は見当たらなかったので、本社に合祀されたのでしょうか。

 

10月28、29日に行なわれる秋の例祭では、牛鬼の練りや八ツ鹿踊りが催されます。

八ツ鹿踊りは市指定無形民俗文化財で、初代藩主秀宗の時代から始められたもの。

宮城県各地に普及している鹿踊と類似する部分があり、伊達氏によって伝えられたものが定着したものと言われます。

御朱印

御朱印はあります。

社務所で拝受可。

アクセス

城山公園南東の丸ノ内和霊神社前交差点(位置)を東へ進み、突き当りかその一つ前の角を南へ。

そのまま直進で神社付近まで行けます。

駐車場は鳥居右手の坂(位置)を上ったところ。

神社概要

社名宇和津彦神社(うわつひこじんじゃ)
通称

一宮様

一宮大明神

旧称
住所愛媛県宇和島市野川新13
祭神

宇和津彦命

味鉏高彦根命

大己貴命

社格等

日本三代実録 仁和元年二月十日丙申 宇和津彦神 従五位下

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり(境内駐車可)
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「宇和津彦神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「宇和津彦神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 明治神社誌料編纂所編『府県郷社明治神社誌料 下巻』明治神社誌料編纂所, 1912(国会図書館デジタルコレクション 328-329コマ