久麻久神社(西尾市八ツ面町麓)

久麻久神社。

西尾市八ツ面町麓、八ツ面山の中腹に鎮座。

式内社 久麻久神社二座の論社。

広告

境内

社号標

参道下、県道との交差点脇にあります。

 

鳥居

 

社号標

 

手水舎

 

脇参道の鳥居

 

脇参道の社号標

 

狛犬

社殿

拝殿

 

扁額

 

本殿

 

案内板

久麻久神社本殿

重要文化財 建造物 昭和二十五年八月二十九日指定

付 棟札二枚 鰐口一口 厨子一基

本殿は桁行三間・梁間二間・入母屋造りで向拝がつく。室町時代の建築である。向拝の蟇股に「参河刕(州)実相寺住僧有□大永七(一五二七)季丁亥夘月廿一日」と墨書がある。昭和四十四年に解体修理が行われた。

 

牛頭天王神像

愛知県指定文化財 彫刻 昭和三十八年四月十九日指定

一木造り。像高七九センチメートル。藤原時代末期の造像とみられる。

 

狛犬

愛知県指定文化財 工芸 昭和三十八年四月十九日指定

陶製灰釉。阿吽一対。室町時代の造像とみられる。像高、吽形二六センチメートル、阿形二五センチメートル。台板に「荒川宮捨入自□」と墨書がある。

境内社等

天満社(左)、稲荷社(右)

由緒書には稲荷社の後に秋葉社合殿とあります。

 

山之神社

 

御鍬社

 

御神木・連理の枝のシイの木

 

久麻久神社の御神木「連理の枝のシイの木」

『連理の枝のいわれ』

連理とは、一本の木の枝が他の木の幹と連なって木目が通じ合っていることで「連理の枝」といいます。

その語句は、中国の唐の時代の詩人、白居易(白楽天)の「長恨歌」の一節で、玄宗皇帝が楊貴妃に囁いた「天に在りては、願わくは、比翼の鳥と作り、地に在りては、願わくは、連理の枝と為らん」と歌われていることから始まり、夫婦・男女の仲睦まじいことのたとえです。

又、「連理の契り」と言って男女の間が永遠に睦まじく、変わる事のない契りを表します。連理の枝の木があることは珍しく、神社の祠の前に連理の枝が在るということは、神様の思し召しの様に思われます。

神社の周辺には、多くの椎の古木が生い茂り西尾のパワースポットとして、神聖な雰囲気を醸し出し地域の安泰と繁栄を祈る神社を守っています。

久麻久神社のシイ群(連理の枝のシイ含む)は西尾市の銘木として指定されています。

 

神楽殿

 

神社裏手、男山(八ツ面山の西の峰)の山頂からの景色

久麻久神社は当初この山頂に鎮座し、永禄年間(1558~70)に徳川家康が鳥居元忠に命じて現在地に遷させたと伝わっています。

この八ツ面山は雲母(きらら)山とも呼ばれ、古来雲母が採掘された山。

続日本紀 和銅6年(713)5月癸酉(11日)条に、参河から雲母が献上された旨の記述がみえますが、その産地は八ツ面山に比定されています。

また、中世期の地名「吉良庄」は「きらら」に由来するといわれています。

かつては多数の雲母坑があったそうですが、明治の崩落事故を契機に採掘は終わり、昭和には転落事故が起きたため1基を残し全て埋められています。

由緒

式内 久麻久神社

所在地 西尾市八ツ面町麓七七番地

祭神 大雀命・須佐之男命・熱田大神 外六柱

当社の創建は古く明確でないが、延喜式神名帳所載の古社で近郷十七か村の総氏神として崇敬されていた。

旧久麻久郷は、崇神天皇の頃、丹後国与謝の里より久麻久連一族が開拓したと伝えられ、その産土神が本社である。

文武天皇の大宝年間(七〇一~四)に須佐之男命を新たにお祭りし大宝天王宮と称した。その後、八ツ面山の西麓、荒川城の城主「荒川甲斐守義弘」これを崇敬し、堂宇を再興し「荒川大宝天王宮」と称した。荒川氏歿後、徳川家康は家臣の鳥居元忠に現在地へ奉遷させたと伝えられる。

