立鉾鹿島神社(いわき市平中神谷字立鉾)

立鉾鹿島神社。

いわき駅東約3.5km、常磐線沿いの農地の中に鎮座。

三代実録に見える「(鹿島)大神之苗裔神卅八社」の一つにあたると見られる神社。

境内

上記アクセスの項で書いた参道が現在の参道なのですが、かつては社殿南側の道が表参道で、常磐線の線路が参道を横切る形で通ってしまったため現在の西参道が使われるようになったようです。

鳥居。ここから南に300mほど行くと社号標があります。

 

かつての参道

 

参道を分断する常磐線

 

神社側から。線路への立入は禁止され、踏切もないため、表参道を通っての参拝はできません。

 

旧参道の両部鳥居。現参道からだとこの鳥居をくぐらず参拝となるのですが、せっかくなので旧参道の線路手前まで行きこの鳥居をくぐって参拝しました。

 

現在の参道である西参道。鳥居に支えがあります。地震で被害を受けたのでしょうか。

社殿

拝殿

 

扁額

 

屋根に幣が立っていました

 

つらそう

 

本殿

境内社

菅原神社

 

社殿横~後方には岩山があり、岩山を挟んで左の方に鳥居と石段があります。

 

伏見稲荷神社。西参道の鳥居脇に鎮座。

 

立鉾稲荷神社。参道脇の石段を登った先に鎮座。鳥居から祠まで真っ赤です。

 

山倉神社。立鉾稲荷神社の横に鎮座。

 

参道脇にあったこちらは詳細不明。

由緒

由緒板

立鉾(たてほこ)とは武甕槌神が東北平定の際この地に至り山に登り鉾を立て、これから進攻する東方を眺望したことから立鉾の名で呼ばれるようになった。

社伝によると、平城天皇朝大同2年(西暦807年)魍魎が現われ神職藤原朝臣信次が辻に鉾を立て殿内に籠もり祈願し、退治したと伝えられる。

社殿は当初山頂に建立されたが、その後天暦3年(西暦949年)領主赤目崎住前出羽守平朝臣則重により山下東北隅の地を卜し遷座された。天正元年(西暦1573年)焼失し、同5年領主岩城左京太夫平親隆により現在の地に造営された。以後歴代の領主の信仰篤く社殿修復・社参祈願・奉納品(神輿・纏等)と多くの寄進がなされた。中でも「猿田彦(さるたひこ)」面は、いわき市の有形文化財に指定されている。江戸時代には正一位立鉾大明神と称された。

創建時期は不詳。

社伝に、大同2年(807)魍魎が現われた際、当時の神職藤原朝臣信次が辻々に「鉾」を立て、社内に籠もり祈願し、退治したという伝えがあるため、この時を創祀としているようです。

立鉾という名の由来は、武甕槌神が東北を平定するためこの地に来た際、当時「塩干山」と呼ばれていた山に登り「鉾」を立て、これから進む東方を眺めたことから。

三代実録 貞観8年(866)正月に「常陸國鹿嶋神宮司言、大神之苗裔神卅八社在陸奥國。菊多郡一。磐城郡十一。云々」とあり、当社は磐城郡の11社の一つと見られています。

社殿はかつて山頂にあり、天暦3年(949)に山の下東北隅に移転。天正元年(1573)焼失し同5年現在地に移転と伝えられます。

武甕槌神が鉾を立てたという塩干山、旧鎮座地の伝承が残る山は同じ山で、現在社殿後方にある岩山なのでしょうか。

山頂からの移転の際は「山下東北隅」と明記されているのに対し、天正5年の移転の際は「現在の地に造営」としか記述がありません。

旧地の山頂とは現社殿裏の山の上を指すのか、あるいは違うのか。

普通に考えれば塩干山=旧地=現社殿裏の山なのでしょうが。

御朱印

御朱印はあります。

社殿向かいに社務所らしき建物があったのですが無人だったため、社殿右手のご自宅へ。そちらで頂けました。

アクセス

国道6号から少し北に入ったところ、ここに出羽神社の案内板が立っています。(出羽神社は立鉾鹿島神社の北西にある神社。今回は未訪)

ここを北に進みます。踏切を渡った先、右手に参道があります。

参道入口。境内に駐車可能です。

神社概要

社名立鉾鹿島神社(たてほこかしまじんじゃ)
旧称立鉾大明神
住所福島県いわき市平中神谷字立鉾33
祭神

武甕槌神

社格等

日本三代実録 貞観八年正月廿日丁酉 (鹿島)大神之苗裔神卅八社(磐城郡十一)

旧郷社

御朱印あり
駐車場あり
公式Webサイトhttp://www.tatehoko.com/

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