高倉神社(伊賀市西高倉)

高倉神社。

伊賀市西高倉に鎮座。

日本三代実録 貞観3年(861)4月10日甲寅条にみえる高蔵神に比定される神社。

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境内

鳥居

右の大きな木は高倉五名木の大﨔。大﨔の前に社号標があるのですが、木の枝に埋もれていて撮れず…

 

扁額

 

高倉神社の鳥居と大﨔

この鳥居の形式は、両部鳥居と名づけられ、高倉神社の一の鳥居である。

大﨔は、山ノ口神事の締め縄掛け木で高倉五名木の一つである。

山の口神事は一月七日に行はれる。

東の国の銭金この国へ引き寄せよ

西の国の糸綿この国へ引き寄せよ

チョイサ、チョイサ

と唱えて神事が終わる。

高倉五名木

大杉二本椎の木カゴの木榧の木(天然記念物)とこの大﨔

 

県道の下を潜り…

 

橋を渡ると…

 

社号標

 

鳥居

 

手水舎

 

鳥居

 

石段

社殿

拝殿

 

扁額

 

拝殿前に置かれた木の根

 

下の木の根は昭和十年改修より八十年の間に石段下に入り込んだものです

当社の雨乞踊りの歌によまれた三十三段も甦りました

有りがとうございました

 

狛犬

 

本殿

 

国指定重要文化財・建造物 高倉神社本殿・境内社(八幡社・春日社)附棟札六枚

本殿と八幡社本殿(向かって右)は、ともに一間社流造檜皮葺で土台上に建ち、組物連三斗、中備蟇股、間斗束、妻飾り、虹梁大瓶束で様式平面ともよく似ている。

春日社本殿(向かって左)は伊賀地方では珍らしい一間社隅木入春日造で、檜皮葺とし、組物出組、中備蟇股、間斗束、妻飾り木連格子で、屋根は千木、堅魚木で飾る。天正二年(一五七四)仁木長政本願造立の棟札を残し、建立年代が明確である。他の二社も同時期と考えられている。

彫刻や彩色には桃山時代の華麗な特色がよく表れており、県内の代表的な社殿である。

その他境内には、国指定天然記念物シブナシガヤ県指定のアヤマスズ自生地がある。

(大正十五年四月十九日指定)

(昭和三十四年六月二十七日棟札追加指定)

境内社等

本殿左の春日神社

 

本殿右の八幡神社

 

社殿脇の建物、神饌所?

 

鎮魂之碑由緒

倉庫の営みは永遠であります。

先人の英知が今日を築き、今日の努力が明日に連ります。

連続して絶えることのない生命を念ずる倉庫関係者の思いをこめて、業界の先達の霊安かれと、この地に倉守の御祖神が鎮座ります縁をもって鎮魂之碑が建立されました。

鎮魂之碑建立二十周年にあたり、建立の意をここに記します。

鎮魂之碑が近くにあったのだと思いますが、見落とし…

 

神具庫?

横に「倉明舎竣工記念」という碑が建っていたので、倉明舎というのかも。

 

手水舎後ろに天吹山高龗神

 

高龗神

通称天吹山(地名爪淵)に龗神社があった。

祭神高龗神は水を司る神で境内に九頭龍の碑が建てられていて、人々は雨を乞い願う信仰で参詣、山裾では雨乞踊りで祈願され明治二十年頃まで続いた。

明治四十年九月二十五日高倉神社に合祀された。

 

浅間ノ井

 

