山中八幡宮(岡崎市舞木町字宮下)

山中八幡宮。

岡崎市舞木町に鎮座。

境内の洞窟に徳川家康が隠れ難を逃れたという伝承のある神社。

また奥宮は式内社 稲前神社の論社とされています。

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境内

参道

境内のある山は「御身隠山」と呼ばれます(由来は後述)。

 

石灯籠

 

鳥居

 

社号標

 

 

石段

 

二の鳥居

 

神門

額には慶取門(?)とあります。

 

手水舎

 

 

 

狛犬

社殿

拝殿

 

本殿

奥宮

社殿右手に奥宮の案内があります

 

案内に従って奥へ

奥宮までは100mくらいです。

 

奥宮

 

奥宮神籬の碑

 

稲紋

 

神籬とある通り、社殿はなく木が植わっています

 

奥宮の横をさらに進むと、裏参道に出るようです。鳥居もあるようですが未見。

鳩ヶ窟

神門手前から降りたところに鳩ヶ窟があります。

 

鳩ヶ窟

 

「徳川家康公御開運の鳩ヶ窟」碑

 

鳩ヶ窟碑

永禄六年癸亥本願寺一揆ノ時家康公急ヲ此ノ窟中ニ避ク賊之ヲ穿ラントス白鳩二羽窟中ヨリ飛出デタリ衆疑ト共ニ囲ヲ解キテ去レリ前ニハ旧領還元ノ基ヲ顕シ今ハ開運ノ徴ヲ示シ給フ応験ヲ畏ミ益々尊崇厚キヲ加ヘタリ故ニ山ヲ御身隠山ト称ヘ窟ヲ呼ンデ鳩ヶ窟トイフ社号ヲ舞上八幡宮トモ称スルハ此ノ所以ナリ 中略 慶長八年家康公征夷大将軍ニ任セラレ府ヲ江戸ニ開ク同年八月廿六日朱印状ヲ附シ神領百五十石ヲ献進セリ爾来明治維新ニ至ル迄代々ノ将軍治世ノ始メニ当リ等シク朱印状ヲ附シ神領先判ノ例ニ任スル旨沙汰スルヲ例トセリ

 

境内には同じく家康絡みの御開運竹もあります

 

御開運竹

永禄六年(一五六三)一向一揆の折徳川家康公鳩ヶ窟において難を逃れ神前に開運を祈り矢をこのところに挿し退下せり

この矢根芽を生じ生育せりと伝うこの竹四時たけのこを生ず

境内社等

社殿向かって左手の境内社

 

社殿向かって右手の境内社

 

右手の社手前には神明社の社号標が建っているので、神明社なのでしょう

 

参道脇の井戸と境内社

 

明治神社誌料によれば、境内社として神明社、忍穂耳社、熊野社、八柱社、住吉社、須佐之男社があるそうですが、神明社以外の二社がどれにあたるかは不明。

 

石段下の遥拝所

 

祓所?

 

倉?

 

参集殿?(社務所は下の方にあったので)

 

参道下にあるクスノキ

 

岡崎市指定文化財 山中八幡宮のクスノキ

胸高囲六・六(七・五)メートル、根囲一〇・八メートルの巨樹である。

樹勢旺盛、樹形も整い、樹高二十一メートルと壮大な姿を見せる。

クスノキとしては、市内第二の大きさを誇るばかりか、県下でも稀有な存在である。

国道一号線や名鉄電車内からも望見できる巨樹として、本市の東部をシンボライズする名木である。

昭和六十年三月六日指定

胸高囲6.6メートルの横にカッコ書きで7.5とあるのですがどちらが正なのでしょうか…

由緒

案内板

家康の家臣菅沼定顕が、上宮寺から糧米を強制徴収したことに端を発した三河一向一揆で、門徒に追われた家康が身を隠し、難を避けたという鳩ヶ窟があります。一揆方の追手が家康のひそんでいる洞窟を探そうとすると、中から二羽の鳩が飛び立ちました。「人のいる所に鳩がいるはずはない」と追手は立ち去ったといいます。例年正月三日には、五穀豊穣を祈る御田植神事「デンデンガッサリ」が催されます。

創建は社記によると文武天皇3年(699)。ただし『愛知県神社名鑑』は文武天皇の慶雲3年(706)の勧請とします。

大化2年(646)に関東と京を結ぶ道に駅制が敷かれ、「山豆奈駅家(山綱駅家)」ができ、当社はその守り神・稲前神社として祀られたといいます。

当社南東の山綱町はこの駅家の名を残しているもののようです。

 

現在は奥宮となっている稲前神社が、延喜式神名帳にみえる「三河国額田郡 稲前神社」の論社とされています。

 

文明4年(1472※)、山中城主の山中光重が八幡宮に改称(※1433とする記述もネット上にあるものの文明4年と齟齬が生じる)。

山中光重という人物は当社由緒以外に名前が見えず詳細不明ですが、時代・場所的に考えると大草松平家初代の松平光重でしょうか。

なお、699年に城主山中光重が宇佐八幡神の夢告によって当社を創建した、という伝えもあります。しかし八幡信仰の拡大時期や、山中城の築城時期(15世紀といわれる)を考慮すると、これは後世に作られた、もしくは元より当地に鎮座した稲前神社(あるいはそれに相当する神社)と八幡宮の由緒を混同したものではないでしょうか。

