安部神社(伊賀市上野下幸坂町)

安部神社。

伊賀市上野下幸坂町にある、鍵屋ノ辻史跡公園の南側に鎮座。

日本三代実録 貞観6年10月15日条に見える安部神(国史見在社)の論社。

境内

鍵屋ノ辻公園の南東側に参道入口があります。

 

参道入口

 

「阿拝郡総社安部神社」

「祭神大彦命」

 

手水舎と井戸

 

手水舎

社殿

鳥居と社殿

 

拝殿

 

本殿

 

本殿の扁額。読めない…

境内社等

駒止延命地蔵尊

 

扁額

 

お地蔵さん

 

弘法大師 四國随一得相承不思議移霊場?

 

由来板

駒止延命地蔵尊の由来

慶長のころ藩主藤堂高虎公が馬にて市中を巡視せしが墓之谷(現在の徳居町)にさしかゝりし時馬一歩も進まず不思議に思い溝にかゝった石橋を調べしところ御丈一丈余りの延命地蔵尊が刻まれあり後これを駒止延命地蔵尊と稱しこの地に安置せられたり

 

案内板

幸福寺駒止延命地蔵と地蔵堂

此処は江戸時代に栄え、明治に入って廃寺となった真言宗金龍山幸福寺の旧址で、現在の建物は、その一部の地蔵堂の遺構である。本尊は永禄3年(1560年)8月24日の室町時代末期の刻銘のある等身大の地蔵石仏で寺伝に依れば、慶長年間伊予より入国後の藤堂高虎公の伊州巡視に際し、墓の谷の溝に架かりし石仏を駒止めの霊異によりて発掘し、当地に安置したものといわれているが、地蔵堂の創建は高虎公晩年の寛永元年(1624年)頃と伝えられ、その後元禄10年(1697年)幸福寺住法印栄俊による堂の再興、嘉永6年(1853年)8月、明治28年2月などの修理を経て今日に至った。

堂内地蔵尊の左右には、両脇侍の形で、真言宗高祖弘法大師像(元禄3年金剛仏子快盛造像、延享5年真栄補修の墨書銘あり)と、新義派真言開祖興教大師像(真栄の墨書銘あり)とが安置され、内陣厨子周辺や天井などの桃山風荘厳は、当時の全盛を彷彿させる。

江戸時代を通じ、里人の地蔵信仰は篤く、そのためか顔面は磨滅し、「顔のないお地蔵さん」の名は、世々の里人の間に伝承されて来た。女人泰産、衆病悉除、寿命長遠、聡明智恵、財宝盈溢、穀物成就など、その功徳の深遠なる有難き延命地蔵尊として、広く伊州一円の尊崇を、得ていたのであるが、時の流れはすべてを忘却の彼方へおしやり、現在では松籟の音もまばらに、境内は閑寂の気につつまれている。

 

青面金剛文字庚申塔

 

案内札

青面金剛文字庚申塔遺跡

この碑は、江戸時代を通じ全国的に信仰され造立された庚申塔の中でも、その初期を代表する元禄2年(1689年)今から300年前の貴重な遺物である。

昭和55年幸福寺境内の一隅に埋没中の石碑を発見、以後安置場所の発掘、今回の境内植樹とともに、その遺跡の保存につとめている。碑面の文字は

※写真参照

60年に1回の庚申の年、60日に一回の庚申の日、この堂前にぬかずき、徹夜で青面金剛に祈った、此の町の先祖の人達、時代を超えた悠久の流れの中に、必ずや心うたれるものを感じとることであろう。

 

蔵?

由緒

由緒板

安部神社御由緒

御祭神 大彦命

大彦命は第8代孝元天皇の皇子第10代崇神天皇の御代大和朝庭による日本統一を愈々鞏固にする目的ににて各方面に派遣された四道将軍の一人で北陸道へ向はれた。仝天皇11年4月帰還復命後当地方に永住せられその子孫である安部臣一族がその祖神として祭祀した。御鎮祭の年月は詳ではないが旧記等により古い御社である。大正9年8月20日菅原神社(上野市東町2929番地鎮座)に合併許可され同社飛地境内社となる。往古は西の丸の地に有、中古小田村馬苦労町に迁る。享保年中(1716-1735年)第3代藤堂藩主高久公この地に迁す。往古より上野市西四ヶ町(向島・幸阪・馬苦労・西之丸)の鎮守として崇敬篤し。

創建時期は不詳。

往古は西の丸の地にあったとされます。

三代実録貞観6年(864)10月15日条に正六位上から従五位下に昇叙されたとある安部神を当社とする説があります(『三重県神社誌』所収の『安部神社考』等)。

ちなみに『三重県神社誌』は『安部神社考』の説に対し「甚シキ失考」「一個ノ空中楼閣ニ過ギズ」などと酷評、また『三国地誌』の「阿拝忌寸が霊を祭て阿拝一郡の惣社とす」という説も「詮無シ」と切り捨てています。そして言うだけ言って自説は何ら提示していません。

天正年間(1573-1593)に伊賀上野城の築城に伴い、馬苦労町の西に遷座。

貞享4年(1687)の『伊水温故』には「今見ルニ社頭ナシ只一村ノ諸木而已。阿拝一郡ノ鎮守荒廃ヲ可悲」とあり、荒廃していたことが伺えます。

元禄年間(1688-1704)に藩主藤堂高久が社地卑濕なるを以て当地に遷座(『安部神社考』)。

上掲の境内の由緒書には享保年中とありますが、藤堂高久は1703年に没しているためありえない…はずなのですが『日本歴史地名大系』も享保2年(1717)の遷宮としています。

計画から実際の遷宮まで2代に渡っただけなのか。

なお『三重県神社誌』は馬苦労町西の旧社地はまだ存在し、周辺の田を阿閉神田といい往古の祭田である、としますが、現在も残っているかは不明。

明治4年村社列格。

大正9年、菅原神社(伊賀市上野東町2929)の飛地境内社とされました。

当地には、伊賀上野城の築城に伴い、幸福寺と蔵王権現が遷ってきていました。

幸福寺は廃仏毀釈により廃寺、地蔵堂のみが現存。

蔵王権現は金峯神社へ改称の後、明治43年(1910)菅原神社に合祀。

跡地を示す標柱があるそうです。

この金峯神社の跡地が菅原神社の西の御旅所とされているとのこと。

御朱印

御朱印の有無は不明。

アクセス

名阪国道上野ICを降りて北上、伊賀鉄道西大手駅そばの西大手交差点を左へ。

300mほど先、鍵屋ノ辻史跡公園のところで左折。

ここに公園利用者用の駐車場があります。無料。

神社概要

社名安部神社(あべじんじゃ)
別称阿拝神社
住所三重県伊賀市上野下幸坂町
祭神大彦命
社格等

日本三代実録 貞観六年十月十五日戊辰 安部神 従五位下

旧村社

菅原神社飛地境内社

御朱印不明
駐車場あり(鍵屋ノ辻史跡公園駐車場を利用)

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