徳王稲荷社金刀比羅社。
岡崎市西中町に鎮座。
東海道随一といわれる長藤があり、藤まつりで有名な神社。
境内
交差点角に建つ鳥居
鳥居の左後方の狛犬
社号標
鳥居
扁額
岡嵜德王稻荷社の社号標
金刀比羅社の社号標
お狐さん
鳥居
鳥居
狛犬
手水鉢
社殿
拝殿
本殿
境内社等
参道右手に境内社が祀られています
左から天神地祇社、御嶽神社、金山神社、秋葉神社
金山神社と秋葉神社の社号標
子育て道祖神
藤棚
境内には東海道随一の長藤と謳われる立派な藤棚があります。
古くからあった藤棚が戦災で焼失するも、生き残った根を育て復活させたものだそうです。
3月の参拝だったので全く咲いていませんでしたが、4月下旬~5月下旬にはとても綺麗に咲くようです
4月下旬から5月下旬には藤まつりが開催され、見頃の時期は夜間ライトアップもされるそう。
背丈より長い花房と、古くから多くの人々に親しまれてきたこんぴらさんの藤は、昭和二十年七月の戦災により本殿と共に焼失する。然し根の一部は大神様の御加護を受けて生き残り、昭和四十二年新社殿造営の折、棚を設け育てるに、往時を偲ばせる立派な長藤に成長する。是に、その生命力を讃え、弥栄を祈念し建之。
由緒
徳王稲荷社
祭神 宇気比売神
例祭日 四月十一日
永正三年二月、今川修理大夫氏親の発願により、稲熊の郷、石山に村人が稲荷大神を勧請した社という。明治十一年、常に稲荷大神を尊崇する伊勢国の人中川つね子、岡崎に居を移すと共に人々に神助加護を仰がしめ、明治二十五年、両町に宏壮なる社殿を造営し、遠近より祈願参詣する多勢の信者で隆盛する
金刀比羅社
祭神 大穴牟遅神 崇徳天皇 猿田彦神
例祭日 十月十日
建保年間、本間三郎重光の臣、伴隼人、此の地に住し北野天神の祠官として奉仕する。永禄の世に至り、伴孫太郎、徳川家康公に弓弦を献上し、弦指屋敷と呼ばれ家康公と射的の為数度訪れ、お手植の椿があったと伝える
文化九年十月、金刀比羅社を奉祠する。境内の藤の大樹はこんぴら藤と称えられ、花房の長さ六尺に及び、東海道一の名声を挙げる。五月の藤花祭は近郷より参詣する人波が続き社頭大いに賑わう。昭和二十年七月、両社共戦災に遭遇し、荘厳なる社殿の全てを焼失したが、昭和四十一年四月、合祀の議が定まり旧金刀比羅社境内に新社殿を造営して今日に至る。
徳王稲荷社
創建は永正3年(1506)。
今川氏親による勧請とされ、元は稲熊町石山にあったそうです。
明治25年に両町に遷座。大正9年村社列格。
金刀比羅社
創建は文化9年(1812)。
北野天神(岡崎天満宮?)の祠官、伴氏の屋敷に祀られたとされます。
明治13年村社列格。
昭和20年に徳王稲荷社、金刀比羅社とも戦災により社殿焼失。
昭和41年に合祀の議が定まり、旧金刀比羅社境内に社殿再建。
御朱印
御朱印はあります。
社務所で拝受可。
当社の他、稲前神社、甲山八幡宮(位置)、瀧山東照宮(位置)の御朱印がいただけます。
また月替りの限定御朱印もあり。朔日参りや見開きの限定など相当種類があるようです。
オリジナル御朱印帳もあります。
参拝時はまだ予告段階でしたので、いただけてはいません
アクセス
東名高速の岡崎ICを名古屋・豊田方面に降ります。
1.5kmほど先、市役所南東交差点(位置)を右折。
300mほど行くと右手に鳥居が見えますのでそちらへ。
特に駐車場の表示はないのですが、藤棚下が駐車場となっているようです。
交差点角の鳥居の左か右から入れます。が、神社周囲の道は一方通行になっているので入り方に気をつけてください(上記のように南から来て、鳥居が見える交差点で右折した場合は、鳥居の右手側からしか入れません)。
駐車場は5台前後のスペースなので、藤まつりの時期や限定御朱印のある1日などは停められないかもしれません。
多少歩きますが、岡崎城寄りにいくつかコインパーキングあり。
知立や豊田からの場合も基本的には市役所南東交差点(位置)を目指すのでいいと思います。
神社概要
社名 | 徳王稲荷社金刀比羅社(とくおういなりしゃことひらしゃ) |
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通称 | – |
旧称 | 徳王稲荷社 金比羅社 |
住所 | 愛知県岡崎市西中町2-1 |
祭神 | 宇気比売神 大穴牟遅神 崇徳天皇 猿田彦神 |
社格等 | 旧村社(徳王稲荷社・金刀比羅社いずれも) |
札所等 | – |
御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
駐車場 | あり |
公式Webサイト | – |
備考 | – |
参考文献
- 「徳王稲荷社・金刀比羅社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
- 愛知県神社庁編『愛知県神社名鑑』愛知県神社庁, 1992