 

永禄6年(1563)、三河一向一揆の際に徳川家康が当社の洞穴に隠れて難を逃れたとされ、当社のある山は身隠山と称されました。

またこの時、洞穴から鳩が二羽飛び立ち、追手は「人のいる所に鳩がいるはずはない」と立ち去ったことから、洞穴は鳩ヶ窟と呼ばれるように。

 

慶長8年(1603)、神主の竹尾氏が今川から寝返り徳川に就いたため、家康から150石を与えられ、舞木八幡宮に改称。

寛永11年(1634)、舞上八幡宮に改称。

 

明治に入り山中八幡宮に改称。

明治5年、郷社列格。

 

「デンデンガッサリ」という御田植神事があり、市の無形民俗文化財に指定されています。

歌詞の初めが「デンデンガッサリヤー」なのでこう呼ばれているそうです。

歌詞は下記リンク先をご参照ください。内容の解釈がなかなか面白いです。上記由緒もこちらを参照しました。

 

 

岡崎市指定文化財

山中八幡宮

無形民俗文化財 デンデンガッサリ

デンデンガッサリは山中八幡宮に古くから伝わるお田植え神事で毎年旧暦の正月三日に行われていましたが、昭和初期頃から新暦の一月三日に行われています。歌詞の初めに「デンデンガッサリヤー」という詞があるので「デンデンガッサリ」といわれています。前歌・後歌・せりふ・所作により年間の農作業を表現し、天候の恵みと稲の豊作を祈願します。苗に見なした餅を大鏡餅に植える所作、豊作を表す大鏡餅を牛の背に載せ、牛が重さに耐え切れず倒れる所作が特徴的です。牛が「運搬」「豊作」の象徴として登場してくることが極めて珍しく貴重なものです。

昭和四十七年七月五日指定

 

天然記念物 山中八幡宮のクスノキ 一本

山中八幡宮のクスノキは主幹が地上四mのところで二つに分かれて伸びる樹形をしています。樹高も二十mを超える県下でも最大級の規模を誇ります。

昭和六十年三月六日指定

 

工芸品 乱舞面 一面

社伝で乱舞面とよんでいますが、おそらく能面の癋見を神楽面として利用したものと考えられます。口をへしめて、怒っているような表情、穴を開けた瞳の周囲を金属板とした所など、その特徴をよく示しています。木造で中央に縦の亀裂が入っていますが、そのつくりからは室町時代の作とされています。

昭和五十一年三月三十一日指定

 

愛知県山中八幡宮自然環境保全地域

山中八幡宮は、岡崎市東部の舞木町に位置し、ツブラジイを優占種とする常緑広葉樹林が覆う、標高106m程の小さな丘です。県内では規模が大きい常緑広葉樹林の社叢を有し、林床には本県の準絶滅危惧種であり、ルリミノキやオオフユイチゴの群落が生育しています。また、参道入口にあるクスノキの巨木は、岡崎市の天然記念物にも指定されています。

昆虫では、「生きた化石」といわれるヒメハルゼミや本県の準絶滅危惧種であり、自然林に生息するオオゴキブリが見られます。

なお、本社叢の大半は「ヒメハルゼミの生息地」として岡崎市の天然記念物に指定されています。

このようなすぐれた自然環境を将来にわたって保全するため、愛知県自然環境保全地域に指定したものです。

 

岡崎市指定文化財

山中八幡宮

天然記念物 山中八幡宮のヒメハルゼミ生息地

山中八幡宮の常緑照葉樹林には、太古からの生き残りのヒメハルゼミが発生している。

ヒメハルゼミは、体長二五~三〇ミリメートルほどで羽は透明、緑褐色に黒条のある小形の暖地系のセミである。七月上旬から八月上旬頃にかけて現れ、木の梢の方にいて、夕方に最初の一匹が鳴き始めると、あとの雄は一斉に集団で大合唱をする。

市街地の近くに、このようなセミの発生地と森があることは、郷土の貴重な遺産である。いつまでも、このセミが生活できる自然環境を護って行きたいものである。

昭和五十七年九月八日指定

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

国道1号の舞木町西交差点まで行きます。

南の道に入り、100mほど先の石灯篭の所で右手に折れると正面に鳥居が見えます。

鳥居右奥、クスノキの横あたりにスペースがありそこが駐車場だと思うのですが、案内はないので不明(観光案内サイトに駐車場ありと出ており、他にそれらしき場所もないのであってるとは思いますが)。

神社概要

社名山中八幡宮(やまなかはちまんぐう)
旧称

稲前神社

舞木八幡宮

舞上八幡宮

住所愛知県岡崎市舞木町字宮下8
祭神

応神天皇

比咩大神

息長足姫命

社格等

式内社 三河国額田郡 稲前神社(境内奥宮)

旧郷社

御朱印不明
駐車場あり

参考文献

『愛知県神社名鑑』 愛知県神社庁


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