浅間ノ井

岩間から湧き出る水を飲料水とする鳥居出小場では富士信仰をここに移して浅間社を祀り、十一月三日に祭儀を執行している。

由緒

高倉神社略記

祭神 高倉下命

神武天皇東征の功神にして倉庫守護、延命長寿の霊験あり 七代の孫倭得玉彦命この地に移り住んで祖神を祀るを最初とする 東、西高倉地区の氏神なり

創建は古く垂仁天皇のころと伝え貞観三年(八六一年)従五位下の神階をうけ国史見在社であります

現社殿は天正二年(一五七四年)に伊賀国守護職仁木長政の造営 一間社流造りで桧皮葺の本殿を中央に右に八幡社左に春日社と三社信仰を今に伝える古社

日本最古の補陀落寺町石の補陀落寺は当社の別当寺であります

重要祭典

祈年祭 二月二十一日

御灯祭 四月第二土曜日(但、隔年)

倉暉祭夏祭 七月十三日

例祭 十月十五日

新嘗祭 十一月二十七日

参拝時見落としたのですが境内に略記があり、Google mapに写真があがっていたので転記。

 

社伝によれば、高倉下命の七代の孫、倭得玉彦命が当地に移り住み、祖神を祀ったのが始まりとされます。時期としては垂仁天皇の頃(BC29~AD70)とのこと。

 

三代実録 貞観3年(861)4月10日甲寅に「授伊賀国正六位上高蔵神…従五位下」とみえる高蔵神は当社に比定されています。

 

『伊水温故』に「神殿三社 南ニ春日、中央ニ諏訪本社、北ニ八幡」とあり、北伊賀に諏訪信仰が広がった鎌倉期以後、本社として諏訪神が勧請されたとみられています(『日本歴史地名大系』)。

当社北に補陀落寺の跡がありますが、これが当社の別当寺だったそうです。寺跡から奈良街道と呼ばれる旧街道に向かって1町ごとに15基置かれた(10基が現存)町石には建長5年(1253)の銘があり、全国的に見ても最古の町石とされており、8基は国指定史跡になっています。

 

天正2年(1574)に仁木長政が本殿を造営。本殿は左右に配された八幡社・春日社とともに、国指定重要文化財となっています。

 

大正5年郷社列格、昭和11年県社に昇格。

 

祭神は高倉下命。当社では高倉下命と天香山命を同一神としています。『先代旧事本紀』にそのように記されているのですが、これについては異論もあります。

倭得玉彦命を配祀。

境内社八幡社の祭神は応神天皇、また火産霊神、高龗神、少彦名命、倉稲魂神、大山祇命、蛭児命を合祀。

境内社春日社の祭神は天児屋根命、また大山咋命、大物主命、白山姫命、建速須佐男命、紐結命(倭得玉彦命の妻である伊賀姫の祖父神)。

御朱印

御朱印はあります。

普段無人のようですが、参道途中にある社務所でインターホンを押すと宮司さん宅に繋がるのだとか。

参拝時は知らなかったため、いただけていません。

アクセス

伊賀上野駅前の高砂交差点(位置)から県道680号を西へ。

2kmほど先(位置)で左右に分岐するので右へ。

1km強先の十字路(位置)を直進。そのすぐ先、「高倉神社→」の案内が出ているので、右手の細い道に入り、進んでいくと奥に駐車スペースがあります。

一の鳥居(参道の東、伊賀コリドールロード側)から入ることもできますが、非常に道が狭いです。

神社概要

社名高倉神社(たかくらじんじゃ)
通称
旧称
住所三重県伊賀市西高倉1046
祭神高倉下命(亦名 天香久山命 手栗彦命)
配祀倭得玉彦命
社格等

日本三代実録 貞観三年四月十日甲寅 高蔵神 従五位下

旧県社

札所等
御朱印あり
御朱印帳
駐車場あり
公式Webサイト
備考

参考文献

  • 「高倉神社」, 『日本歴史地名大系』(データベース「JapanKnowledge」)
  • 「高倉神社」, 神社本庁教学研究所研究室編『平成「祭」データ(CD-ROM)』全国神社祭祀祭礼総合調査本庁委員会, 1995
  • 三重県神職会編『三重県神社誌 第2』三重県神職会,1922(国会図書館デジタルコレクション 41-53コマ