明治元年社名を旧名「久麻久神社」に復した。本殿は室町時代後期の代表建築とされ、国の重要文化財であり、ご神像の牛頭天王像は藤原時代の作で県下最古のもの。また古い木製や陶製の狛犬も有名である。

創建時期は不詳。

社伝によれば、崇神天皇の御代、丹後国与謝の里より当地に移住・開拓した久麻久一族が、産土神として祀ったのが始まりだとされます。

 

延喜式神名帳にみえる「三河国播豆郡 久麻久神社二座」の一座とされ、上の社ともいわれていました(下の社は熊味町の同名社)。

『三河国内神明名帳』にみえる「従四位下 熊來明神」も当社を指すとみられます(もしくは熊味町の同名社、両方か)。

 

大宝年間(701~704)に旧大宝村から須佐之男命を勧請し、山頂に西向きに祀り大宝天王宮と称したとされます。

戦国時代には荒川城(現在の八ツ面小学校付近にあった城)城主荒川甲斐守義弘が堂宇を再興。

永禄年間(1558~1570)、徳川家康が鳥居元忠に命じて山頂から現在地に奉遷させ、東向きに改めたといいます。

 

明治に入り、久麻久神社に改称。

改称の経緯について、『愛知県神社名鑑』に「明治六年久麻神社に復し、同六年十月三日、大宝天王に戻り、明治十一年七月九日、久麻久神社に復した」とあります。明治6年の「久麻神社」は誤記でしょうか。

明治6年、郷社列格。

 

現祭神は大雀命、須佐之男命、熱田大神。

社伝にしたがえば、本来の祭神は久麻久連が祀った神だと思われますが、その詳細は不明。

 

須佐之男命は大宝年間に旧大宝村から勧請した神と思われます。

大雀命と熱田大神については不明ですが、由緒にそれぞれ若宮八幡宮、八剣宮とあるので、合祀された神ではないかと考えられます。

なお拝殿内に「若宮八幡宮 荒川大宝天王宮 八劍宮」と書かれた扁額があります。

由緒に「社名額…大宝天王宮(元禄六年(一六九三年)荒川氏の子孫が奉納」とあり、おそらくこれを指すのかと。とすると、大雀命と熱田大神は元禄期には既に合祀されていたのでしょうか。

御朱印をいただく際にこの扁額も見せていただいたのですが、撮影を忘れ、また伺ったお話もメモし損ねていました。再訪できたら、あらためて伺いたいところです。

御朱印

御朱印はあります。

境内は無人でしたので、由緒書に記載のあった番号に電話したところ、宮司さんが来てくださりいただけました。

アクセス

刈谷・知立から国道23号を南下し、矢作川を渡った先で道の駅にしお岡ノ山に降ります。

道の駅北側に出て、分岐を直進し矢作古川を渡ると八ツ面山東麓。

山の北と南に山頂へ至る車道の入口があります。二つの道がぶつかる中腹あたりに脇参道入口。

駐車場は脇参道入口から少し北に降りたところ、あるいは男山・女山それぞれの山頂付近にあります。

神社概要

社名久麻久神社(くまくじんじゃ)
通称
旧称大宝天王宮
住所愛知県西尾市八ツ面町麓77
祭神

大雀命(若宮八幡宮)

須佐之男命(大宝天王宮)

熱田大神(八剣宮)

相殿

火産霊神

奥津比古神

奥津比売神

豊受比売神

菊理比咩神

伊邪那美神

社格等

式内社 三河国播豆郡 久麻久神社二座

旧郷社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイトhttps://zinzya.exblog.jp/
備考男山(八ツ面山の西の峰)山頂が旧地

参考文献

『式内社調査報告 第九巻 東海道4』 皇学館大学出版部

 

『愛知県神社名鑑』 愛知県神社庁


タイトルとURLをコピーしました